見出し

◆第1480号(2001年1月5・15日付)◆

障害者の生きる力を育てる

よりよいリハビリめざし奮闘 ―国立リハセンター支部の仲間を訪ねて

 埼玉県所沢市に国立身体障害者リハビリテーションセンター(以下、国立リハセンター)があります。国立リハセンターには、更生訓練所、病院、研究所、学院があり、更生訓練所では、身体障害者に医学的、心理的、社会的及び職能的判定を行い、身体障害の種類や程度に応じて、自立と社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動への参加を促進するための訓練・指導を行っています。
 病院は、身体障害者の診療機関で、医師、看護婦、薬剤師、放射線技師、臨床検査技師、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士、視能訓練士、運動療法士、医療福祉相談専門職などが診断と治療及び医学的リハビリテーションを行っています。
 ここでがんばっている全厚生国立リハ支部の組合員は、日本のリハビリテーションの顔としての仕事に責任感をもっています。「もっと充実した患者・入所者サービスを」と思いながらも、定員不足などで、それを存分に発揮できない現状にめげずに、組合としての要求を全面に掲げつつ、常に己の研鑽を忘れない姿がここにありました。奮闘する全厚生国立身体障害者リハビリテーションセンター支部を訪ねました。
(文・写真 近藤浩美書記)

福祉の職場に効率・採算はなじまない

 「今日の課題は、近くのスーパーマーケットにカニピラフを買いに行くことです」
 生活訓練専門職の工藤裕司さんは、手話で訓練生のMさんに話しかけます。Mさんは、工藤さんの手話の動きを手で触れて読みとっていきます。
 「帰ってきたら、おつりとレシートを私に渡してください」
 が、Mさんは、レシートがなかなか理解できません。根気よく、対話する工藤さん、出発前にどんどん時間が過ぎていきます。
 筆者と同年代のMさんは、聾唖の上に盲の重複障害があります。まだかすかに視力はありますが、接触手話か手のひらに文字を書いて伝えるという方法でしかコミュニケーションがとれません。今まで在宅でケアされてきたMさんですが、自分達の老いに不安を感じはじめた両親のすすめで、国立リハセンターの生活訓練課程に入りました。
 生活訓練課程では、視覚障害者に対して、社会生活への適応力が身に付くよう、歩行訓練、日常生活訓練、コミュニケーション訓練等の訓練を行っています。
 翌日Mさんは、その冷凍食品を使っての調理実習に臨みました。
 「半分をフライパンで、残りの半分を電子レンジであたためます」
 調理の方法は、生活訓練専門職の小出千鶴子さんが、手のひらに文字を書いて説明していきます。
 Mさんには、ピラフというものがなかなかイメージできません。歩行訓練の時と同じく、コミュニケーションには、時間がかかりました。
 ガスコンロに火がついたかどうかは手のひらに伝わってくる温度で確認します。材料に火が通ったかどうかは、香りやフライ返しから手に伝わってくる材料の感触で、電子レンジは、振動をさわって「チン!」になったかどうかを判断します。それをMさんに理解してもらうのは、根気と手間のかかる仕事です。
 このような福祉の現場に、「効率」や「採算」という考え方はなじみません。しかし、福祉の職場に「多様な主体の参入促進」をうたい文句に「採算」「効率」優先の「市場原理」が持ち込まれようとしているのです。
 国立リハセンターでのリハビリは、身障者手帳を持っている人が対象です。しかし、現行の身障法の古い概念では障害者として認められていない、高次脳機能障害(脳に外傷を負った事により記憶障害などの症状がでる)の人たちのリハビリを、という世論の高まりを受けて、国立リハセンター当局は、受け容れの構想を打ち出しました。しかし、プロジェクトを組んだにもかかわらず、新規業務としての増員はまったくありません。
 工藤さんは、身障手帳のない高次脳機能障害の人の受け入れは、「社会の要請に応えたいという職員の責任感を逆手にとって、増員なしで実施されれば、いかに効率的にこなすかということにつながり、リハビリの質の低下は避けられないでしょう」と指摘します。

