自治労国費評運動の克服と全厚生の前進を目指して
(全厚生第64回定期大会発言要旨)

全厚生神奈川県支部代議員 野地幸雄


 神奈川県支部の野地でございます。もしかすると全厚生大会の参加は最後になるかも知れないとの思いで参加させていただきました。私は、今後の社会保険労働運動のあり方に関連して、自治労国費評運動の克服と全厚生運動の前進の課題について発言します。

 私は昭和39年12月10日に神奈川の職場に採用され勤続36年目となりました。そのうち、大半は、おそらく30年くらいは労働組合運動についやしてきました。その間に様々な運動の経験をいたしましたが、神奈川県内の運動は別にしまして、対外的には自治労国費評と20年以上闘ってきました。代議員の皆さんの多くは、自治労国費評の実態をご存じないと思いますので、この機会に自治労国費評とはどういう組合なのか、何が問題なのかを整理してお話ししたいと思います。

1 地方事務官制度と国費評議会の成立
 ご承知のように、日本の敗戦により、当時天皇の家来であった公務員は、憲法の基に、国家公務員、地方公務員とされ、国家公務員法が制定されました。都道府県知事、教育長は任命制から、選挙で選ばれる公選制になり、学校の先生、警察官も地方公務員に身分が移管されました。このときに社会保険の仕事を国の事務とするか、地方事務の仕事とするか大きな問題となりましたが、にわかに結論がでず、地方自治法の制定に間に合わないということで、「当分の間、知事の指揮監督を受ける国家公務員」「地方事務官」という、摩訶不思議な身分制度ができてしまいました。以来53年間、今年の3月までこの制度が続いたわけです。そして、この地方自治法制定により、社会保険職員は地方自治体の職員が組織する労働組合に加入することができるとされ、経過は省きますが、全厚生加入を除いた社会保険職員は自治労に組織されることとなりました。そこで、自治労本部が窓口となって、社会保険庁との交渉窓口をつくり交渉が行われるようになりました。これが発展して、自治労内の職能別組織「国費部会」となり、後に「国費評議会」となりました。

2 国費評議会の力の背景
 自治労は公称100万自治労の組織力をバックに、国費評を組織的財政的に全面的に援助し、事務局長は特別執行委員として、専従役員にあつかい、諸会議、全国動員、オルグ費用など、何億円という組合費を投入しました。なぜこのように国費評を優遇したのか、その理由の一つに、都道府県職労組の主要な役員に社会保険職員が数多くなったこと、また、それらの運動の多くを社会保険の組合員が支えたことがあります。神奈川県もそうでしたが、1966年昭和41年に全国で初めて公務員労働者の10.21統一ストが行われたとき、神奈川県職の力は弱く、民間労組の支援がなければストが打てませんでした。当時約1万人の組合員がいましたが、神奈川県職自前のピケ要員は150人、そのうち80人が社会保険職員でした。当時の神奈川新聞の写真を見ると、最前列で顔が分かる位置にいた組合員は全て社会保険職員でした。このような状況は全国であり、ある県では、組合指定の集会場所に集まるのは社会保険職員だけ、というところもありました。労働組合の役員も、北海道から、九州まで、都道府県職の委員長、書記長から、県本部委員長まで登用されていました。これらは、県も国も労務管理対策が直接的にやりにくい変則的身分制度のなかで生まれたもので、このような中で国費評は自治労の中で発言権をもち、自治労も援助していったということでありました。

3 国費評運動の特徴
 断っておきますが、国費評といっても、一般の組合員のことを言っているのではありません。私の見たところ、全国の社会保険労働者は、まじめで勤勉であります。問題は組合幹部です。彼らの運動の問題点は、非民主的運営、反共主義と反全厚生主義、当局とのなれ合い癒着、国民不在の運動などであります。以下、その特徴点を紹介します。

