見出し

◆第1786号 (2016年4月20日付)◆
不当解雇の全面解決を 賃金改善、大幅増員を

官房人事課長と交渉 処遇改善、雇用保障を

 全厚生は3月24日、春闘の重点要求で大臣官房人事課長交渉を実施。交渉団は、山本委員長、市川・今井・川名副委員長、杉浦書記長、小川・國枝・小出・坂本・野口・藤江・山田中央執行委員が出席。人事課からは田中人事課長、八神参事官、堀井人事調査官らが対応しました。
 冒頭、山本委員長が趣旨説明。春闘山場の時期であり、国家公務員及び非常勤職員の賃金改善を要求。さらに厚生労働行政の役割発揮を発揮する上でどの部門もこれ以上の定員削減を到底受け入れることはできないと指摘し大幅な増員、行政ニーズに応じた定員確保を要求。社保庁職員の不当解雇撤回の課題では、政府・厚労省の責任で全面解決のために最大限の努力を要求。日本年金機構の業務体制の拡充では厚労省の責任ある対応を要求。その上で年金機構の一方的な改革は問題だと指摘。厚生労働行政が国民の期待に応え、誇りと生きがいのもてる職場環境づくりへの努力を求めました。
 これに対し、田中人事課長が一括回答。回答後は、交渉団が各課題で要求前進に向けた厚労省当局の努力を迫りました。

実効ある超勤縮減を 健栄研の地方移転で発言

 マイナンバー制度の課題で杉浦書記長は、「マイナンバー制度は未完成。個人カードの取得は任意。希望する職員には従来通りの扱いにすべきだ」と発言。分限免職処分の撤回の課題で國枝中執は、「裁判所の判決を待つのでなく、全面解決のために厚労省の英断を求める」と発言。年金機構の体制確保の課題で藤江中執は、「トップダウンで一方的な業務改革でなく、現場を正確に理解した改革を求める」と発言。伊東センターの課題で今井副委員長は、「伊東センターの廃止に伴い退職せざるを得ない職員に対し最大限、丁寧な処遇の扱いを求める」と発言。試験研究機関の課題で野口中執は、「感染症対策は予測できない。重点分野だけでなく地道に基礎研究ができる体制強化を求める」と発言。健康・栄養研究所の課題で山田中執は、「地方移転で研究所の機能が大幅に損なわれることが予想される。将来的なビジョンを示して欲しい」と発言。超勤縮減の実効ある改善の課題で市川副委員長は「根本的な解決には業務量に見合う定員の確保が必要だ」と発言しました。

回答要旨(◇要求 ◆回答)

◇国家公務員及び非常勤職員の賃金改善を行うこと。
◆国家公務員の給与は、社会一般の情勢を反映した適切な水準にすべきであるとともに、公務の特殊性及び職員の生活実態等を十分に考慮し、職員が安心して職務に精励できるよう、適切な措置を講ずる必要があると認識している。人事院等関連機関に働きかける。非常勤職員の賃金は予算の制約があり早急な対応は困難だが処遇改善に向けて検討する。

◇非常勤職員の処遇改善、安定的な雇用保障に努めること。
◆非常勤職員の休暇制度等の改善は毎年、人事院関係局長宛に要望してきた。今後も安心して公務に専念できるよう機会を捉えて要望する。期間業務職員の採用は公募が原則。勤務実績に基づき公募によらない採用を2回まで行うことができる。公募によらない採用を2回された者は適正な公募・選考を経て更に採用されることは制度上否定されていない。

◇必要な定数を確保し希望者全員を再任用すること。生活を維持するにふさわしい賃金水準を。
◆昨年12月の閣議で公務員制度担当大臣から「再任用職員の能力及び経験をより一層本格的に活用する方策の検討に取り組む」との発言があった。再任用職員の給与水準は、職務・職責に応じた公務に相応しい水準を確保するよう関係機関に要望していく。

