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あの時の一枚/写真で振り返る国公労働運動の歴史
 

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あの時の一枚 〈11〉 ●国公労連結成30周年

■ 特権優遇の一時金差別支給はやめよ
 人事院に激しく迫る国公九州ブロック(1990年7月2日)

 
     
   
 

「職場に差別と分断を持ち込む一時金差別支給は白紙撤回せよ」と人事院に激しくせまる国公九州ブロックの仲間たち (1990年7月2日、福岡市の人事院九州事務局)

 人事院は、この年の勧告で役職によって一時金を傾斜支給する制度導入を強行した。一部特権官僚優遇であり、職務給の強化によって職場に分断を持ち込み、公務の民主的運営を阻害するものとして、全国の国公労働者の怒りの反対闘争が盛り上がった。
 7月2日、国公九州ブロックは「道理なき差別支給やめよ」と人事院九州事務局を包囲した。この日、九州全域は大雨による災害で、道路、鉄道が分断され、貸し切りバスが福岡にたどり着けたのは大分だけだった。にもかかわらず800人が結集した。前年、調整手当支給地域が30ヵ所も切り捨てられ怒りに燃えた福岡県国公の仲間を中心とした約100人の交渉団は、具体的回答を何も示さない人事院事務局を、激しく、厳しく攻めあげた。
(国公労調査時報 bT15 2005年11月号)

 
     
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あの時の一枚 〈12〉 ●国公労連結成30周年

■ 92春闘は潮風にのって、官民一体共闘の輪を広げ
 港湾労働者の海上デモに参加する国公労連船(1992年3月13日、東京湾)

 
     
   
 

92春闘勝利海上デモに参加し、港で働く労働者に連帯の手を振る国公労連・単組本部の仲間 (1992年3月13日、東京湾)

 東京港湾関係労協の92春闘海上デモに、国公労連は船一艘借り切り単組本部も含め35人が参加した。92春闘では、国公労働者は従来以上に「春闘の風」を吹かせるため地域の諸行動に積極的に参加した。この年の1月、国公労連は、国民春闘の新たな構築と公務員賃金闘争の新たな発展をめざす全国活動者会議を開いた。管理春闘打破のため官民一体の国民春闘のたたかいの方向が確認された。その有効な武器として大企業が内部留保をはき出せば大幅賃上げは十分可能であることを明らかにした「春闘ビクトリーマップ」が作成され、92春闘では各地で活用された。大企業の内部留保をはき出させる「春闘ビクトリーマップ」運動は、全労連・国民春闘共闘規模での取り組みとなって発展した。
(国公労調査時報 bT16 2005年12月号)

 
     
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あの時の一枚 〈13〉 ●国公労連結成30周年

■ 紛争地に送られてたまるか
 憲法違反のPKO法発動は許さない(1992年7月9日)

 
     
   
 

「憲法違反のPKO協力法の発動反対」とデモ行進する国公労連青年協の隊列 (1992年7月9日、東京・霞が関)

 この年の6月5日未明、国公労連をはじめ多くの労働組合、民主団体、市民団体が強く反対してきたPKO(国連平和維持活動)協力法が、自民、公明、民社3党によって強行成立させられた。PKO法は自衛隊の本格的な海外派兵に道を開くのみならず、一般の国家公務員も強制的に小型武器を携帯し紛争地に派遣させることができる法律である。国公労連は、法成立後に、憲法違反のPKO法発動を許さないため、国公労働者を紛争地に「行かない、送らない」運動を展開する。「憲法を職場と行政に」をスローガンに、憲法遵守義務を負う国公労働者の立場を明確にし、すべての職場で「憲法遵守宣言」をおこなうことをよびかけた。
(国公労調査時報 bT17 2006年1月号)

 
     
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あの時の一枚 〈14〉 ●国公労連結成30周年

■ 海面清掃船「しおじ」の7人体制を守れ
 「行(二)職員後補充せず」の政府方針に抗して(1992年11月26日)

 
     
   
 

大きな流木はクレーンで吊り上げて回収する。安全に船内のコンテナに取り組むために「しおじ」のチームワークが要求される (1992年11月26日、瀬戸内海鳴門海峡付近)

 旧運輸省第三港湾建設局の小松島港工事事務所(徳島県)の海面清掃船「しおじ」は、瀬戸内海に浮遊する空き缶、発泡スチロール、タイヤなどさまざまなゴミを回収する。台風の後など巨大な流木などが吉野川から瀬戸内海に流れ込む。「しおじ」の7人はチームワークを組んでその作業にあたる。船長以下7人全員が労務・技能職の行(二)表適用の船舶職員。政府による行(二)職員は「業務上必要と認めなければ退職後後補充せず」の基本方針が「しおじ」の職場を直撃していた。7人体制はどうしても必要と、全港建小松島港支部は、「しおじ」の定年退職者の後補充に取り組んでいた。(国公労新聞93年新年号の職場取材)
(国公労調査時報 bT18 2006年2月号)

 
     
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あの時の一枚 〈15〉 ●国公労連結成30周年

■ ストップ!年金大改悪
 65歳からの満額支給開始は許さない(1993年10月12日)

 
     
   
 

「ストップ!年金大改悪」のイメージキャラクター「年金ボーイ」が書かれた横断幕を持つ国公労働者(全労連年金改悪阻止厚生省前行動) =1993年10月12日、東京・霞が関

 国公労連はこの年の1月に312人が参加した「社保・年金闘争全国代表者会議」を開き、「ストップ!年金大改悪」の国公大運動を意思統一した。雇用労働者の満額年金支給を65歳に繰り延べするのを許すかどうかが最大の焦点だった。国公労連は、「ストップ!年金大改悪」のイメージキャラクター「年金ボーイ」を同年4月にデビューさせ、全労連の年金闘争の先頭に立って全力でたたかった。「満額支給65歳繰り延べ」「給付削減」「保険料引き上げ」の年金改悪法案は、自民党政治を受け継いだ細川連立内閣によって、翌94年3月に国会に提出された。4月20日に42単産80万人が参加する21年ぶりの年金ストライキが行われたが、11月2日、自民・社会大連立の村山内閣のもと成立させられた。
(国公労調査時報 bT19 2006年3月号)

 
     
 

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