(1)第一の特徴は、国民不在、機械的、一面的な運動路線をとり続けていることです。彼らは、機械化絶対反対、職場がなくなる、といってあらゆるコンピューター導入、機械化に反対し、やむをえず導入された後も、なるべく機械は使わない抵抗闘争を続けています。ある大都市の社会保険ではつい最近まで年金の見込額試算は行わない、パソコンは事務所に2台しか認めない、公用車は使わせないなどをいまだにやっています。確かに民間企業では機械化によって生産性を高め労働者の数を削減することが、行われていますが、社会保険のような大量のデータを処理する業務は、コンピューターなしでは行政サービスそのものが成り立たないことは明らかであります。社会保険庁や、業務センターは、業務の効率化のためや、国民サービス改善の要求をある程度反映して業務改善の提案をしてきますが、これに対しては、ただ機械的に反対するのではなく、労働条件の確保、行政サービスの改善のために役に立つのかなどの観点から、労働組合は、積極的な対案、要求を対置して運動することが必要です。国費評の運動は、結局、国民の行政サービス改善の要求であっても機械的に反対し、長期に抵抗していくという方針ですから、事実上国民要求実現の防波堤となってしまいます。
 公務員の労働組合が、国民の要求に背を向けるような運動路線をとり続ければ、やがて国民から支持を失い見放されることは明らかです。国民の要求実現のためにたたかう全厚生の役割がますます重要になってきていると思います。

(2)二番目の特徴は、反共、反全厚生、反国公をなによりも運動の中心に据えていることです。
 反共主義というのは、共産党がきらいということではありません。職場で、まじめに労働条件の改善を要求したり、仲間を組織する人に対して、「おまえはアカか、共産党か」といって民主的な運動を弾圧することであり、職員の反共意識を利用した、差別分断の、当局の労働組合対策の常套手段であります。ところが、国費の職場では労働組合がむき出しの反共主義で、職場の民主的な意見を抑圧しています。そして言うことを聞かない組合員に対しては、村八分、いじめ、嫌がらせから、人事、昇任昇格差別まで行って、徹底的に弾圧して、彼らの意見を強制しています。国費の職場の多くでは、国費評の方針に意見を述べたり、反対することは許されず、多くの組合員は、報復を恐れて、自分の意見は言えない状態に置かれています。あるまじめな組合員が国費の役員に「定員増など、全厚生と共闘したらどうか」という意見を出したところ、役員は「全厚生は敵である。敵と共闘することはあり得ない」と回答したそうであります。
 ご承知のように反共主義は、当局、政府が本家であります。したがって当局にとって国費は口ではどんなに勇ましことを言おうと、反共主義という共通の立場で一致しており、これが国費評幹部と当局の癒着の土壌となっているのです。そして彼らの所属する自治労は、定期大会に自民党の総裁、総理大臣を呼ぶ連合の有力組合であり、その連合は、年金改悪の露払いの役割を担う、各種の審議会に委員を送っているのです。彼らがいまだに叫んでいる、身分移管についても、彼らが長年支持してきた社会党、現社民党の村山内閣のときに地方分権推進委員会が設置され、法案の採決のとき社民党は賛成票を投じました。これは、彼らの特定政党支持、反共主義、身分移管論の誤りを集中的に表現した劇的な出来事でありました。

(3)三番目は当局との癒着、非民主的組合運営の問題です。地方分権法が国会を通過したときに、7年間は県職(自治労)にとどまることができることが決まりました。このような超法規的措置がなぜ決められたのかと言いますと、確かに専従役員の任期が7年ということもありますが、本命は組合対策であります。いずれ、県職(自治労)は出ていかなければならない、まさか国公労連に加入する訳にはいかないし、新しい組織をつくるには時間がかかる、情勢によっては独立行政法人化にも対応が迫られる可能性もある。このような思惑で7年という期限が決められたと思います。
 今国費評は、組織問題を最大の課題にしているように思われます。社会保険職場の労働組合は自治労国費であって、全厚生は敵対組織であって労働組合と認められない。社会保険庁との話し合いはいつも国費が先であって、全厚生が、先に妥結することも、国費と違う案で妥結することも認めないという、他の労働組合の自主性を認めない専制的なものであります。労働組合が違うのですから、違った条件で合意するのはあたりまえですが、彼らの気に入らない内容は、たとえ全厚生傘下の地方だけであっても認めないし、社会保険庁も彼らのいいなりであります。一方、各県段階では、国費幹部は組合員に真実を知らせず、あるいは全厚生はウインドマシンの一人一台要求に反対しているとか、まだ地方移管のチャンスはあるとか、相変わらず間違った宣伝を繰り返しています。また、国費に反対するものは人事、昇任昇格差別が徹底して行われ、それは退職後の再雇用まで及ぶといわれています。反対に、国費の役員を経験したものは、人事面で優遇され、ある県では、当局の方がよっぽど民主的と職員からささやかれる有様です。これらが組合員の不満として蓄積されているのではないかと思います。大分の全厚生加入はこれらが背景となった、良心的組合員のやむを得ぬ行動であったと思います。全厚生は全国的に組織拡大をもくろんでいると自治労国費は宣伝していますが、全厚生は歴史的にみても歯がゆいくらいに組織拡大に淡泊でありまして、全厚生加盟で相談にきた県代表の人に丁重にお帰りいただいたことがあったくらいです。反対に国費評は、かつては全厚生加盟中の岩手県支部の一員を、彼らの会議に参加させたり、秋田にちょっかいだしたりしている経過をみても組織介入がお得意なのは国費評そのものであります。しかしながら、このような差別支配に反対して、職場の民主化に立ち上がる人たちがでることは誰も止めることはできない訳です。そしてこういうことは決してだれかが外部から持ち込むは不可能なことであり、ある意味では自治労国費評の誤った運動が自ら原因を作り出していると考えられます。このようにして立ち上がった人たちが全厚生への加入を望むとしたら、これは労働者、労働組合の選択の自由であり、全厚生はこの人たちの期待に応える義務があるのは当然のことであります。
以上で国費評運動の特徴、問題点の指摘を終わります。言いたいことはまだまだありますが、時間もありませんので、次に、全厚生の運動の方向について発言します。