◇マイナンバー制度は中止を。個人番号カードのICカードとの一体化は中止を。希望する職員には従来通りの身分証を交付すること。
◆厚労省としては昨年6月の閣議決定を踏まえ、順次個人番号カードとの一体化を進めていく予定である。個人番号カードを紛失した場合、「なりすまし利用」などの悪用は困難であると承知している。今後、一体化カードの導入に当たり、職員から不安の声があれば、万が一紛失しても悪用が困難であること等を丁寧に説明する。

◇政府・厚労省の責任で分限免職処分撤回・全面解決のために最大限の努力を行うこと。
◆裁判で係争中の問題であり、分限免職処分の撤回は考えていない。「業務運営に関する基本計画」は、国民の公的年金業務に対する信頼を回復する観点からなされたものと理解しており閣議決定を撤回することは困難である。

◇日本年金機構の安定的な業務運営を行うために、基本計画を見直し、業務体制を拡充すること。
◆厚労省としても国民への信頼回復のため、引き続き日本年金機構をバックアップし、一体となって年金事業の運営に取り組むことが必要であると強く認識している。年金局においても安定的な業務運営を行うべく必要な予算確保に努力していると認識している。

◇伊東重度障害者センターで働く職員の意向や希望を十分に尊重し、職員の身分・労働条件の後退を招かないよう万全の措置をとること。
◆統合に伴い伊東センターの職員は他の施設に転勤となる。人事異動は、国立リハセンターへ移動する利用者の方々へのサービス提供が適切に行われることを最優先に十分検討する。職員の身分・労働条件の後退を招かぬよう障害保健福祉部に伝える。

◇国立試験研究機関は国が責任を持って運営し拡充すること。国立健康・栄養研究所の一方的な地方移転は行わないこと。
◆国立試験研究機関の人員及び予算の確保は、各機関から意見を伺い必要な要求に努めている。国立健康・栄養研究所は、4月の政府関係機関移転基本方針で全部移転に向けて大阪府、厚労省、研究所で調整し平成28年度中を目途に成案を得る。今後は移転に向けて、職員の身分・労働条件の後退を招かぬよう厚生科学課を通じ同研究所に配慮するよう伝える。

◇超過勤務を大幅に縮減し、不払い残業を根絶すること。「フレックスタイム制」や早出勤務の実施等の一方的な勤務時間の変更は行わないこと。
◆長時間労働の削減等は、喫緊の課題と受け止め、強力に取り組む。
必要な定員の確保は、業務の重要性、特殊性を丁寧に説明し最大限の努力を行う。4月から施行の「フレックスタイム制」は、希望する職員から申告が行われた場合、可能な限り適用するよう努める基本を踏まえ適切な運用に努める。

◇メンタヘルス対策を強め職員の健康と安全を確保すること。ストレスチェック制度は職員の自主性の確保、プライバシーの保護、不利益防止の措置を徹底すること。
◆職員の健康管理は健康管理医を配置し、各種健康診断を実施するなど職員の健康の保持増進に努めている。ストレスチェックは、職員に受検義務はないこと、結果は本人の同意がなければ医師等の実施者から健康管理者へ提供されないこと、禁止されるべき不利益な取り扱いなど、十分に周知する。


全厚生結成70周年を迎えるにあたって 全厚生中央執行員会
全厚生労働組合結成70年に

 全厚生は4月20日、結成70年を迎えます。全厚生中央執行委員会は「全厚生結成70周年を迎えるにあたって」と題する文書を発表し、多くの先輩たちに感謝するとともに今後の奮闘を呼びかけました。

不当解雇撤回を団結の力で要求を実現

4月20日で結成70周年


 全厚生労働組合は、本日4月20日で結成70年を迎えました。この70年の歴史は、多くの先輩達の汗と涙の結晶であり、その時々に懸命に生き、活動してきた数多くの歴史が刻まれています。いかなる時も団結の力で組織を支え、維持し、発展させながら今日を迎えています。全厚生運動にかかわってこられたすべての皆さんとともに喜び合いたいと思います。

