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◆第1784号 (2016年1月15日付)◆
社保庁職員の処分撤回を 塩崎厚労大臣と団体交渉

必要な人員と予算を厚労省は責任を果たせ

 全厚生と全医労で組織する厚生共闘は12月22日、塩崎恭久厚生労働大臣と団体交渉を実施。厚生共闘からは、佐藤議長、山本・香月副議長、杉浦事務局長以下、幹事会メンバーが出席しました。
 冒頭、佐藤議長は(1)憲法25条の理念を活かし、医療並びに公衆衛生の向上を図り、国民の健康と福祉を向上・発展させるために、現場の職員の意向を十分考慮し、必要かつ充分な人員と予算を確保すること。「定員合理化計画」を撤回し、大幅な増員を行うこと(2)国立ハンセン病療養所の医療、介護、看護の充実を図るため、医師、看護師、介護員等の必要な体制を確保すること。看護師の夜勤体制は複数・月6日以内とすることの要求趣旨を説明しました。
 続いて山本副議長は、社会保険庁の廃止に伴う不当な分限免職処分について、人事院の公平審査請求で処分取消の判定が出され、かつ分限免職回避努力が不十分であると認定したことを真摯に受け止め、政府・厚労省の責任で処分撤回、全面解決のために最大限の努力を行うことの要求趣旨を説明しました。

社保、再検討を迫る 佐藤議長が再要望

 分限免職処分の課題については、納得できる中身ではありません。分限免職処分された職員は塗炭の苦しみを味わっておりまして、年金機構に移られた職員も厳しい労働実態の中で一生懸命がんばっています。個々の事案、個別事情の問題では決してありません。国民から信頼される年金業務体制の確立のため再検討を強く求めます。人員と予算、体制確保の課題は、現場の切実な要求を受けとめて、引き続く努力をお願いします。国民の命と健康を守り、社会保障を担うために、厚生労働省の責任を果たすことが重要です。特にハンセン病療養所の療養環境の改善は、入所者にとって、待ったなしの要求です。看護師、介護員の増員と労働環境の改善に向けて特段の努力を求めます。国民の期待に応え、行政を安定的・継続的にすすめる立場で一層のご奮闘をお願いします。

大臣回答

●憲法25条の理念を活かし、必要かつ充分な人員と予算を確保する課題
○総人件費の抑制など行財政改革を引き続き着実に推進する必要は共有しなければならない。一方、厚生行政は国民の安心、安全、最後の砦と直結する重要な分野であると認識しており、必要な体制を確保し、行政に望まないといけない。
●国立ハンセン病療養所を充実させる課題
○ハンセン病療養所の運営に必要な人員について従来から人員の確保に努力してきた。今後とも確保につとめてまいりたい。看護の業務の実態、病棟に入院する入所者の状況等に応じた体制の確保が大事であり、取り組んでいきたい。
●社保庁職員の分限免職 処分を撤回させる課題
○年金機構で情報流出の問題があり、年金業務は非常に重要な業務であることを再認識している。分限免職処分を取り消した人事院の判定は重く受け止めなければならない。分限免職の取消は、請求者の個別の事情によって、処分の妥当性を欠くものと判断されたもの。旧社保庁の廃止時に分限免職処分をだしたことそのものに違法性があると判断されたわけでわないので処分を見直すことは考えていない。


ILO要請行動 日本政府へ強い働きかけを

 国公労連は昨年11月16・17日、スイス・ジュネーブのILO(国際労働機関)本部に要請団を派遣し、公務員制度・労働基本権回復をめざす事案(2183号)と社会保険庁職員の分限免職(解雇)撤回を求める事案(3051号)で要請。
 要請団は、国公労連・鎌田書記長を団長に、同青柳中央執行委員、弁護団から弁護士、全厚生闘争団からは原告が参加しました。

担当部長と面談 労組敵視の背景を重視

 2013年のILO提訴から約2年が経過、2回目の訪問となりました。出発直前に一回目の日本政府あての勧告が出されました。そのなかで公式に国際的な労働基準に照らして問題のある解雇事件であることが、指摘されています。
 現地では国際労働基準局のカレン・カーチス部長(結社の自由担当)との直接面談が叶いました。カーチス部長は「政府の主張と労働者の主張は違う。当事者・労働組合からは、裁判の結果や動向などを待つことなく、どんどん遠慮なく情報提供をしてほしい。政府が労働組合への敵視を強める背景などは特に重視される。結社の自由委員会としては、労働組合役員への差別があったのかについて検討する」など、さらに日本政府に働きかけを強めたいというILOの姿勢を明らかにしてくれました。こうした心強い姿勢を背景に、不当解雇事件の一日も早い解決を目指すとともに、日本政府が狙う「公務員の首切り自由化」で雇用をちらつかせ、「物言わぬ公務員づくり」による「『国際貢献』への奉仕者づくり」を押し返す取り組みにつなげていきたいと決意を新たにしています。引き続き社保庁不当解雇撤回闘争へ、ご支援をよろしくお願いします。