専門性を発揮したリハビリテーションがしたい

あはき師の就職先を広げて ―理療教育課程

 国立リハセンターの更生訓練所は、理療教育課程と一般リハビリテーション課程、生活訓練課程に分かれています。
 理療教育課程は、視覚障害者を対象に、「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師」(略して「あはき師」)の免許取得のための養成教育を行っています。資格取得後は、治療院を開くか、治療院・病院(整形外科)・特別養護老人ホームに勤める、または、企業が職員の福利厚生として設置したオフィスの施術所にヘルスキーパーとして勤務するなどがあります。
 昨年4月、介護保険導入とともに、特別養護老人ホームに機能訓練指導室の設置が認められ、機能訓練指導員として、あはき師の就職の道が切り開かれました。しかし、機能訓練指導員の範囲は広く、OT(作業療法士)・PT(理学療法士)や看護婦などの配置も含まれるため、全国的には積極的にあはき師を入れようという動きになっていません。
 また、東京都内の特別養護老人ホームには、都独自の補助があり、あはき師がすでに配置されていましたが、介護保険が導入された昨年4月から補助金がうち切られてしまいました(若干の経過措置有り)。「介護保険導入によって特別養護老人ホームへのあはき師の就職の門をかえって狭くするような結果とならないようにしたい」と理療教育課程の就職を担当する鈴木徹さん(全厚生中央執行副委員長、国リハ支部書記長)は言います。
 教官の小笠原良夫さんは、「社会に向けては、いろいろ要求はある。診療報酬の点数を上げてほしい。理学療法士との共働を追求してほしい。ヘルスキーパーがもっと広がるように運動をすすめてほしい」
 その一方で小笠原さんは、「生徒自身は、患者さんに信頼される技能と知識を身につけるため、努力しなければいけない」と厳しい言葉も。「生徒を送り出して一人前に仕事をしているのを聞くと、それが嬉しい」

障害者雇用対策広げて ― 一般リハ課程

 一般リハビリテーション課程は、職能訓練として、電気、織物、パソコン、クリーニング等の訓練を4つのワークショップに区分して実施しています。
 隣接する国立職業リハビリテーションセンター(厚生労働省〈旧労働省〉の外郭団体。以下、「職リハ」)には、国立リハセンター更生訓練所に入所し、必要な評価等を経てから、職リハで訓練を受けることになっています。
 手織物やクリーニングの職能訓練は、ここを修了して職につく人もありますが、それ以外は、ほとんどが隣接する国立職業リハビリテーションセンターにすすむことを希望しています。
 それは、製造業からの求人がほとんどなく、障害者であっても一般企業でバリバリ働ける人が求められるようになっているからです。しかし、職リハに進めるのは、ごく一部の医学的なケアが必要のない人、障害の程度が軽い人に限られてきます。そこに達しない人は、授産施設か小規模作業所または家庭に帰るということになります。
 厚生労働省になって、今後、障害者の職業訓練の棲み分けはどうなっていくのか、連携はどうなっていくのか、まだまだ、明らかになっていません。職能判定専門職の高倉義憲さんは、「職業適応能力の低い人たちまでも障害者雇用対策の対象として広げてほしい」と話します。

ニーズに応えられる体制づくりを

 一般リハビリテーション課程の第2ワークでは、ステンドアート、トールペインティング、手織物の訓練を行っています。ここでの作品は、ただ一つしかないオリジナリティーなものという付加価値があり、訓練終了後は「自営」というかたちで職業的に自立することをめざしています。
 訓練にあたる河野智子さんは、「今の若い人たちは、ななかなか社会性が育っていないので、技術だけでなく、挨拶の仕方から始めて職業人としてのマナーも身につくよう指導をしています。こちらを修了し、職業生活を送れるようにするには、時間も人手もかかる。国立のリハセンターなので期待されている。今までの体制で、ニーズに応えられるサービスをできるか、今は過渡期だと思う」
 指導課の中西勉さんは、「職員は事務系の人を含めて、忙しく余裕がない。専門性を発揮したいのに出来ない現状にある」と訴えます。