組合結成は希望の灯

 全厚生結成の歴史を振り返ることは、私たちの組合の原点を知る上で大切なことです。第2次世界大戦(アジア・太平洋戦争)という侵略戦争の終結、敗戦の中で国民・労働者は、新しい社会を築くために飢えと苦しみに耐えながら生き、働きました。その時代、戦前の暗黒と無権利状態から開放される下で、官公庁の中で2番目となる旧厚生省での組合結成は希望の灯(ともしび)となりました。

全国組織化で要求前進

 結成当時、本省と在京の研究機関の職員でつくった組合から、社会福祉施設、社会保険と全国組織化の方針の下、職場の労働条件を改善するために労働者の熱い思いと勇気ある決意で一つ一つ組合を立ち上げ、組織を大きく前進させました。1980年には、全医労と厚生共闘(厚生省労働組合共闘会議)を結成し、旧厚生省内の団結を一層強化しました。その後、2001年に中央省庁再編で厚生労働省になって以降、本省共闘(厚生労働本省労働組合共闘会議)を結成するなど、厚労省内の団結強化に努めてきました。

社会保障の拡充に全力

 全厚生は、平和と社会保障の分野で重要な役割を担ってきました。1954年、吉田内閣がすすめた再軍備策動に反対し社会保障を守るための行動を起こした歴史は、全厚生運動の原点です。規約第3条は、「社会保障の確立のために行政の反動化に反対し、わが国の平和と民主主義の確立に寄与することを目的とする。」と記しています。平和なくして、社会保障の発展はありません。憲法9条と憲法25条を守り発展させ、国民の幸せに生きる権利を守るために力を尽くしてきた活動に誇りをもち、この輝かしいバトンを将来にわたり受け継がなければなりません。

厚労行政切捨て許すな

 全厚生は今、歴史的な困難に直面しています。社会保険行政の解体・民営化の攻撃に対し、毅然として立ち向かっているからです。社会保険庁職員525人の整理解雇に対し、不当解雇撤回闘争を開始して7年目に入り、原告28人が裁判闘争でたたかっています。日本年金機構での組合活動は、厳しいたたかいが続いています。社会福祉施設の組織再編を伴う塩原視力障害センターと伊東重度障害者センターの廃止、試験研究機関で続く組織再編や独立行政法人化など、厚生労働行政を切り捨てる政策は、国民の立場で行政を担う労働者の誇りと働きがいを奪っています。道理ある要求を高く掲げ、職場と地域に根ざし、国民とともに歩んできた歴史と原点を今日に活かし、力強く前進させなければなりません。

幾多の困難乗り越えて

 全厚生70年の歩みは、困難な時期があっても、職場の切実な要求に根ざし、真に解決する道筋を見極め、団結の力で繋いできた歴史です。働くものの自由及び権利は、不断の努力によって守り発展させなければなりません。全厚生は、幾多の試練を乗り越えてきた歴史を胸に刻み、労働者の誇りと希望をもって、たたかい続ける決意です。戦争法が3月29日に施行される中、その廃止を求める自由で自発的な運動が前進しています。民主主義の力こそ、社会を変える希望です。さあ、新たな未来に向かって、スタートしましょう。
 2016年4月20日
 全厚生労働組合中央執行委員会


社会保障闘争の先頭に立つ 職場要求実現に全力

組合の原点を貫き全厚生の発展を
大倉修二さんが若者へ


 全厚生結成70年おめでとう。私はこの日を迎えたことを喜びと涙のなかでしずかに70年をふりかえっています。私が人生最初の組合員になったのは、いまから60年ほど前だったと思います。
 若者はみんな貧乏でしたが全厚生に結集してたたかえば必ず光が見えてくることを信じていました。
 全厚生は当時全国組織ではなく、本省庁中心の小さな組織でしたが、労働組合の原点を守りたたかうすばらしい組合でした。この原点は変えることなく今日をむかえています。
 私は老人となり病気のために身も心もボロボロになっていますが、一日として全厚生のことを忘れたことはありません。
 組合員のみなさん。これから全厚生百年にむかって守り発展させてください。(元全厚生中央執行委員長)

