見出し

◆第1734号 (2010年1月1・15日付)◆


日本年金機構を生きがいと誇りの持てる職場へ
 2010年1月1日、日本年金機構が発足しました。社会保険庁は廃止され、年金記録問題も未解決のまま、業務を引き継ぎました。様々な経過措置や特例を繰り返してきた年金制度の運営には経験と知識が不可欠ですが、525人もの職員が分限免職され、勧奨退職等含め12月で1159人の経験ある職員が職場を去りました。
 職員の5割が非正規、民間採用の2千人強は未経験者、内定辞退で欠員も生じている中での日本年金機構の船出に、不安はいっぱいですが、「国民の年金権を守りたい」、「国民に喜ばれる仕事がしたい」という職員の願いに応え、生きがいと誇りの持てる職場へ、全厚生は全力でがんばる決意です。

労基法に基づく手続き
 民間の公法人となった日本年金機構の労働条件は、労働基準法や労働組合法をはじめ、最低賃金法、労働安全衛生法などの労働法に基づいて決定されなければなりません。これらの労働法規は労働者・労働組合の権利を守る日本国憲法を基礎に作られています。
 日本年金機構は、労働条件や服務規律などを明らかにした就業規則を作成しますが、当然、労働基準法の最低基準を満たしていなければなりません。また、就業規則は、事業場(年金事務所や事務センター)ごとに労働者代表(労働者の過半数が加入する労働組合がある場合はその労働組合、ない場合は労働者の過半数を代表する者)の意見を聴き、意見書を添付して、労働基準監督署長に届け出なければなりません。さらに、残業をさせるためには、労働者代表と「時間外労働及び休日労働に関する労使協定(36協定)」を、昼休みの窓口開設をするためには「一斉休憩の適用除外」についての労使協定を締結し、労働基準監督署長に届け出なければなりまぜん。

労働者代表として奮闘
 1月4日、年金機構の各職場では、始業の冒頭に、労働基準法に基づく職員代表を選出し、36協定、一斉休憩の適用除外の協定の締結手続きが行われました。
 全厚生は、16の分会で過半数労働組合として労働者代表となり、日本年金機構本部支部で北畠書記長が投票で労働者代表に選出されたのをはじめ、39の分会で全厚生組合員が労働者代表として選出されました。労働者代表はそれぞれ就業規則に対する意見書と付帯事項を提出し、意見を述べたうえで36協定と一斉休憩の適用除外の協定を締結しました。
 日本年金機構を生きがいと誇りの持てる職場に向けて、全厚生各支部は第一歩を踏み出しました。

機構本部
命と健康守れる職場に
労働者代表に北畠書記長
【日本年金機構本部支部発】全厚生業務センター支部は1月4日、日本年金機構本部支部と名称を改め、新たな民間型労働組合としてスタートを切りました。支部では、日本年金機構発足までに職員の過半数を組織することを目指してきましたが、残念ながら達成することはできませんでしたので、支部書記長の北畠弥生さんを労働者代表にしようと、4日の午前8時15分から「北畠弥生さんを労働者代表に」のビラと全厚生労働組合へ加入を呼びかけるリーフを高井戸、三鷹、荻窪の各庁舎で机上配布。飯塚委員長はじめ本部からも駆けつけ総勢14名で実施しました。日本年金機構本部では、北畠さんのほかにもう1名の立候補があり、職員約1250人を対象に記名回覧による選挙が行われた結果、北畠書記長が労働者代表に決定しました。
 午後から、労務担当部長から北畠書記長へ就業規則および「時間外労働及び休日労働に関する報告書(36協定)」、「一斉休憩の適用除外に関する協定」の説明が行われました。就業規則に対する意見書については、組合員の意見を聞いて全厚生労働組合として取りまとめた意見書を提出しました。意見としては、次世代育成支援対策推進法における「一般事業主行動計画」を職員の意見を聞いて一刻も早く策定し、育児を理由とした早出遅出勤務ができるようにするなど子育て世代も働き続けられる職場環境に。また、准職員・契約職員の労働条件改善と正規職員への道を開く採用の仕組みの確立を求めました。
 36協定締結にあたっては、1997年に亡くなった横森真二さんの過労自殺の損害賠償請求事件の判決文のコピーを渡し、過労死が出かねない時間外労働100時間の上限を引き下げるよう主張。安全衛生の観点から対応することや基本の45時間を超える場合は労働者代表へ報告することを確認したうえで、協定を締結しました。
 引き続き労働条件確保めざしてがんばります。

