見出し

◆第1501号(2001年9月5日付)◆

原水爆禁止2001年世界大会開催

核兵器廃絶へ決意新たに

 8月3日から5日までの国際会議を皮切りに、6日の広島大会、7日から9日までの長崎大会と1週間におよんだ21世紀最初の原水爆禁止世界大会。青年たちによる「ピースジャム」など様々な関連行事も開催され、参加者に感動を呼んで全日程を終了しました。
 56年前、長崎に原爆が投下された8月9日、「原水爆禁止2001年世界大会・長崎」の閉会総会は黙とうから始まりました。会場の県立総合体育館は6千人を超える参加者の熱気と歌声に包まれました。
 大会には多くの海外代表が参加、日本各地からの代表と交流しました。海外代表の1人、チェルノブイリ原発事故被害者の歌手、ナターシャ・グジーさんは「チェルノブイリが忘れられていくのが怖い」と反核・平和の思いをこめて熱唱。フィナーレでも参加者と心をひとつに合唱しました。

核兵器廃絶の明確な約束を確認

 今大会は新しい展望のもとでの開催でした。
 昨年、アメリカやロシアなど核保有国も含めた世界の国々が核兵器廃絶を約束をしたからです。もともと核の独占体制を維持するための核不拡散条約。その再検討会議で「核兵器廃絶の明確な約束」が確認され、国連ミレニアム総会でもこの「明確な約束」を支持、核兵器廃絶を求める決議が採択されました。核保有国のほとんどが合意に難色を示しましたが、世界の反核・平和の流れに抗い続けることが困難になったのです。
 「国際会議宣言」ではこの成果について「被爆者のさけび」が核兵器廃絶を求める世界の声となり、諸国民の世論と運動が「非核国政府の努力ともむすんで国際政治を動かし」た結果だと指摘しています。核兵器廃絶を望む声が世界的に大きく広がっていることが確信できました。

世界の被爆者と連帯して

 広島大会で20カ国45人、長崎大会では20カ国39人の海外代表が参加。核兵器廃絶運動強化への決意を表明しました。反核平和運動の市民・民間代表はもちろん、ニュージーランド、スウェーデン両首相からメッセージが寄せられたり(広島大会)、南アフリカ大統領のメッセージをを携えた南ア駐日大使をはじめ、バングラデッシュ、ジンバブエ両駐日大使やマレーシア国連大使など政府代表の参加がめだち、今年の大会は諸国民と政府代表との連携の場となりました。
 しかし、新アジェンダ諸国(核保有国に対し、核兵器廃絶への明確な誓約を求めたスウェーデン、ブラジルなど8カ国)や非同盟諸国などの核兵器廃絶をめざして行動する世界の流れと逆行する流れがあることも大会で強調されました。
 アメリカは地球環境を守るため、二酸化炭素の排出を制限する京都議定書に1度は同意しておきながら、「アメリカ経済のためにならない」といって離脱、京都議定書そのものを葬ろうとしています。「ミサイル防衛」計画の推進など反核平和の面でも明らかに世界のルール・世論を無視するアメリカの横暴ぶりに批判が集中しました。またこの「ミサイル防衛」にいち早く理解を示し、京都議定書でもアメリカの顔色を伺っている日本の対米追従外交の姿勢にも批判が相次ぎました。
 世界大会は「核兵器廃絶条約の協議・交渉を速やかに開始すること、そのためにきたるべき国連総会などにおいてその開始を決議することを強く要望」する国連・各国政府にもとめる手紙を採択。世界各国参加の場で約束された核兵器廃絶を実現する運動の方向を示し、感動と成果を新たな出発点に核兵器廃絶を求める行動を草の根から意気高く進める決意を固めました。

青年が先頭にたって

 今回、参加者の4割が青年だったこともあり、その存在がめだつ大会でした。つらさとたたかいながらそれでも伝えていこうとする被爆者に私たちがどう応えていけるのか。大阪から参加した学生たちは「被爆者の生の声を聞くことができる最後の世代」と自分たちの役割を力強く発言していたことが印象に残っています。
(國枝英樹 中央執行委員)