職場の民主化を
満ち溢れる要求


 日本の敗戦を受けて職場の民主化を求めて官公庁の職場で一斉に組合が作られ結成したばかりの官公労が労働条件の改善と職場の民主化を求めて2・1ゼネストに向かったことをよく先輩から聞きました。また、安保闘争では、職場からみんなで国会に向かいました。
 最近の自民党の公務員と国民を対立させる構図に、職場は不満と要求が満ち溢れています。組合員は少なくても職場要求を聞き、取り上げる組合があることがどれだけ多くの職員を勇気づけているか分かりません。この間の全国で巻き起こった「戦争法」反対の運動も国民の過半数が安倍首相の政治にNOを突き付けたもの。歴史はしっかり生きています。そのことに確信をもって全厚生の皆さんも歴史の法則に立って進んでください。
(本省支部OB)

忘れぬスト決行
首覚悟で組合結成


 私と全厚生の出会いはやはり香川県支部とのかかわりである。全厚生結成20周年の年、わが支部が社会保険支部としてトップバッターで全厚生に加入したのである。首を覚悟で組合を立ち上げた先輩諸氏の努力であり、誇りさえ覚えていた。
 初めての本部を訪ねたのは、かの赤レンガの書記局であった。運動方針の支柱である「軍事費より社会保障の充実を!」のスローガンは、現在も脈々と引き継がれている。年金・医療・福祉などの自然増予算までもが削られる悪政のもとで、一層輝きを増している。
 一番印象に残っている思い出は、初めてストライキをした時のことである。組合員は早朝集会に結集してくれるだろうかと庁舎前で待機していた。ストライキは全員参加で決行。その感激は今も忘れない。
(香川県支部OB)

恣意的人事に反対 闘争は一年超続く

 私は1963年4月に国立衛生試験所大阪支所に入り、ここで組合員としてのスタートを切り、3年後に国立栄養研究所に異動し、ここで1991年に管理職となって組合員から離れました。この間、支部での活動を中心に組合活動に深くかかわってきました。
 とくに忘れられなのは、栄養研究所での民主化運動でした。70年代はじめ、所長の恣意的な人事に対して、全所的な反対運動が展開されました。全厚生本部の支援も受けながら、闘争は1年以上に及びましたが、大きな成果がありました。この中で、所内運営のあり方にとどまらず、自身の研究についても社会的な問題との関連を追及する姿勢が養われました。組合活動を通じて他の厚生省内組織の方々とも交流ができました。
 こうした経験は私の視野を広げることになり、停年退職後も様々な分野の方々と交流しながら活動できることに繋がっているように思います。組合活動は視野の広い、民主的な人間を作る上で絶好の組織です。
 (栄養研究所支部OG)

全厚生運動に誇り
厚社連に関って


 福祉施設部門で活躍させていただきましたが、入所者の方々のリハビリテーションに関る中での活動ということで、特に廃止を予定された施設に対して、どう対応するかどうかということが難問でした。私自身も、在京から所沢へ移り合併した経験から、重苦しい時期を過ごしました。
 そういう中でしたが、50周年記念のオーストラリア旅行、沖縄の平和大会に参加したこと、部門の各支部をオルグできたこと、北欧の福祉視察旅行ができたことなど、一生の思い出となりました。人生には様々な生き方の道がありますが、自分が選んだ全厚生の道で活動できたことは誇りであり悔いのないものです。これからも全厚生OBとして社会保険、伊東センター、研究機関、本省などの困難な課題にも少しでも関りたいと思っています。
(国リハ支部OB)