全厚生紹介リーフレットの活用を
 日本年金機構の職員向けの全厚生労働組合紹介リーフレットを作成しました。(A5版8ページ)全厚生の魅力を写真も使って紹介しています。民間型労働組合の豆知識も掲載。活用してください。

働き甲斐のある職場へ
ブロック単位で全厚生社保支部結成
 全厚生の社会保険各支部は、昨年12月に支部大会を行い、府県単位の支部を地方協議会とし、ブロック単位で社会保険支部を編成しました。 これにより、社会保険業務センター支部は日本年金機構本部支部に、秋田県支部は東北社会保険支部に、神奈川県支部は南関東社会保険支部に、静岡・愛知・岐阜の各県支部は中部社会保険支部に。滋賀県・京都・大阪・兵庫県支部は近畿社会保険支部に。香川・愛媛両県支部は四国社会保険支部に、大分県支部は九州社会保険支部として新たなスタートを切りました。

東北
全国の仲間と連帯して
秋田県から東北社保支部へ
【東北社保支部発】12月19日、秋田県支部は秋田市内において第40回定期大会を開催しました。
 本部の杉浦書記長からは40回大会ということもあり、支部発足時の当時の模様を当時の全厚生新聞を参考に、職場における組合の存在意義を熱く語っていただきました。
 社会保険庁廃止まで残り僅かとなり、分限免職の可能性がある者の1月以降の雇用が全く確保されていない異常な事態での開催のため、討議では仲間の雇用をどのように守っていくか、また万が一、分限免職が発令された場合の支援体制について議論が集中し、あらためて組合の存在意義を確認する大会となりました。
 また、第2号議案として提案された秋田県支部から東北社会保険支部への発展的改組についても採択され、1月以降の新しい体制を確認するとともに、課題が山積している中でも、全国の仲間との連帯を深め、団結して取り組んでいくことを確認し終了しました。

中部
分限免職撤回へ団結
静岡・愛知・岐阜3県で
【中部社保支部発】12月13日、静岡市にあるもくせい会館で全厚生中部社会保険支部結成総会を開催しました。全厚生中部ブロック・磯貝議長の挨拶の後、岐阜県支部澤村支部長が結成に至るまでの経過報告と支部規約を提案。満場一致で採択されました。湯浅代議員の結成宣言の後、中部ブロック国公・丹羽事務局長と近畿社会保険支部・柴田支部長から「社会保険庁で行われようとしている分限免職は許されない、あきらめず最後まで闘おう」と連帯の挨拶をいただきました。運動方針・予算の提案の後、討論を行い、代議員から懲戒処分になった組合員について発言がありました。そのなかで、上司に無理やりのぞき見の犯人にされた経過報告があり、参加者は憤りを感じました。また日本年金機構の問題点、労働者代表についてなど、活発な意見が交わされました。今後、裁判の原告になる代議員より決意表明があり中部支部一丸となって裁判を支えていくことを確認しあいました。議事は方針・予算とも満場一致で可決され、闘う決意を固めました。