視覚障害者の立場に立って ―病院薬剤

 視覚障害者に薬を正しく飲んでもらうためには、何が必要か。まず、説明書。そして、薬の識別。国立リハセンター病院薬剤師の西嶋久貴さんは、視覚障害者の立場に立って、実践を始めています。
 患者さんにアンケートをとって、拡大文字・点字・音声の薬剤説明書を出しています。点字はパソコンと直結させた点字専門のプリンターで凹凸を付けて打ち出しています。薬は何種類あっても、1回分を1つに梱包します。その薬に切れ目を入れて、朝・昼・夜などの識別が出来るようにしています。切れ目を入れる穴開けの道具は、国立リハセンター病院独自で考案したものです。
 これらのサービスは、視覚障害者にたいへん喜ばれています。が、手間暇かかる作業なので休憩時間もとれないほど忙しい状態です。「もっと意欲的に取り組める体制にしてほしい」
 この実践を全国に広げていきたいというのが、西嶋さんたちの希望です。

専門性発揮できる環境を ―病棟

 「患者さんと接することが生き甲斐。退院して、ちゃんとやっているという報告を聞くのが喜びです。そういうとき、ああ、看護婦が好きだなって思う」
 国立リハセンター病院の病棟に勤務する看護婦の井草良子さんは笑顔で語ります。
 井草さんの働く病棟は、脊椎損傷と頸椎損傷の患者さんが入院しています。転落や交通事故などで、下半身または首から下が動かなくなった患者さんに、食事や着替え、トイレ、おふろなど、自分の日常生活ができ、社会復帰できるようにリハビリをしています。
 「今、どこの病院でもリハビリはしています。でも、国立リハビリセンターの病院として、専門性を生かしたリハビリテーションをしたい。自分たちの専門性を発揮できる環境を整えて欲しい」と井草さん。

専門性を評価して ―言語聴覚士

 国立リハセンター病院には、言語聴覚士の方たちが働いています。今まで、スピーチ・セラピストと呼ばれてきた方たちで、1998年、30年来の運動が実り国家試験資格として認定されました。ここでは、赤ちゃんから大人まで、言語発達遅滞、失語症状、吃音などを克服するための訓練をしています。
 言語聴覚士の倉井成子さんは、外来や入院の患者さんの訓練にあたる他、実習生の受け入れや学院での講義も受け持っていますが、「国民のニーズは高まる一方で、言語聴覚士の国の評価は低いのではないか」と疑問を投げかけます。言語聴覚士による訓練の診療報酬は点数が低すぎて採算ベースにのりにくく、小規模病院では、言語聴覚士を雇えないという現状があります。資格認定をしたなら、それにふさわしい保険点数にすべき、と倉井さんは訴えます。

労働組合だから対等に話し合える

 診療放射線技師の前野正登さんが勤める画像診断棟には、日本でも最先端を行く機器が導入されています。MR(磁気断層共鳴装置)を使えば体のもつエネルギーの差で血液の流れなどの質的診断ができます。前野さんは、「研究所の研究テーマにそって画像診断データを提供するなどしていますが、病院でこの画像を科学してリハビリに応用していただきたい」と言います。
 OT(作業療法士)の大塚進さんは、「自分たちは、リハビリテーションに思い入れがある。しかし、リハの管理者たちにそれがあるのか問いたい。立派なプランを立てても、担うべき専門職を減らしていけば、それは絵に描いた餅だ」と静かな口調の中にも怒りが込められています。「組合としてリハのあるべき姿など政策提言をどんどんしていきたい。これだけさまざまな専門職がいる中で、対等な立場でコミュニケーションできるのは、組合だけ。組合だから、横断的に総合的な提言が出せる可能性がある」
 前野支部長はこう決意を語りました。「行政に対して、現場からの声を上げていきたい。現場の声を集めて、社会の流れに沿った要求で運動していきたい。社会に提起し、社会を変えていく、社会に寄与していくというのが組合の原点。リハ発の提言を作っていきたい」



