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トップページ > 国公労連の紹介 > あの時の一枚 第1回〜第5回
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あの時の一枚/写真で振り返る国公労働運動の歴史
 

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あの時の一枚 〈1〉 ●国公労連結成30周年

■ 国公労連の結成
 共闘組織から連合体へ 1975年10月1日

 
     
   
 

国公労連結成第1回定期大会で、総理府統計局で発生した頚腕障害の即時公務認定を訴える総理府統計局職組の仲間たち=東京・品川区の南部労政会館

 「ただいまから、国公共闘の連合体移行についての採決を行います。賛成の方は挙手を願います…」「全員一致で可決されました」(拍手)
 国公労働者の産業別統一闘争を発展させるため、日本国家公務員労働組合共闘会議(国公共闘)は、日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)へと組織強化をはかった。国公労連第1回定期大会は、1975年10月1日から4日まで開かれた。
 「全国の仲間の一人ひとりの悩みや苦しみをわがものとして感じる組合。小指のいたみを感ずるような組合。仲間を信頼し、仲間の力を基礎にたたかう組合。国公労連がこうした組合であるように、全力をつくして努力したい」と、国公労連初代委員長の樋口緑さん(全港建、故人)はあいさつした。
(国公労調査時報 bT05 2005年1月号)

 
     
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あの時の一枚 〈2〉 ●国公労連結成30周年

■ 77春闘、整然とストで決起
 4.15全国統一行動 1977年4月15日

 
     
   
 

4.15ストライキ、統一行動に突入した全気象東京地本、関東中部地本の仲間たち =東京・大手町の気象庁前

 2年連続して敗北して迎えた77春闘は「今年こそ何とかしよう」という思いで取り組まれた。国公労連は、「16%、2万6千円」の要求をかかげ、4月15日、ストライキを含む全国統一行動で77年春闘に結集した。この行動は、要求の切実さと、仲間の怒り、エネルギーの盛り上がり、全国の統一行動実施職場、参加組合員とも「これまでの最高となった」との単産・県国公からの報告が数多くあった。東京では、29分スト・統一行動のあと、昼休みに大手町、霞ヶ関、新宿の3地区国公の総計で1万人が参加したデモ行進をおこなっている。
(国公労調査時報 bT06 2005年2月号)

 
     
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あの時の一枚 〈3〉 ●国公労連結成30周年

■ 労働省中庭が国公労働者に埋め尽くされた日
 史上空前の退職手当改悪・定年制導入阻止全国上京団 1980年5月10日

 
     
   
 

国公労連、単組、県国公一体の力が結集した国公労連第2次上京団の総括集会 =東京・大手町の旧労働省中庭

 退職手当改悪と定年制導入の2法案の廃案をめざす80年5月9、10日の国公労連第2次上京団行動は、地方3800人、在京を加えると6000人という画期的な大規模行動となった。退手・定年の2法案は、上京団行動を直前に事実上「廃案」になることが決定した。10日の国公労連上京団総括集会では、その大きな成果を喜びあった。この行動は、それまでの各単組ごとの縦割り上京団に対し、初めての県国公別の横割り集団上京団だった。「2法案を必ず廃案に」を決意に、各県国公ごとに貸し切りバスや夜行列車、新幹線、飛行機で続々と全国から東京に集結したのだった。
(国公労調査時報 bT07 2005年3月号)

 
     
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あの時の一枚 〈4〉 ●国公労連結成30周年

■ 人勧完全凍結が決定された日の抗議行動
 給与関係閣僚会議への怒りの抗議行動 1982年9月20日

 
     
   
 

人勧完全凍結を決めた給与関係閣僚会議の日、緊急抗議行動 (東京・霞が関、1982年9月20日)

 鈴木善幸内閣は1982年9月20日、人勧の取り扱いを決める第3回の給与関係閣僚会議を急遽招集し、総理裁断によって凍結方針が決定された。鈴木首相は、4日前の16日、財政非常事態宣言をおこなっていた。国公労連・東京国公は、当日ただちに怒りの抗議行動を実施した。国家公務員の「給与改定見送り」は、戦後動乱期の1949年に占領軍のドッヂ・ラインによっておこなわれて以来のことであり、人勧史上初めての暴挙だった。公務労働者は、人勧完全実施を回復させるため、数年間の果敢なたたかいを開始することになった。
(国公労調査時報 bT08 2005年4月号)

 
     
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あの時の一枚 〈5〉 ●国公労連結成30周年

■ 共済掛金引き上げ許すな
 連合会本部での徹夜の座り込み(1984年10月5日)

 
     
   
 

共済掛金の大幅引き上げ反対して250人の組合員が徹夜の座り込み (東京千代田区・竹橋の国公共済連合会本部、1984年10月5日未明)

 この年の秋、人勧の2年連続の凍結・抑制に加え、84年勧告への値切り決定も必至だった。さらに、家計に打撃を与える共済長期(年金)掛金の平均約5000円引き上げが、行われようとしていた。国公労働者は、連日のように国公共済組合連合会本部が入る東京・竹橋共済会館(現KKRホテル東京)に押しかけた。引き上げ強行のための評議員会が招集された10月4日夕方から国公労働者は連合会本部廊下で徹夜の座り込みを行った。しかし、5日午前3時10分、連合会は、総動員した職員にピケットを張らせ、全評議員を役員室に囲い込み、すべての入り口を施錠して、引き上げ決定を強行した。国公労働者は、この怒りを「84人勧完全実施」要求での10.26ストライキ(2時間を機軸)を整然と決行し、成功させる大きな力にした。
(国公労調査時報 bT09 2005年5月号)

 
     
 

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