たたかう組合の決意
兵庫・京都・大阪・滋賀
【近畿社保支部発】12月5日、近畿の社会保険4支部(兵庫県、大阪、京都、滋賀県)の組合員が参加して、全厚生近畿社会保険支部の結成大会を行いました。
 社会保険庁の廃止を間近にひかえ、分限免職を許さない取り組み、そして新組織でも労働者への不当な取り扱を許さない取り組みが提起され、「たたかう労働組合」として奮闘する決意を固めあいました。
 新支部の役員は、結成準備会からの推薦により、各府県からひろく選出。支部長を筆頭に女性が多く、また30代の若手の多い、展望のある役員体制となりました。
 私たちは、「みんなで決めて、みんなで行動」を基本に、労働条件の早期改善、准職員・契約職員の正規職員化の実現など、一人ひとりの思いや悩み、要求を大切にして、働きやすい職場、国民本位の社会保険業務運営を目指します。

四国
雇用闘争へ意思統一
香川・愛媛両県で支部へ
【四国社保支部発】四国支部結成の意義や規約案などを掲載した「四国支部結成準備会情報」を5回発行し、組合員への周知と大会への参加を呼びかけてきた香川県支部と愛媛県支部は、12月23日、高松市内で四国社会保険支部の結成大会を開催しました。
 大会には不当な取り扱いで、就職先が決まっていない組合員から怒りや不安な心情が語られるとともに、「不当な扱いは許せない」との思いで、新たな局面を迎えることとなる雇用闘争に立ち上がる決意が表明されました。また、年金機構のすべての職場で、組合員の拡大と労働条件の改善は一体のものとして取り組むことを決定しました。
年金機構設立まで、残りわずかの期間ですが、香川・愛媛県内のすべての職場で、全厚生組合員が労働者代表となるよう準備することや早朝門前で組合加入を呼びかけるビラを配布することなどが話し合われました。厳しい状況ではあるけれど、そんなときこそ元気で明るく活動しようと決意を固めあいました。

核も基地もない平和な日本を
09日本平和大会in神奈川に参加
 「みんなでつくろう!憲法輝く非核・平和の日本」を掲げ、「2009年日本平和大会」が12月11〜13日、神奈川県で開かれました。全体で3000人が参加。全厚生からは、神奈川県支部を中心に、兵庫県・京都各支部と本部から10人が参加しました。
 1日目の開会総会では、全労連の大黒作治議長が開会挨拶、日本平和委員会の千坂純事務局長が基調報告しました。
 2日目は、横浜市内で2つのシンポジウムと「女性の人権の視点からみる基地問題」など12の分科会が開かれました。夜には、青年による集会「peace shout」が開催され、海外代表を交えてのシンポジウム・リレートークなどで平和の思いを共有。
 3日目の閉会総会では、米兵に妻を殺された山崎正則さん、レイプ被害者のジェーンさん(仮名)が発言するなど、基地があることで被害が起きる現実を学び、「来年の安保条約改定50年に向け、日米軍事同盟廃棄の世論を広げよう」「NPT再検討会議に向けてNY行動に参加しよう」「1月の名護市長選で勝利を」などの呼びかけを確認して終了しました。

基地はいらない思い強く
近畿社保支部 組合員

 東京から目と鼻の先の神奈川県は、沖縄の次に米軍基地が多いそうです。沖縄についてもそうですが、普通に生活しているとそういうことをまったく知らずにすんでしまうことが多いと思います。戦争を放棄している国、平和だと信じている日本にはたくさんの基地や武器、兵士たちがいることに驚かされます。
 現地基地調査でノースドッグを海上から見学した後、神奈川県支部の川名さんから、平和の母子像のお話を聞き、実際に見に行きました。平和の母子像とは、1980年代に厚木基地から米軍機が民家に突っ込み、幼い二人の子とその母親の命を奪った事故を忘れてはならないと建てられたものです。事故を起こした米軍は、まったく責任を取ろうとせず、兵士を早々と本国へ帰還させ、日本政府もそれを容認、それどころか、治療を続けていた母親の和枝さんを家族と引き離し、精神病院へ転院させ、充分な治療を受けさせないで死に至らしめた、許されない出来事です。
 今、沖縄の普天間基地の移設問題が話題になっていますが、日本中どこにも基地はいらない。莫大なお金を払って自ら危険を呼び寄せるのか。基地がない地域に住む人も一緒になって考え、訴えなければと思いました。