リレーずいそう
● 最近「おかしな」私
 函館に転勤してきて3年目、さすがに北海道は乳製品が美味い。そこでというわけでもないが、最近私はなぜかお菓子作りに没頭している。「ケーキ作りが趣味です」などと答える若い女性を見ていると、「ごはんや味噌汁はちゃんと作れるのか」と突っ込みたくもなっていたのだが、いざ自分がはじめてみるとこれが意外に面白い。
 酒の肴は昔から作ってはいたが、お菓子作りには材料の量や焼き時間など守らなければならない規則がたくさんある。この規則を守りつつ、そこに自分らしさ(想像力)を盛り込んでいく作業に仕事に通じるものを感じ、興味深い。
 「右脳を使え」と最近よく耳にする。右脳を鍛えることによって想像力が磨かれるそうである。子供のうちは右脳をよく使って遊びを作り出すが、言語や計算能力が高まるにつれて次第に左脳人間になっていく。それでも女性は左右の脳を結ぶ脳梁と呼ばれる部分が男性に比べて太いため、左右の脳をバランスよく操るこができるそうであるが、男性はそうもいかず、「天才」も生まれるが、ただの「頑固親父」も生まれやすい。
 お菓子作りは右脳と左脳つまり規則と想像力をバランスよく使う作業であるし、かなり手を使うのでボケ防止にも役立つ。その成果は今のところ現れてはいないが、まあ長い目で楽しみたいと思っている。
(函館支部書記長 柴原繁俊)


News
● マイナス勧告でも人勧尊重 ―人勧取り扱いで総務省交渉―
 国公労連は8月24日、人勧の取扱いについて総務省と交渉を行い、全厚生からも参加しました。総務省は大西参事官ほか1名が対応しました。
 交渉で国公労連は、「公務員賃金の改善に当たって、国公労働者とその家族の生活実態、行政改革の強行による過重な労働実態から3年連続の賃下げ勧告に基づく給与法『改正』は受け容れることはできない。賃下げという最たる労働条件の不利益変更まで勧告に委ねることでは、労働者の権利はとうてい守れない。国公労連としては、賃下げまで勧告に委ねているとは考えない。政府が人勧制度尊重の立場としても、使用者としての説明責任はあるはずだ」と迫りました。
 国公労連の要求を受け、大西参事官は、人勧の取扱いの検討状況について、「3年連続の年収マイナスという大変厳しい内容については、承知しており、理解もしている。しかし、人事院による正確な調査による勧告については、これを尊重するのが一貫した政府の方針であり、今回もこの基本態度は維持したい」と、「人勧尊重」の立場は変わらないことを強調しました。

● 改正法案を臨時国会へ提出 ―育児・介護休暇で総務省交渉―
 国公労連は9月3日、人事院が育児休業法と介護休暇をめぐる勤務時間法の改正についての意見の申し出と勧告を行ったことを受け、総務省と交渉。法案化にあたっての基本姿勢やスケジュールについて質しました。総務省は人事・恩給局の新井参事官が対応しました。
 国公労連は「人事院の意見の申し出や勧告の内容は、育児休業期間3年、介護休暇期間の6月への延長など組合の要求を反映しているだけでなく、男女共同参画社会推進など社会的要請でもある。代替要員の任期付採用には意見があるが、早期法案提出の準備を求める」と回答を求めました。
 参事官は「臨時国会に法案提出の予定で調整を行っている。内容は、人事院意見の申し出等にそって法案化したい」「(任期付任用については)従来の臨時的任用によるものから、新しい道を開くものと理解する。実際の後補充の方法は各省で考えることだ」と回答しました。


長崎の原爆遺跡を訪ねて

核兵器廃絶を訴え続ける

原爆が投下されて56年。長崎には、今も原爆の悲惨さを伝える原爆遺跡が残され、核兵器廃絶と平和を訴え続けています。


青年部活動で伝えたい ―神奈川県支部 永井隆雄

 今年、長崎で行われた、原水爆禁止世界大会へ2年ぶりに参加しました。昨年5月に核不拡散条約再検討会議で、核保有国を含めた、世界187の国々が「核兵器廃絶の明確な約束」に合意し、秋の国連総会でも、圧倒的多数の支持を得て、確認されました。
 今年の大会は「核兵器廃絶の明確な約束」の実行を核保有国に求めよう、といったテーマで行われました。しかし、今もなお、原爆症で苦しんでいる人がたくさんおり、認定を受けている人は被爆者全体の約1%しかいません。また、広島・長崎に原爆が投下されてから56年もたっているため、被爆者全体が年々高齢化しており、その影響からか、大会全体の参加者も年々減少しています。そのため、今後、青年1人1人が原爆や平和について、話し合い、学んで行くことが大変重要になってくると、改めて感じました。
 私自身も、青年部活動を通じて反核・平和運動をより一層高めていきたいと思います。