組合員のみなさん
明けましておめでとうございます


 いよいよ21世紀をむかえました。今年は、新しい世紀のはじまりであると同時に、省庁再編後の新しい行政機構のはじまりでもあります。
 20世紀をふり返るとき、戦争という恐怖と欠乏に覆われた暗い歴史を思いだします。しかし同時に、20世紀は民主主義が世界各地に広がり、基本的人権の尊重が常識になった世紀でもあり、核兵器廃絶や軍備縮小を求める運動が世界的な大きな流れになった世紀でもあります。そして、日本もまた例外ではありません。
 情勢は、一見厳しく、抗し難い力に抑えつけられ、社会保障制度などはいずれ崩壊するかのように映り、将来に何ら展望を抱けない状態に見えがちになっています。しかし、本当にそうなのでしょうか。社会保障は、有史以来のながいながい人間の歴史の中でたたかい確立された権利であり、数え切れない多くの人々の流した涙と汗と血によって支えられ前進させてきました。そう簡単に崩壊させられるものではありません。
 労働者をめぐっては、労働諸法制の相次ぐ改悪、リストラ「合理化」による失業者の増加、正規職員の減少とパート職員の増加、派遣労働の急増など、労働者にとって決して有利な情勢には見えません。しかし一方で、労働争議などでは勝利判決や和解を勝ち取っているのも事実です。
 戦後の労働組合運動の歴史は、まだ50数年しか経ていません。ところが、資本家による支配の歴史は長く、常に政治と結びついて暴利をむさぼり、永年培われた経験によってたえず政治を利用し支配し続けています。そう容易に勝利をつかむことはできないのかも知れません。
 しかし私たちは、わずか50数年とはいえ、政治と世の中を大きく揺り動かした経験を持っています。50有余年の歴史を生かし、いま最もふさわしい運動をすすめるならば、何ら恐れることはありません。
 2001年度の予算案は、またしても公共事業優先で、国民の暮らしを切り捨てる内容となっています。しかしその一方では、厚生労働省に対する国民の期待は、国民生活に直接関わる行政機関として、新聞紙上でも「責任重大」と指摘されるほど、大きく膨らんでいます。
 私たちは、厚生省と労働省の統合に反対し、社会保障も労働者保護行政もそれぞれに拡充すべきであることを指摘してたたかってきました。厚生労働省が設置されたいま、国民にとって本当に頼りになる、有益な行政として発展させることが、私たちに課せられた重要な任務なのではないでしょうか。
 見せかけの「融合」ではなく、雇用対策を社会保障をより拡充することにつなげるなど、労働行政と社会保障行政を有機的に結びつけて、国民生活を向上させ、将来展望をつくることが重要なのではないでしょうか。
 組合員のみなさん、「21世紀をどんな世紀にしようか」といったことから、職場での会話を広げ、お互いの要求を語り合い、そして憲法9条・平和を守り、本当に国民が主人公の政治・社会をつくろうではありませんか。そのために、2001年春闘で大いに奮闘し、大きな前進をかちとり、私たちの展望を大きく広げましょう。
 中央執行委員会は、みなさんの先頭に立って奮闘する決意を申し上げ、年頭のごあいさつとさせていただきます。
2001年1月
全厚生職員労働組合中央執行委員会


20人に図書券が当たる
「まちがいは7つ」クイズ


 右の絵は左と7カ所まちがいがあります。どこでしょう(印刷のよごれやかすれ、スクリーントーンの濃淡はまちがいにはいりません)。ハガキに答を記入し、住所・氏名・支部名(お子さんの場合は親の氏名も書いてください)と新年号の感想を書いて応募してください。
 ▽賞  品 正解者の中から20人に千円分の図書券を進呈します。
 ▽締め切り 2月5日必着。
 ▽宛  先 〒100-8916 千代田区霞ヶ関1−2−2 厚生労働省内
           全厚生職員労働組合「新年号クイズ」係。
 ▽発  表 2月15日付紙上の予定です。