国立福祉施設は国民の財産
施設管理室長交渉を実施
 全厚生は12月14日、社会・援護局施設管理室と社会福祉関係支部の重点要求及び労働条件改善の基本要求に基づき交渉を実施しました。交渉には、全厚生から飯塚委員長、今井副委員長、杉浦書記長、小出中執及び、函館・塩原・国リハ・伊東・神戸・福岡・別府の各支部代表が出席。施設管理室からは、阿部室長、三尾谷補佐、成瀬人事係長らが対応しました。
 交渉の冒頭、飯塚委員長は、国立施設の組織の見直しについて、「組織再編や施設の統廃合は障害者福祉のあり方や労働条件と直接関わる重大な問題。当該施設に働く職員の意見をしっかり受け止めて欲しい」と発言しました。
 室長は「政権交代で民主党はマニフェストで自立支援法を廃止するとしているが、今はまだ存在しているので法に沿って進めていかなければならない。また、総務省からはサマーレビューで21年8月末までに減量・効率化の方針策定が求められ、先に開催した有識者による『あり方検討委員会』からの報告にそって、今後5年について、国立施設としての機能を『充実強化』するため、国立更生援護機関の組織等の見直しの方向性及び『国立更生援護機関の計画的な組織再編』(案)を示した」と説明しました。
 見直し方向の具体的な事項としてあげられた塩原視力障害センターの統廃合・廃止については、利用者の減少、施設の所在地、利用者の出身県がリハとほぼ一致することを理由とするとの説明に対し、塩原支部は「利用者や働く者の不利益になるため、断固、反対する」との表明をしました。
 伊東重度障害者センターの統廃合・廃止に関しては、リハが頸損対象者の受け入れを開始したこと、地理的条件、建物の老朽化を理由としました。伊東支部は「現在、充足率は非常に高くなっており、需要は十分にある。リハの受け入れ状況が見えない状況で何故廃止していいのか理解できない」と厳しく追及。さらに「統廃合を行う背景として『平成20年10月から、リハセンターにおいても同様の訓練を実施しており』としているが、実態は違うのではないか」と指摘、文書の訂正を求めました。また、「リハでの実施状況をみている限りでは25年度末に伊東を廃止して全ての機能をリハに一元化できるとは考えがたい。5年後にむけてのビジョンを示して欲しい」と迫りました。
 杉浦書記長からは「そもそも有識者会議においては誰からも組織再編を求める声はあがっていない。唐突にこのような案を提示するのではなく、組合と十分な協議を行って欲しい」と要求。
 室長は「平成18年度の施設長によるあり方検討会で素案は作成されており、それを土台として管理室案を作り、事務局案として、有識者の方々に検討して頂いたところ、異論は出なかったと認識している。全体的に公務員の定削がかかる中で統廃合・廃止が塩原・伊東にとどまるとは限らない。国立施設全体としての充実・強化を考えていく必要がある。事務事業の国リハへの一元化は、案として示しているが、統廃合については、あくまで方向性ということで示している」と回答しました。
 塩原・伊東両支部からは異動が困難な中で不安を抱えている職員が多いことも強く訴えました。
 労働条件改善の基本要求は時間的な関係もあり、詳細について要求出来ませんでしたが、職員が抱えている切実なものである事を強調しました。その中、昇格関係で、介護員長の三級昇格につて室長は「好感触を得ていると」としました。
 最後に今井副委員長か国立施設は障害者並びに国民の財産であり、わずか半年ほどの検討で、結論を出し、事務文書一枚で実行しようというのはあまりに短絡的であると指摘。また、事務の国リハへの一元化については、業務運営に支障が出ないよう、今後とも組合と十分な協議を行っていくことを確認し、二時間にわたる交渉を終えました。