(1)今一番求められている運動は、社会保険制度、行政に対する国民要求の実現のために奮闘することであります。具体的にいえば、年金の受給手続きの簡素化、事前通知制度の導入、相談システムの改善、遺族、加給年金の収入制限の公平化、国年の加入可能年数と納付月数の矛盾の解決など、社会保険労働者でなければ、全厚生でなければ組織できない要求を、厚生省社会保険庁につきつけて一つ一つ解決していくこと、そのためには、年金者組合、住民団体、国民レベルでの共同闘争を積み重ねることであります。そして、条件があれば、国費評の中央、地方レベルに共同行動を粘り強く呼びかけることが必要と思います。

(2)次は全厚生自身の運動と理論政策水準を高めることであります。私は、若い頃、国公共闘の議長をされていた樋口さんの講演を聞いて感激し、以来、国公運動、特に理論政策面を自分の運動の指針として勉強もし、実践してきました。樋口さんは「国公労働者の賃金は力関係があれば高ければ高いほどいいかというとそうではない、やはり国民が納得できる、民間労働者の賃金水準の、真ん中ぐらいに落ち着いていかざるを得ないだろう。そのとき国公労働者は民間労働者の春闘に連帯してたたかわなければならない、これが公務員労働者の春闘の意義である」と話しておられました。
 私は、正直に申し上げて、全厚生の運動は、他の国公に比べて、公務労働論、公務員労働者論の理論構築が遅れていると思います。厚生省、社会保険庁に働く労働者はどういう立場で仕事をするのか、悪政の推進者とならないためにどうしたら良いのか、労働組合は、国民の要求と、自らの労働条件をどう統一していくかなど、各部門で真剣に研究検討する必要があると思います。われわれ国家公務員は法律に基づいて仕事をしなければなりません。たとえ悪い法律制度でも、いかに矛盾があろうと勝手に仕事することは許されません。しかしながら、悪政を当然として国民に押しつけるのと、国民の気持ちを理解し、悪政に批判的見解を持ちつつ仕事するのでは大きな違いがでます。公務員労働者とその労働組合が、国民本位の行政の実現のために心をくだき、努力するならば、それは必ず、国民の支持と理解を得ることができると確信するものであります。
 今国民は、私たちの想像を超えて、公務員労働者に批判の矛先を向けています。これは政府、マスコミの世論誘導、悪政に対する国民の腹いせなどの側面はありますが、公務員労働者の行政姿勢、公務員労働組合の運動に対する不満の表れとして、真摯に受けとめることが重要と思います。私たちが国民の声を聞かずに運動すれば、世論から孤立し、国民の支持を失って、運動は後退を余儀なくされることでしょう。反対に、大胆に自己点検をして、国民本位の行政の実現のために奮闘するならば、要求は前進し、国民からは「頼りになる組合」として支持と信頼を勝ち取ることができると思います。
 このような運動の前進のために、微力ながら力をつくす決意を申し上げまして発言を終わります。ありがとうございました。



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