憲法9条が未来をひらく 武力で平和は築けません 
 私たちは、日本を「戦争する国」に 
 変える9条改憲に反対します。 
 改憲と一体の国民投票法案、 
 教育基本法「改正」法案の廃案を求めます。 
 日本国憲法 第九条 【戦争の放棄】 
 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 
★メッセージ 
 九条は戦争ふせぐ最良の方法  井上ひさし(劇作家) 
 人間には残虐な面があることはたしかですが、言葉をもち、その言葉で気持ちや考え方を交換し合う能力があります。むだな争いはやめて、なかよく生きることもできるはず。ちかごろ、この第九条の中身が古いという人たちがいます。「平和主義」という考え方は古いでしょうか。問題が起こっても、戦争をせず、話し合いを重ねて解決していく。その考え方が古くなったとは、私にはけっして思えません。むしろ、このやり方はこれからの人類にとっての課題ですから、第九条は、新しいものだといっていい。日本は正しいことを、ほかの国より先に行っているのです。「平和主義」という考え方は、人類にとっての理想的な未来を先取りしたものだといえます。その考え方が戦争をふせぐ最良の方法だと注目している人は、外国にもたくさんいます。第九条は、世界の人々のあこがれでもあるわけですから、なんとしても、その精神をつらぬいていきたいものです。(『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』〈講談社刊〉より抜粋) 
 九条こそが「国際貢献」  奥平康弘(憲法研究者/東京大学名誉教授) 
 安倍政権を押し上げる過程で、憲法九条改悪ムードが一段と高まりました。改憲勢力は安直な決まり文句〈今の憲法は外国製だ。日本人の手で日本の憲法を作ろう〉を繰り返して、もっぱら感性に訴えることで九条を葬り去ろうとしています。こんな身もふたもない形式論に、私たちはまどわされてはなりません。 
 いまの憲法は、私たちが保守反動勢力と対抗しながら、守り育ててきたものなのです。われわれの努力と知恵と闘いの成果なのです。 
 九条は、これまでアジアおよび世界の平和構築の礎たる役目を不十分ながらも果たしてきました。九条が存在し、ますます立派に機能し続けること自体が、なににもまして「国際貢献」なのです。逆に、九条を裏切り、これを殺してしまうことは「国際的反逆罪」に該当します。こうした企てに、断固としてノー!を言い続けましょうよ。 
 正念場に来ている  小田 実(作家) 
 いよいよ正念場に来ている。安倍新内閣の出現以来、私が考えていることは、これだ。これにつきる。正念場は彼らの側、私たちの側、双方に来ている。 
 何が正念場に来ているのか。彼らの側、安倍新内閣以下、教育基本法、そして、憲法の改悪をもくろむ彼らの側にとっての「改悪」実現の正念場、そして、私たち、教育基本法、憲法の改悪を阻止して、あくまで「九条」を基本の理念とする反戦、平和の日本を護り抜こうとする私たちの側にとっての正念場…それが来ている。その私が誰であれ、私たちの側にまちがいなく来ている。 
 志と勇気を  澤地久枝(作家) 
 人には、つくすべき本分がある。生きてゆく上で、時代に対し、社会に対し、隣人(国内外を問わず)に対し、人としてつくすべき本分とはなにか。政治情況を冷静に考察し、自らの役割を自覚し、志を胸中深くかためることが今こそ求められている。
 昨今の憲法否認の世相に対して、未来のため、世界中の人々との連帯のため、平和を、戦力不所持、交戦権放棄の憲法を守りぬこうという強い意志が存在している。
 この意志を踏みにじるべく、改憲勢力が考えたことの二本柱が、国民投票法案と、教育基本法骨抜きの法案である。心に思っているだけでは、力にはならない。よく考えて、半歩でも前に出、反対の意志表明をする勇気こそが必要であり、求められている。
  原爆の苦しみから生まれた九条  鶴見俊輔(哲学者) 
 日本に降りたった米国人は焼け野原を見て自分たちが何をしたのかを、しばらく人間にかえって感じた。 
 人間は人間にこういうことをするのか。 
 つかのま人間にかえった彼らが、そこから憲法九条を考えだした。 
 日本人は、空腹のため、当時この条文をつくる想像力を欠いていた。 
 しかし、二つのいわれなき原爆をおとされた苦しみを、60年あまりたった今でも、生きのこったものの証言と傷あとから、さかのぼってとりもどすことができる。 
 現在のこされている憲法第九条は、原爆をおとされたものの苦しみの中から生みだされた。その苦しみに共感するものの心からわきでたものである。 
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