厚生科学研究の発展を
厚生科学課長交渉を実施
 全厚生は12月16日、大臣官房厚生科学課と試験研究機関の重点要求にもとづき交渉を実施。交渉には全厚生から、飯塚委員長、杉浦書記長、小浦・松野中央執行委員及び感染研支部、国衛研支部、科学院支部、ハ病研支部、社人研支部、栄研支部の代表や厚研連委員会の代表など計16人が出席。厚生科学課からは、三浦課長、小平総括補佐、飯野補佐が対応しました。
 冒頭、飯塚委員長は、
国民の健康と福祉を向上させる上で国立試験研究機関の役割が重要になってる。国民の期待に応える体制確保に向け、厚生科学課の引き続く努力を求めました。これに対し、三浦課長が回答。厚生科学研究を担う各研究所について、国が責任をもって運営することを求める基本要求では、「中央省庁等改革の際、@政策研究所、A公務員の研修機関、B緊急時に国の責任において直接実施すべき健康危機管理を担っている、等の理由で独立行政法人化されなかったものであり、現在でもその状況に変化はない」と回答。さらに「各研究所は国でしかできない仕事を担っている。政策目標、国全体の役割に裏打ちされて活躍できる条件を整えていきたい」と回答。独立行政法人の「新たな見直し」では、国立健康・栄養研究所と医薬基盤研究所について、国が責任をもって拡充するよう努力することを要求。これに対し、「独立行政法人を所管する立場として、両法人の必要性は十分に説明していきたい」と回答。現時点では、「現行の閣議決定の方向に沿って、両研究所の統合へ向けた準備を進めている」と回答。
 国立医薬品食品衛生研究所の府中移転計画の状況について、労働組合に随時情報提供を行うとともに、実行にあたっては当該職員、労働組合と十分な協議のもとでより慎重に進めること。移転に伴い転居を強いられている職員のため、公務員宿舎を必要戸数確保すること等を要求。これに対し、「移転にあたっては、府中市の地域まちづくり条例や地域住民の意見を尊重しながら進めることが重要であることと、新しい施設の設計等に当たっては、より良い研究環境を保持した施設整備とする観点から、研究所全体の合意形成を踏まえた対応が必要であると認識している。移転までの間の研究機能を維持するために必要な改造・改修に要する経費は、積極的に対応したい。移転に伴い、転居せざるをえない職員の方々がどの程度いるか把握していないが、各々の通勤時間等を勘案し適切に配慮されるものと考えている」と回答。
 国立保健医療科学院の課題では、公衆衛生の第1線に立つリーダーを育成するために、研究機能を充実・強化すること。組織の見直し・再編を実施する場合は、当該科学院の研究者・職員の意見を充分に反映させること等を要求。これに対し、「第4回行政刷新会議(11月30日)において、科学院の研修部会等の再編による業務・組織のスリム化と研修事業の抜本的な見直しにより経費の削減を図るとされたところ。今後行われる業務・組織及び研修の見直しの中で研修体制も具体的に検討していくべきものと考えている。科学院の研究者・職員の意向も、科学院内の協議の中で反映されるものと認識している」と回答。国立感染症研究所の課題では、新型インフルエンザに対応する緊急業務体制及び労働条件確保のための予算措置を行うことを要求。これに対し、「今般の新型インフルエンザの発生に対し、インフルエンザウイルス研究センター及び感染症情報センターを中心に検体の検査及び情報の収集・解析等を休日を問わず、昼夜を分かたず行っていただいた。常日頃から職員の職場における健康管理は最も重要と認識している。このような緊急事態に対して、組織の中で支援体制を構築し、特定の方々に負担が掛からないよう配慮する必要があると考えている」と回答しました。