2001年全厚生
組合員のひろば


― 似たものどうし自慢 ―


●瓜四ツ親子  ―大阪支部の方
 支部推薦(?)の瓜四ツ親子。顔に似合わずガンコな長男、見たまんまのヤンチャ坊主の次男、お殿さまな三男とトラキチの夫に囲まれ、逆ハーレムな私。「1番好きなのは、かーさん」と言ってくれるのはいつまでかなぁ。
(私を中心に反時計回りに上から長男、次男、三男。撮影者は夫)

●我が家のマロ君  ―秋田県支部の方
 家の近所のベルちゃん(ビーグル犬)が子供を産みました。うちのマロ君(雑種)にそっくりでとてもかわいいです。誰がどう見ても父親は家の犬なのですが、当の本人(本犬?)からは父親としての自覚など全く感じられません。こんな無責任なマロ君から21世紀も目が離せません。

●折り紙好きの娘たち  ―函館支部の方
 私の2人の娘(愛美・美希)はともに折り紙好きです。
 特に愛美(写真左)は独創的な感覚で折り紙を楽しんでいます。
 このままゲームなんかに頼らず,右脳を育ててもらいたいと願っています。(金もかからないし)

●「娘、貸します」  ―大分県支部の方
 トイレ、風呂場からオペラ歌手のような延びのある歌声(素っ頓狂な声?)が家中に聞こえます。朝、学校へ行ったかと思えばバタバタと戻ってきます。忘れ物です。カバンや服に付けた鳴り物で50m先からでも誰か分かります。ジャラン、ジャラン・・・
 パソコンで囲碁を楽しんでいる父親のそばで、ペラペラとしゃべりまくります。男の子からよく電話がかかってきます。両親の前でケラケラと笑いながら話しています。今、プールに通っています。泳ぎが好きなようです。運動神経はゼロに近いのですが大変な努力家です。
 幼稚園のころ、スキップ、縄跳びができず、泣きながら夜暗くなっても練習していました。跳び箱は4段までです。テレビゲームの前、ひとりでブツブツ行っています。「モー、ムカツク!」次女、未佳、21世紀は6年生からスタートです。自然のまま、成長してほしいと願っています。(写真間に合いませんでした、ごめんなさい)



― なんでもコレクション ―


●ドイツ製の古いオルゴール  ―静岡県支部の方
 19世紀のものです。退職記念に購入しました。構想10年、いろいろと探し歩きました。箱根の博物館で譲ってくださるとのお返事をいただいた時の嬉しさは今でも忘れられません。優しい音色と美しい彫刻に魅了されています。21世紀は、人に優しく地球に優しい、そんな時代にぜひなってほしいです。

●QSLカード  ―秋田県支部の方
 日本のすべての市と郡のQSLカードを集めています。現在671市のうち669市、565郡中、563郡と交信し、カードを取得しています。南陽市、浦添市、美嚢郡、上県郡の方、PSE QRV! アマチュア無線の世界も高齢化が進んでいますが、興味のある方は http://www.jarl.or.jp へどうぞ。 

●ぬいぐるみ  ―愛媛県支部の方
 写真はほんの一部です。この倍以上はもっています。大半はUFOキャッチャーで捕ったか、貰い物ですが、一番大きな馬は旅先の大阪で購入。そのまま抱えて帰りました(夜行バスで周りの人々の好奇の視線を浴びながら…)。

●スターウォーズ☆フィギュア  ―秋田県支部の方
 「フォースはいつも君と共にある」と言う、オビワン・ケノービーの言葉を信じて「ブーーン、ブーーーン」言いながら丸めた新聞紙を振り回してた頃から、気付けばこんな状態に!