人事交流を実現
組合の存在実感


 いまだに若き時代の組合活動を鮮明に覚えています。組合に関った昭和50年頃は、まだまだ労働環境が整っていない状態でした。残業をしても保障がなかった頃でした。でも、仕事そのものは嫌でなかったし、最も世の中に必要な仕事であると自負していました。
 しかし、どうしても納得のいかないことがありました。それは当時、厚特会計と国年会計があり、それぞれのルールがあり、採用された会計によって差があったことです。同じ職場に席を置きながらその差に矛盾を感じる毎日でした。その差を埋めてくれたのが組合の存在でした。
 今は亡き宇都宮大先輩に組合の「く」の字もわからないのによく頑張るなあーと言われたのが耳に残っています。時間の経過によって岐阜県支部は、全国でも早く人事交流に合意が出来ました。
 今、私は天下分け目の関ケ原・古戦場でガイドをしています。お出かけください。
(岐阜県支部OB)


1946年から2016年 全厚生70年の軌跡

■《1945〜1954年》
生活危機突破・官庁民主化の闘い
 1946年4月20日、全厚生労働組合の前身である厚生省職員組合が発足。生活危機突破と官庁民主化の二大要求を掲げて闘った。2.1ゼネスト中止後、反動攻撃が強まる中で「年末手当よこせ」「行政整理に伴う首切り反対」の闘いに結集。「再軍備より社会保障 厚生行政を守れ」と庁舎に懸垂幕をさげ、街頭署名に立った。

■《1955〜1964年》
社会保障闘争と要求実現目指す職場闘争
 戦後10年を経過した日本は、「60年安保闘争」をはじめ大闘争が展開され、国民春闘がスタート。1962年5月の大会で「全厚生職員労働組合」に名称を変更し、職場闘争が積極的に展開され、臨時職員の全員定員化を実現。塩原、神戸、別府など社会福祉施設に組合を組織し、全国組織化を進めた。16支部に分かれていた厚生本省では支部を一本化し本省支部として活動を開始した。

■《1965〜1974年》
社会保険の全国組織化が進み要求が前進
 66年2月香川を皮切りに、岐阜、愛媛、愛知、大分、秋田、岩手の社会保険の職場に全厚生の支部が誕生。研究機関では多摩研、精神研が、福祉施設では福岡視力、東京視力が全厚生に加入。全国組織化で組織力が強まり、給与公開闘争、大幅賃上げめざしてストライキを決行するまでになった。パンチャー病との闘いの先頭に立った、70年4月人事院は石津さんに業務上公務災害の認定を出した。

■《1975〜1984年》
臨調行革と闘い賃上げ・増員・昇格改善へ
 75年9月から87年7月まで戦後最大の不況が続く。医療費・健康保険など社会保障の改悪が進む。全厚生と全医労は80年12月、厚生省労働組合共闘会議(厚生共闘)を結成。大臣交渉、支部での所属長交渉を積み上げ、賃金・増員・昇格など3大要求でスト体制を確立して奮闘した。社会保険の天下り撤回闘争、少数職種・女性の昇格改善の闘いで成果を上げる。年金街頭相談活動が大きな反響を呼んだ。核兵器廃絶・平和運動にも全力で取り組んだ。

■《1985〜1996年》
国民の生活・健康・労働を守る闘い
 この10年は臨調路線の下で生活と労働を守る闘いであった。全厚生は賃上げ・昇格改善の闘いとともに社会保障の充実、平和・民主主義の闘いに結集。90年10月、臨調行革10年で厚生行政はどう変わったかを検証する「医療保障政策シンポ」を開催し注目される。86年厚生教官に教育職四表が適用、粘り強い運動が実る。91年4月全厚生静岡県支部結成。予研支部が90年11月非核・平和宣言を採択。94年12月京都府職労社会保険支部が全厚生へ加盟。95年9月、神奈川県職労社会保険支部が全厚生へ加盟。

■《1997〜2006年》
多くの困難な中で女性・青年活動の前進
 99年7月、地方分権一括法が成立。地方事務官問題が全厚生の主張に沿った内容で決着した。97年9月滋賀県職国職協が全厚生に加入。99年12月全厚生大阪支部結成。2000年7月全厚生大分県支部結成。女性部の結成にみられるように女性・青年運動が前進。昇格での男女差の解消、セクハラの取り組みなど要求が確実に前進した。