不当な分限免職許さない
人事院へ不服申立て、法廷闘争へ
 長妻厚労大臣は12月28日、12月末日を持って廃止される社会保険庁で働く職員の大量の分限免職発令を強行しました。国家公務員の分限免職は、1964年に行なわれて以来45年ぶりのことで、民主党中心の連立政権下で強行されるという極めて異常な事態です。
 全厚生は、国公労連、全労連の全面的な支援を受けながら、雇用確保、分限免職阻止のために全力を挙げてきました。分限免職の回避措置も十分にとらず、すでに行なわれた処分を理由に雇用の継続を認めず、国家公務員でも遵守されるべき「整理解雇の4要件」にそった対応を行なわないなど、二重にも三重にも違法で道理のない解雇を許すことは出来ません。日本年金機構における欠員状況や、厚生労働省での採用状況からしても、希望する全ての職員の雇用は可能であるにもかかわらず強行した長妻厚労大臣を激しく糾弾するものです。
 理不尽な分限免職に対し、怒りをもって闘いに立ち上がる仲間たちの思いを受け止め、人事院への不服申立て、そして法廷闘争を展望しながら新たな運動の構築に全力を挙げる決意です。

労働者の誇り取り戻す
近畿社保支部京都協議会 組合員

 京都では25名が分限免職処分をうけ、現時点で私を含む13名が、違法な処分の取消を求め、法的に訴えることを決意しています。
 分限免職に関してマスコミは、多くが問題の本質から目をそらし、さらに国民から誤解を招くものとなっています。
 私は提訴を通じて、社保庁の民間化とそれに伴う分限免職が無益であること、クビにされた私たちの生活を破壊するだけでなく国民の権利の阻害につながることを明らかにし、社会保険労働者の誇りを取り戻す運動に全力を注ぎたいと考えています。

たたかって世に問いたい
中部社保支部愛知県協議会 組合員

 過去の処分を理由とする、日本年金機構の採用拒否は、単に社会保険職員だけの問題でなく、民間企業を含む雇用のルールを狂わせるものです。
 また、再就職支援についても、雇い主である国は、他省庁など自らの受け入れに消極的であり、昨年12月の救済策も非常勤で有期雇用でしかなく、分限免職回避努力をしたとは言えません。
 日本年金機構は、1月の設置時点で既に欠員を抱えています。年金事務の継承を行うのであれば、人の継承も行うべきです。
 私は、たたかうことでこの分限免職の問題について世の中に問うていきたいです。

社会保険庁職員に対する不当な
分限免職の発令に抗議する(見解)

 厚生労働省・社会保険庁は28日、社会保険庁の廃止に伴い525人に対し分限免職を発令した。国の行政機関の改廃に伴う分限免職は1964年以来発動されたことはなく、中央省庁の再編や独立行政法人化、さらには郵政民営化においても雇用は原則承継されてきた。民主党中心の連立政権下で、45年ぶりに国策による強制解雇が行われたことに満身の怒りをもって抗議する。
 労働条件や安定的雇用に責任を持つ厚生労働省において、自らの職員の首を切るという長妻厚労大臣の暴挙を断じて許すことは出来ない。

 12月1日に示された長妻厚労大臣の最終雇用対策は、その期間も、具体的内容も極めて不十分なものであった。特に、厚労省の非常勤職員への公募は、大幅な賃金水準のダウンや短期間の有期雇用であるなど分限免職回避の努力には到底値しない。また、前政権の方針を踏襲し、過去に一度でも懲戒処分をうけたことのある職員を年金機構から排除しているが、処分の理由、時期、種類などを全く考慮せず一律的に不採用としたことは明らかに公平性を欠き、平等取扱原則にも反している。さらに、同一の非違行為を理由とする二重処分に該当し、実質的に二重の不利益処分を課すものであり、違法・無効である。
 一方で日本年金機構は、民間から2000名を超える新規採用を行うこと、さらに、発足時から欠員状態であることが明らかにされている。大量の分限免職を行う合理的な理由などはどこにも見当たらない。