他人任せではダメと気づいた ―京都支部 山田一郎

 私は、今回初めて原水禁世界大会に参加しました。参加する前は、正直に言うと億劫な気持ちでしたが、今は参加してよかったと思っています。なぜなら、戦争と平和について考えることができ、自分を反省する良い機会になったからです。
 私は、この国で生まれて、幸いにも戦争を知らずに生きてきました。平和という環境は当然で、何の努力もすることなく享受してきました。しかし、平和という環境は決して努力なしには得ることができないということがわかりました。現在の平和は、苦い体験を経てきた先人や多くの人たちの平和を希求する努力の上にあることがわかりました。私は今日まで、平和の創造に主体的な態度をとってきませんでした。他人任せで、そういう自分はタダで平和という環境を受けていたのではないかと思います。
 原水禁世界大会に参加して、自分のこれまでの態度を反省することができて良かったと思っています。


首相の靖国神社参拝と「新しい歴史教科書」問題を考える
 「靖国神社と歴史教科書」。この2つのテーマは、「今夏の最大の問題であった」と後世の歴史家が指摘するかもしれません。それほど、国内外に大きな波紋を広げました。

世界から孤立する小泉首相の靖国神社参拝

 「靖国神社」問題は言うまでもなく、内外の批判のなかで小泉首相が参拝にどんな判断を下すか、参拝するのかしないのかが注目されていました。結果は、国内外の反対を押し切って、小泉首相は8月13日、靖国神社参拝を強行したのでした。参拝反対を表明してきた中国、韓国をはじめアジア諸国がきびしい非難の声をあげ抗議。首相の参拝行為はアジア諸国だけでなく全世界からきびしい批判を受けたのです。
 靖国神社は、1931年12月8日から1945年8月15日までの15年戦争=日本の一方的な侵略戦争を「正しい戦争」だったとする立場で、戦没者を祭っている特別な神社です。そういう神社に参拝することは、どういう理由をつけようとも、首相が侵略戦争を肯定する立場に身を置いていることを、自らの行動で示したのです。これは本当にゆるされません。
 日本国憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と述べ、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とうたっているのです。小泉首相!ゆめゆめこの前文をお忘れではありますまい。参拝の日にちを8月15日から13日に移したということで、小泉首相が内外の批判を考慮したような談話をだしましたが、このことで問題の本質がなんら変わるものではありません。 

侵略戦争を「正しかった」と教える歴史教科書

 侵略戦争を美化した「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書の内容と採択をめぐっても、はげしい論議が交わされました。結局、問題の扶桑社の教科書は、国民的批判の高まりのなかで、公立中学でまったく採択されないなどゼロに近い採択率で終わりました。扶桑社のこの本は「日本は正しい戦争をした」と教えようとする、戦後かつてない教科書です。検定を合格させるために、批判的だった外務省出身の教科書検定審議官を更迭することまでしました。採択をめぐっても、自民党議員を中心に大がかりな圧力をかけました。しかし、国民の良識がこの攻撃をはね返したのです。 「靖国参拝と歴史教科書」問題は、一過性のものではありません。扶桑社の教科書の登場、歴史教科書全体での侵略の記述の後退、首相の靖国参拝の強行など、自民党政治は明かに日本の教育を、侵略戦争と植民地支配の歴史を「正しかった」とする方向に進めようとしています。
 この方向は、まさに平和と友好に逆行するものです。アジア諸国のみならず全世界から、「前科者(アジア諸国への侵略の前科)はいつになったら悔悛するのか。本当に日本は信用できるのか」。世界の人々の良識に背を向けるのでなく、憲法、とりわけ憲法第9条を堅持してこそ、アジアの一員としての日本の生きる道といえましょう。それには、私たち自身も不断の努力が求められているのです。
(加藤重徳 中央執行副委員長)


Back  to HOME