■《2007〜2016年》
社会保険庁解体、不当解雇撤回闘争
 09年12月、長妻厚労大臣は社会保険庁を解体・民営化し、社会保険庁職員525人もの分限免職(解雇)を強行。10年1月日本年機構がスタート。10年1月18日、全厚生の組合員39人が不当解雇撤回を求めて人事院に分限免職処分取り消しの申し立てを行う。10年7月、京都の組合員15人が分限免職処分取り消しを求めて京都地裁に提訴。人事院は10人の処分取消で職場復帰。その後北海道、秋田、東京、愛知、愛媛でも裁判闘争に立ち上がる。京都に続き16年3月30日に愛媛事案の不当判決が出された。


解雇容認の不当判決

政府の責任は明らか
愛媛事案 大臣の回避義務を認定


 3月30日午後1時30分、高松地裁(福田修久裁判長)は、旧社会保険庁職員(愛媛原告3人)の分限免職処分取消請求事件に対し、「原告の請求をいずれも棄却する」と判決。司法の役割を投げ捨て、道理なき解雇を容認する不当判決でした。
 旧社保庁職員の不当解雇撤回闘争は現在、1高裁(大阪)、5地裁(札幌・仙台・東京・名古屋・高松)でたたかっています。裁判判決は、昨年3月25日の京都事案の大阪地裁での不当判決に次ぐ、2回目の判決でした。
 判決後の報告集会には支援者92人が参加。愛媛闘争団長の原告は、「労働者、公務員としての尊厳を取り戻すために控訴し闘う」と決意表明。
 愛媛弁護団を代表して水口晃弁護士は、判決の内容を解説。分限免職(解雇)回避努力の主体について、「厚労大臣等も、社保庁長官等の上記義務履行を補助する立場にあるといえ、法的にも分限免職回避努力義務を負うべきというべきである」と厚労大臣の分限免職(解雇)回避努力を明確にさせた点は重要であり、政府の責任は動かしようがないと述べ、たたかえば道は開けると語りました。集会では香川県労連の堤昭議長、全労連四国地区協議会の山本正美議長、全労連の根本隆副議長、国公労連の黒田健司副委員長、全厚生の杉浦公一書記長が挨拶しました。

公務員の尊厳かけ控訴して頑張る

 裁判長が主文「原告らの請求をいずれも棄却する」「訴訟費用は原告らの負担とする」と述べた後に閉廷。1分もかからない呆気ないものでした。
 その後弁護団が裁判所から判決書を受け取り読み込みを行った後、香川県弁護士会館で報告集会を行ないました。報告集会では、弁護団から極めて不当な判決であるが、分限免職の回避努力義務について「厚労相の法的責任」を認めた点は大阪地裁判決より前進した。厚労大臣の指揮命令権限は内閣総理大臣にあるのだから「内閣の責任は動かし難い」、控訴して闘えば道は開けるのではないかとの報告がありました。
 私は最後に、これまでの闘争支援へのお礼を述べたのち、「今日の判決を聞いて首にされた当時の悔しい思いがよみがえってきた。37年近く頑張ってきた労働者としての、国家公務員としての尊厳を取り戻すために控訴して頑張りたい。引き続きのご支援をお願いしたい」との決意を述べました。全国の仲間の皆さんの引き続きのご支援をお願いします。


見切り発車するな
業務改革で機構本部交渉

 全厚生は3月24日、日本機構本部と「再生プロジェクト」の内容で交渉しました。機構本部から木谷理事、名和労務管理部長、安倍人事管理部長らが対応。全厚生は山本委員長、平丸副委員長、川名書記長、小川中執、佐藤中執が参加しました。
 交渉では、12月18日に示された「再生プロジェクト改革」(案)に基づく業務改革について、(1)職員への周知(2)労働組合との協議(3)現場支援体制(4)女性の管理職登用(5)広域人事異動(6)人事評価制度(7)ジョブローテーションなど7項目にわたる問題点を指摘し、周知も不十分ななかで4月からの見切り発車をしないよう強く要求しました。
 交渉では、機構本部が回答した後、7項目別に考え方を質しました(別項)。しかし機構本部は「やれる、よくなる、だから実施する」といった回答に終始しました。

