「国旗・国歌(日の丸・君が代)法」に対する見解
--「天皇在位10年記念式典」ともかかわって--

 自自公三党などは8月10日、「国旗・国歌法」を十分な審議も行わずに強行成立させました。この問題については、国民世論が二分している現状に照らしても慎重審議が求められていました。いま、職場の内外では、「国旗・国歌法」成立を根拠にした「日の丸・君が代の押し付け」がつよまっています。全厚生は、こうした事態をつよく危惧し、「日の丸・君が代」の強制に反対し、以下の見解を表明するものです。

 法の成立をうけて政府は、各省に対して「主催行事における国旗掲揚、国歌斉唱・演奏への配慮(関連団体への協力要請を含む)」を8月末に通知しました。また、9月28日には、「天皇在位10年記念式典」を11月12日に政府主催で開催すること、当日の各省庁での「日の丸」掲揚、地方公共団体、全国の会社はもとより、一般家庭にまでも「広く日の丸を掲揚するよう協力を要請」することを閣議決定しました。
 「日の丸・君が代」法制化の先頭に立った野中前官房長官は、「11月12日に天皇陛下の在位10年式典という大きな節目があるので(法制化を)ぜひやりたい」と述べていました。私たち全厚生が危惧するのは、こうした言動からも明らかなように、天皇を礼賛し、日本を「天皇中心の国」に後戻りさせる「キャンペーン」が、法制化を契機にいっそう露骨になっていることです。法案審議にあたって、内閣法制局長官は、「国旗国歌法自体の効果として、国民が国旗掲揚の義務や国歌斉唱の義務を課されることは一切ない」と答弁していました。式典などにおける国民への強制をめぐっては、この政府答弁を拠り所にした対応が求められることは当然であり、政府答弁さえふみにじる「押し付け」や強制はゆるされるものではありません。

 1989年1月の天皇死去の前後から、「哀悼」や「代替わり」、さらには皇太子の結婚などの儀式を通じて「天皇の元首化」キャンペーンが繰り返されてきました。全厚生は、「昭和天皇重態」が伝えられた当時、「昭和が終わる時」と題して、「天皇の戦争責任」、その過去をどう克服するか、主権在民の憲法をまもり、平和・民主主義の確立をめぐって座談会を行い、「全厚生」新聞(1989年1月5・15日号)に掲載し、日本国憲法の原則を空洞化する「天皇制復活の企み」をつよく批判してきました。今回の国会審議において、「君が代」を「天皇の国」とする解釈を政府は明らかにしましたが、「天皇の国」をたたえる歌を国歌とすることが、国民主権の原則にそわないことは明瞭です。その「君が代」と国旗とされた「日の丸」が渾然一体で天皇制のシンボルとされ、悲惨な戦争に国民をかりたてるために使われてきたことは歴史の事実です。私たち全厚生は、天皇制のもとでのこの国の侵略戦争の歴史に目を閉ざない立場を明確にして「憲法遵守・職場平和宣言」運動に取り組んでいます。
 国民の「思想・良心の自由(内心の自由)」(憲法第19条)は、侵すことのできない「絶対的自由」です。にもかかわらず、政府があえて「日の丸・君が代」の押し付けをつよめていることに、つよい懸念を抱かざるをえません。
 先の通常国会では、アメリカの戦争に日本を自動参戦させる「新ガイドライン法(戦争法)」や、国民の自由な意思の表明やプライバシーを侵害する「盗聴法」や住民基本台帳改正法」が、国民の反対世論を押し切って成立させられました。「日の丸・君が代法」も世論が二分しているもとでの成立強行でした。悪法を次々と強行成立させている自自公連立政権は、来年の通常国会で有事法制の立法化の準備にまで着手しています。行政改革の名による首相権限の強化などとも一体で、「この国のかたち」を「戦争をする国」に一気に改革するために、「天皇」を政治的に利用しようとする狙いが、政府の「日の丸・君が代」を「押し付け」る姿勢に反映していることは明らかではないでしょうか。

 「日の丸・君が代」を国旗・国歌として認めるか否かの自由はもとより、「君が代」を「天皇の国」とする解釈にかかわっても、職員と国民の自由が絶対的に認められなくてはならないのは当然です。それだけに、国旗に対する敬意の表し方や国歌斉唱を「職務命令」の内容とするような強制が行われてはなりません。また、国民参加のもとに開催される厚生省主催行事において、参加者が「押し付け」とうけとめかねない行事運営は断じて許されないことはいうまでもありません。「天皇在位10年式典」の日にむけて、国民への国旗掲揚の「押し付け」のために国家公務員を動員するような過剰な対応も厳に慎むべきです。
 「日の丸・君が代」が、国民に定着したものではないことは各種の世論調査からも明らかです。政府も国会答弁でその点を確認しています。いわんや、天皇制の認識については、各々が受けた教育、生活環境、人格などにより大きく異なっています。認識の一方的な押し付けが、異なる考えを持つ人の疎外につながることは歴史の証明するところです。戦前でも行われたことのない「天皇在位10年を国民こぞって祝う」などとする「キャンペーン」自体が、重大な問題を含んでいます。「天皇中心の国」への回帰をめざす勢力の暴走に危機感を抱く国民も少なくないことを、政府は認識すべきです。

 全厚生職員労働組合は、戦後まもない1946年4月20日、「天皇の官吏」から決別し、「官庁民主化」を固く誓ってたたかいにたちあがり、組合を結成しました。そして、1954年再軍備予算は増額、厚生省予算が削減されようとしたとき、全厚生は厚生省玄関前に「国民のための厚生行政守れ」の横断幕をかかげ、庁舎には「再軍備より社会保障 厚生行政を守れ」のタレ幕をおろしました。全厚生は、こうした戦争反対、平和と民主主義をまもれの歴史と伝統を継承・発展させるため日々努力してきました。
 全厚生は、憲法遵守の責任と「社会保障の確立のために行政の反動化に反対し、わが国の平和と民主主義の確立に寄与することを目的とする」を規約に明記した労働組合として、「国民主権、恒久平和、基本的人権、議会制民主主義、地方自治」といった憲法の基本原則をないがしろにするあらゆる策動に反対して運動をつよめます。その立場から、全厚生は「国旗・国歌法」が成立したというあらたな状況にあっても、職員と国民の「内心の自由」を侵害する「日の丸・君が代」や「天皇礼賛」の強制・押し付けに断固として反対し、取り組みを展開する決意です。
 1999年11月5日
                       
全厚生職員労働組合中央執行委員会

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