●駅プレ  ―函館支部の方
 超ローカル!JR北海道内主要駅の行き先表示マグネットプレート「駅プレ」です。これは各駅のキオスクで販売中の北海道限定商品です。現在21枚(駅)保有しております。因みに私は鉄道マニアではありません。

●Trumpet  ―香川県支部の方
 私の趣味はTrumpetを収集すること、いやいや演奏することのはずです。必要からの購入が、いつの間にか衝動買い?この写真以外にも演奏旅行中の楽器など、しばらく吹いていない楽器もあり、申し訳なく思っています。「お願いだからへそを曲げずに良い音を出してね!」

●食玩  ―秋田県支部の方
 チョコエッグ「日本の動物コレクション」
ついに24種類集めました。写真はその一部です。レアものの化石恐竜も2つゲット。次はペットシリーズだ。でも、体重も3キロ増。シオシオのパー。



我が支部 21世紀に
― 残したいもの・伝えたいもの ―


●“平和宣言”  ―感染研支部
 20世紀は戦争にあけくれた世紀だった。
 21世紀は核兵器を含む全ての兵器をなくし、人類にとって、平和で明るい展望の開けた世紀にしたい。
 全厚生予研支部(当時)、予研学友会、日本科学者会議予研分会が、1990年11月1日「核兵器の廃絶を求め、研究の軍事利用に反対する宣言」3項目を職員の圧倒的多数の賛同で掲げた、このパネルは研究所正面玄関ホールを入った右手の廊下の掲示板横に掲示されている。
 この“平和宣言”が21世紀のはやい時期に不要となりお蔵入りになることを願って。

●“職場の権利”  ―業務センター支部
 あたりまえのように存在する職場の権利、ほんとは先輩たちの血と汗と涙の所産なのです。それをつくってきた先輩たちの知恵と勇気と行動力を新しい世紀に引き継いでいきます。21世紀は労働組合の役割が鮮明になる世紀です。

●“イカ労かわら版”  ―函館支部
 函館支部と言えば何てったって機関紙フェスティバル3年連続受賞に輝く『イカ労かわら版』でしょうが!アッ・・・そこの君なんだって「泣く子も黙る知る人ぞ知る熊谷支部長だ」なんて言って。21世紀バンザイ!!

●“財産”  ―愛媛県支部
 ありきたりですけど、支部結成33年余り築いてきた財産。浪費しないように、食いつぶさないように、破綻しないように、よりよい運用で利息をつけて継承していきたい。

●“メーデーのデコ作り”  ―京都支部
 わが支部はメーデーのデコ作りの歴史を絶やさないよう守りつづけたいと思います。昨年もアニメキャラ「おじゃる丸」が国会の悪法の通過にストップをかけるため「世直し候補者」として、たすきをかけて組合員とともにデモ行進し訴えました。

●“支部大会の雰囲気”  ―香大阪支部
 「誰もが自由に発言できる大会の雰囲気」です。自治労時代は勇気を出して訴えても敵視されたのです。昨年は大分県の仲間のあいさつにはげまされ、支部再建当時に苦労した初心を思い起こす発言が相次ぎました。

●機関紙“こだま”  ―秋田県支部
 何と言っても組合活動のバロメーター!!組合のイロハから支部の歴史的経過に至るまで、その見出しや文章に込められた熱い思いがいつの時代も伝わっています。21世紀も組合員の声がこだまする。

●“かるがも ”  ―国立リハ支部
 支部ニュースの名前「かるがも」です。この名前は支部が公募したもので、工藤征四郎氏(現職能訓練課長)が、指導課業務係長の頃に応募し当選したもので、当時から当センターの中庭の池に“かるがも”が飛来しており、また巷でもかるがもブームとなっていました。賞金は当選お祝い会で飲み代に消えたとのこと。

●“職場総対話集会”  ―愛知県支部
 支部では毎年「職場総対話集会」を各分会で行っています。聞く集会ではなく、しゃべる集会、そこからみんなの要求が生まれています。
 組合の原点ともいえるこの大切な集会を21世紀にも引き継いでいきたいと思います。

●“讃岐うどん”  ―香川県支部
 讃岐うどんは、腰があり、ツルツルと喉越しがよいとい特性があります。この特性は、組合活動にも相通ずるものがあると確信しています。皆さんも一度といわず何度でも食べに来てください。讃岐うどんと組合は、永久に不滅です。