職場に混乱生む
罰則強化は容認できぬ

 (1)職員周知について、「指示・依頼を発出するだけで周知したと言えないだろう」と指摘。機構本部は不手際を認めませんでしたが、「現場の声を聴く仕組みを作っていきたい」と回答しました。
 (2)労働条件の課題では、「昇格再編等で減になったポストは運用していく方向で検討している。不利益は起こらないようにしたい」と回答。
 (3)現場支援体制をめぐっては、職員に不安があることを指摘したのに対して「今後は地域マネージャーが現場の立場に立って吸い上げる役割。28年度はブロックに人員が入るので支援体制は組める」と回答しました。
 (4)女性の管理職登用については、「超勤の縮減は実現していきたいが、思うように進んでいない。通勤時間の短縮すべてに約束できないが、十分配慮はしていきたい」と回答しました。
 (5)広域人事異動は誰もが納得するような人事異動をするべきだと再度迫りました。
 (6)人事評価制度では、現行の制度の何が問題だったのか、全く示されないままの変更は理解できない。罰則強化の変更は容認できない、受け入れられない、考え方を改めるよう迫りました。
 (7)ジョブローテーションについて、所長も含め現場職員のほとんどが反対している、国民サービス低下と職場に混乱をもたらすと指摘し、撤回を求めました。
 現場の声に耳を傾けようとしないでトップダウンの姿勢を貫く機構本部の姿勢は問題です。


違憲の戦争法廃止を
武器使用が現実のものに

 安倍政権が平和主義、立憲主義を破壊し、昨年9月に強行成立させた戦争法(安全保障関連法)が3月29日施行されました。
 戦争法は戦争放棄、戦力不保持を定めた憲法9条を踏みにじり、世界のどこでも米国が起こす戦争に日本が参戦するための違憲の法制です。
 憲法9条の下で、1954年の自衛隊創設以来、一人の戦死者も出さず、一人の外国人も殺さなかった戦後日本の在り方を根本的に変えるものです。国民の批判や不安になんら応えることなく、戦争法の施行を決めた安倍政権の姿勢は重大です。
 戦争法の本質的な危険は、日米同盟を憲法の上に置き、米国の戦争に日本が参戦する仕組みが盛り込まれていることです。
 歴代政権が違憲としてきた集団的自衛権を行使し、自衛隊の海外での武力行使を可能にしたのです。安倍首相や中谷防衛大臣は、国連平和維持活動(PKO)などでは「駆けつけ警護」「住民保護」を目的とした警備などの任務遂行のための武器使用を認めています。自らは攻撃されていないのに先制的に武器を使用する恐れもあります。
 戦争法の施行により、「殺し殺される」という現実の危険が差し迫っています。戦争法廃止と集団的自衛権行使容認の「閣議決定」撤回、立憲主義回復を求める世論と共同の闘いを広げ、安倍政権を追い込むために全力を挙げることが求められています。

国会前に3万7千人

 戦争法が施行された3月29日、戦争法の発動を許さないとともに廃止を求めて、全国各地で行動が展開されました。国会正門前では、「戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の行動には3万7000人が参加しました。


解雇無効の判決
IBM解雇撤回闘争で

 解雇撤回闘争を全厚生、JALとともに闘ってきた日本IBM「ロックアウト解雇」の撤回を求める裁判で3月28日、東京地裁は原告5人に吉田裁判官が原告全員の解雇を無効とし、解雇時点にさかのぼって賃金を支払うよう会社に命じた判決を出しました。
 原告はJMITU(日本金属製造情報通信労組)日本IBM支部組合員の男性4人と女性1人。12年7月〜13年6月に解雇され集団提訴しました。会社側は解雇理由を労働者個人の業績不良だと主張しましたが、判決は「客観的に合理的な理由を欠き権利乱用として無効」としました。


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