不当解雇撤回を 裁判闘争勝利へ決起

原告らが力強く合唱 闘いの中で生まれた9曲

 「旧社会保険職員の不当解雇を撤回せよ」と昨年10月30日、東京・全労連会館で開かれた決起集会は、裁判闘争勝利に向けた一大決起の場となりました。この集会は国公労連・全労連と全厚生闘争団が主催して開いたもの。会場は200人の参加者でぎっしり埋まりました。
 集会のハイライトは、6年間の不当解雇の闘いの歩みをうたい上げた合唱でした。闘いの中で作られた歌は9曲に上り、団結を固める力となりました。作曲は闘いの先頭に立つ全厚生委員長。
 狭い檀上は裁判を闘っている10数人の原告と支援者合わせて30数人が勢ぞろい。力強い声が会場を包みました。
 「私たちの誇りって何だろう。働き甲斐と生きがいを……」と作詞者のナレーションで1曲目の「ねえ、聞いてください」が参加者への呼びかけとしてうたわれました。そして「笑顔の意味」「お父さんのせなか」「道しるべ」と続き、最後にもう一度「笑顔の意味」が取り上げられました。
 ♪笑顔のある職場に 突然沸いた嵐 職場から笑顔が消えて 仲間が去って行った 嵐が来ても負けず 最後まで頑張った
 ♪笑顔の消えた仲間が 一人ひとり集まって 職場を取り戻すため 決意を新たにした 支える仲間が集り みんな笑顔で迎えた
 ♪職場を取り戻すために 闘いが始まり手をつないだ 多くの仲間に囲まれて 一歩ずつ進む 闘いに勝利して 笑顔を取り戻そう オー

団結の力に感動 勝利し笑顔を取り戻そう

 不当な解雇にくやしさ・切なさ・悩み・不安な気持ちをぐっとこらえ歯をくいしばって、勇気を出して立ち上がり闘い続けている原告の仲間たち。一人ひとりの原告の思いが伝わってきて、目頭をそっと押さえる参加者も。さらなる支援と広がりが必要なんだと決意を新たにする全厚生のOB・OGたち。
 感動の波が会場の隅々まで行き渡り拍手が長く続きました。原告と参加者が一体となった瞬間でした。壇上から降りてきた原告と握手を交わす光景があちらこちらで見られました。実に頼もしい団結の力強さ・絆の光景でした。

京都事案/大阪高裁で控訴審 5地裁で国の責任を指摘

 社会保険庁不当解雇撤回裁判では、北海道、秋田、東京、名古屋、京都、愛媛の6事案のいずれも口頭弁論が行われ、証人申請とともに国の責任を指摘し、不当な解雇を撤回し職場復帰を主張しています。その中で愛媛事案は1月13日に最終弁論で結審し3月30日に判決が出されます。
 京都事案の裁判は昨年12月1日、大阪高裁での控訴審が始まりました。第1回口頭弁論では、訴訟代理人の弁護士が大阪地裁判決の問題点を指摘し、公正な判決を下すため慎重な審理を要請しました。
 また、原告2人が意見陳述を行いました。その一人は「首になるとは夢にも思わなかった。年金業務から排除される理由は何もない。十分な審理を通して解雇がいかに乱暴であったかを明らかにしてほしい。そのうえで処分取り消しを求める」と訴えました。
 もう一人は「国民のためにと一生懸命働いてきた。解雇回避の努力もせずに首を切った厚労省に怒りを感じる。公正・公平な判断をしていただきたい」と要請しました。
 裁判には多くの支援者が駆けつけ、解雇を正当化した第1審での不当判決を逆転して全員の解雇撤回を勝ち取る決意を固め合いました。


戦争法廃止を 社会保障の改悪反対

 憲法違反の「安全保障関連法」(=戦争法)の強行採決から4か月。国民の怒りはおさまっていません。「戦争法を廃止させよう」と2000万人署名運動が各地・各団体で進められています。年明け早々の1月5日には「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が行った東京・新宿駅西口での街頭宣伝行動に5000人が集まり、戦争法廃止・立憲主義回復へ決意を新たにしました。
 国公労連は昨秋から「私たちは戦争奉仕者にはならない」を合言葉に、「守ろう憲法・国公大運動」を展開。その中で、戦争法廃止と公務・公共サービスの拡充を求めて街頭宣伝を行っています。
 この行動に全厚生も積極的に参加しています。東京・西新橋の交差点での行動では、杉浦公一書記長が「戦争法廃止にむけて若者からお年寄りまで思いをひとつにした共同をさらに大きくしていこう」(昨年11月27日)と呼びかけました。
 また杉浦書記長は安倍政治が社会保障分野でも暴走していると指摘し、「消費税増税で国民負担を増やし様々な給付を抑制するなど改悪が進んでいる。なんでも自己責任にし国の役割を投げ捨て改悪を続けており、憲法25条にも違反している」(昨年12月17日)と厳しく批判しました。


全厚生70年と私 手記をお寄せ下さい

 全厚生労働組合は4月20日、結成70周年を迎えます。1946年4月20日、全厚生の前身である厚生省職員組合が誕生しました。1945年8月15日の敗戦から8か月のことでした。焼土と瓦礫のなかで「国民・労働者は力強く立ち上がり、平和・民主主義の砦として労働組合を結成したのです」(元全厚生委員長)。
 全厚生は結成から今まで、一貫して組合員の要求前進と戦争反対、平和・民主主義を追求し、社会保障の充実をめざして闘い続けてきました。この全厚生70年の歴史は、組合員の喜び、悲しみ、苦しみのなかでの闘いの歴史でもあります。
 「全厚生70年と私」をテーマにした手記をお寄せください。400字程度にまとめてください。順次「全厚生」紙上に掲載します。


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