 社会保険庁の廃止・解体は、様々な不祥事や、年金記録問題などを契機としているが、その狙いは社会保険行政を分割し民営化する攻撃である。これは、公的年金業務を営利企業のビジネスチャンスに晒す上に、国の責任を放棄するものと言わざるを得ない。
 また、公的年金制度を運営するには、膨大な個人情報の管理と共に、様々な経過措置など複雑な制度に習熟した専門性が求められる。来年1月に発足する日本年金機構は、基幹業務も含めて民間委託を大幅に拡大するとしているが、安定的な年金業務の運営が懸念される。
 相次ぐ年金制度の改悪や、記録問題に対する国民の怒りの矛先を社保庁職員のみに転嫁し、自らの責任を逃れようとする政府・厚労省を厳しく糾弾する。

 社保庁改革が始まってから5年半、全厚生は、安心して暮らせる年金制度の確立と共に、すべての社保庁職員の雇用確保を求めて、全力を挙げてきた。道理なき不当な分限免職の撤回を求めると共に、国公労連や全労連などの支援をもとに、法的対抗措置も含めてたたかう決意を表明する。
 職場では国民の信頼を回復するために、夜間・休日を問わず年金相談や記録整備に全力を挙げてきた。厚労省は、官民人材交流センターによる斡旋や、再就職支援を引き続き行うとしているが、こうした職員の努力を無にすることなく、実効ある支援策を強く求めるものである。
 全厚生は、憲法25条にもとづく社会保障としての公的年金制度を確立するために、「安心年金つくろう会」の運動を大きく広げ、国民の年金権を守るために全力で奮闘するものである。
2009年12月28日
全厚生労働組合

自分に嘘をつかない生き方・恩地のようになりたい
映画「沈まぬ太陽」 若松節朗監督に聞く
 昨年10月封切りから215万人の観客動員を記録した山崎豊子原作・渡辺謙主演の映画「沈まぬ太陽」。「フィクション」とされていますが、主人公恩地元には実在のモデルが。原作を読んで恩地の生き方に強くひかれ、メガホンをとりたいと切望したという若松監督に聞きました。

  山崎豊子先生が原作を書いたのは企業の不条理を描きたかったからです。闘った男の話ですが、その先にはそこにかかわる人たちのドラマがたくさんあります。組合の仲間であったり、ライバルであったり、家族であったり。ただ、3時間ちょっとの映画にする時、どこを取り上げて削るのか、とても大変でした。ぼくは家族とのシーンをたくさん入れたかったんです。
 原作を読みはじめた時、「主人公はなぜ会社を辞めないんだろうか」と思っていました。読み終えた時にぼくなりの解決を見ました。この主人公は、仲間を裏切らないし、家族の信頼を得たいと考えている。妻は絶対、自分の生き方をわかってくれている、子どもたちもいつかわかってくれるはずだ、というような思いが主人公の中にあります。
 山崎先生は、「この作品を映像化するまで死ねない」とおっしゃっていましたが、原作を読んで、ぼく自身が今やらなければいけないだろうと思いました。恩地にすごくあこがれたからです。今の世の中に、自分に嘘をつかない生き方をしている人間がたくさんいれば、もっといい世の中になるんだろうと思います。
 映画で主人公の恩地たちが団体交渉するシーンがあります。労働組合のああいうシーンを撮っていて、ぼくらもまとまったんですよ。渡辺謙が撮影前に「いくぞー!」と言うと盛り上がるんですよね。
 労働条件の改善を勝ち取ると言っても、ただ自分たちだけが良ければいいというわけではないですよね。会社を良くするためにやっている。それが今の経営者にはわかっていないんじゃないでしょうか。特にこの会社はたくさんの人命を預かる航空会社ですから、人員減らしはまずいと言っているわけです。この映画をぜひ多くの人に見てほしいと思います。これからを生きていく上でのヒントが必ずあると思います。(談)

若松節朗 1949年、秋田県生まれ。日本大学芸術学部卒業後、テレビドラマの演出補などを経て共同テレビジョンに入社。主なドラマに「やまとなでしこ」(00年CX)、「救命病棟24時」(05年CX)、「弟」(04年EX)など。映画「ホワイトアウト」(00年)で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。

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