●“組合旅行”  ―別府支部
 過去1度も欠かすことなく続く年に1度の組合旅行。交替勤務のため、2班に分かれての一泊二日の旅。その年の役員・職場委員が一致協力、計画から幹事まで。四国・中国・九州、北は金沢・京都から南は鹿児島まで、いろんなところへ親睦旅行。行った先の土地にふれ、人にふれ、すべてを忘れて、酒に飲まれ、ストレス解消。細いパイプを太いパイプに、明日からの仕事の糧に。21世紀も永遠に続け…

●“共感・対話・主人公”  ―岐阜県支部
 地域、職場からのさまざまな意見、不平、不満に「共感」し、「対話」を通じて理論付け、要求として練り上げる。そして私たちこそが「主人公」。21世紀は、自然環境、平和と民主的ルールをまもる時代に。

●“琵琶湖”  ―滋賀県支部
 21世紀に残すものといったらもちろん滋賀県支部が1番ですが、滋賀といえばやはり近畿の水瓶「琵琶湖」Mother Lakeです。普段身近にありすぎてその存在を忘れがちですが、人間たちの身勝手によってどんどん環境が悪化しています。私たちはこの自然は絶対に残さなければなりません。

●“組合主催の旅行”  ―秩父学園支部
 21世紀になっても続けたいのが組合主催の旅行です。今年は山梨県の石和温泉へ行って来ました。子供の参加者も増えています。友達が参加されるのでお子さん一人だけで参加された方もあり、組合員だけでなく、職員や家族誰でも参加出来るのが自慢です。  



― なんでもカウントダウン ―


●歌いたいときカウントダウン!  ―秋田県支部の方

10位  電車〈旅行はいいネ!〉
9位  風呂〈定番。音の反響具合がヨイ〉
8位  海〈開放的な気分にしてくれます〉
7位  カラオケ〈当然〉
6位  突然〈いきなり狂ったように歌いだす〉
5位  ライヴ〈のりまくりッ〉
4位  飲酒後〈俺の歌を聴けーッ(ジャイアン)〉
3位  歌番組中〈あの人に合わせて歌うのッ〉
2位  仕事中〈特に金曜日〉
1位  車の中〈通勤中は最高のカラオケタイム〉
*番外としては、うちの猫のそば。あまりの下手さ加減に噛みつかれます。


●魚種別サイズ BEST10  ―函館支部の方

釣り歴30年、魚種別サイズ BEST10
イワナ  47cm
ヤマメ  38cm
オショロコマ  42cm
サケ(オス)  92cm・8.7s
マダラ  112cm・16s
ホッケ  55cm・1.96s
ヒラメ  64cm
アイナメ  54cm
サクラマス  60cm・3s
ヤナギノマイ  38cm


●読んで面白かった本 ベスト10  ―京都支部の方

1.  「新撰組の哲学」福田定良 中公文庫
2.  「覇道三国志―曹操の壮心やまず」雑喉潤 東京書籍
3.  「三国志演義」井波律子 岩波新書
4.  「読切り 三国志」井波律子 筑摩書房
5.  「進化した猿たち 1〜3」星新一 新潮文庫
6.  「カラスはどれほど賢いか」唐沢孝一 中央公論新社
7.  「〔正史〕三国志名士・清流派列伝」
     歴史読本特別増刊 ’94―5スペシャル46号
8.  「どくとるマンボウ」シリーズ  北杜夫 新潮文庫
9.  「創竜伝」田中芳樹 講談社
10.  「イヌワシを追って」山本靖夫 のじぎく文庫
…我ながら実に偏った取り合わせです。
 以上、一通りあげてみました。新世紀になりました。
 「世紀末」という響きが好きだったので少し残念な気もしますが、
さてどういう世紀になっていくんでしょうね。


●私の好きな映画ベスト10  ―秋田県支部の方

1.  グラン・ブルー  いいっすよ最高の癒し系映画、海の碧さが印象的。本作の影響でMy carを青色にしてたりして・・・
2.  髪結いの亭主  人生全てで人を愛して、ラストが衝撃的。 やっぱ「愛」っすよ、フランス映画らしいです。
3.  アメリカンビューティー  普通の物語なのに、なんか凄 いかもね・・・って感じさせられる。さすがアカデミー。
4.  マグノリア  いくつものストーリーが重なりあい最後には奇抜な結末でびっくり!!
5.  スペーストラベラーズ  笑いと緊張笑いと緊張笑いと 緊張そして涙といった感じ。邦画らしからぬテンポの良さが○
6.  レオン  レオンやマチルダよりも刑事役のゲイリー   オールドマンが好き。キレっぷりがよい。
7.  ショ−シャンクの空に  ヒューマンドラマ系としては最 高でない?後味のすがすがしいほどの良さはおすすめ。
8.  ノッティングヒルの恋人  日常の生活での、非日常の女優との恋、一度は体験してみたくなる。
9.  トレインスポッティング  イギー・ポップの音楽に乗せて一気に走り出す軽快なオープニングから興奮!!
10.  地雷を踏んだらさようなら  浅野忠信の演じるカメラマン魂に男として熱くなる物を感じた!!
メジャー系ハリウッドものフランス映画などなど色々好きなものを並べてみました。
統一性がないですけど、みんなおすすめですので。まだ見た事がない方は一度見てみてはいかが?
損はさせません!クレームも受付けませんけどね(笑)


21世紀に基地はいらない!

基地のない平和な沖縄・日本、世界をめざすたたかい

 「2000年日本平和大会in沖縄」―21世紀を目前にこの大会が「基地の島」沖縄で開催されたこと―新ガイドライン・周辺事態法といった戦争法の不吉な影を見るとき、その意味に思いをはせずにはいられません。厚生行政に携わる労働者として、社会保障と戦争は相容れない、憲法25条と軍事基地は共存できないとあらためて確信するとともに、沖縄での平和大会が私の感覚的な平和への思いを、「平和」をめざす厳しいたたかいに臨む堅い決意へと変えさせました。
(文・写真 國枝英樹中央執行委員)

変わらぬ情熱 ―名護交流集会

 12月2日、名護市内での「美(ちゅ)ら海・美(ちゅ)ら島に新巨大基地はいらない」平和大会名護交流集会は熱い連帯の場となりました。いま、名護市辺野古地区に米軍海兵隊の最新鋭基地の建設計画があります。建設予定地は沖縄県みずからが自然保護区域に指定している場所で、国際保護動物・ジュゴンが生息する美しい海。そこに人口密度が高い宜野湾市の中心を占拠している普天間基地の代替移設基地を建設しようというものですが、この建設計画に反対する人たちのたたかいに連帯し運動を支援しようと開かれたのが今回の集会です。
 在日米軍基地は「整理・縮小」するのではなかったのだろうか。「整理・縮小」がどうして「新基地建設」になってしまうのか。ふだん基地とは無縁の(と思っていた)人間が抱いた単純な疑問でした。
 古くて使いづらくなった市街地の真ん中にある普天間基地を「整理・縮小」をいいわけに「思いやり予算(国民の税金1兆円)」を使い、今後何十年何百年にもわたり使用できる広大な最新鋭基地に蘇らせる。―アメリカにとってこんなにおいしい話はないでしょう。
 5年前、米兵による少女暴行事件をきっかけに怒りと悲しみがあふれた沖縄。世論と運動は政府をして普天間基地返還を約束させました。米軍基地撤去・平和への切なる情熱は今も変わることははありません。
 会場となった体育館は人でいっぱい。舞台を後退させて、参加者は何度も前に詰めて、最後には舞台を囲むまでになっても入りきらず、入り口には立ったままの参加者があふれている。新基地建設に反対するやんばる(山原=自然が残る沖縄県北部地域)のたくさんの団体が平和への思いを、たたかいの経過を、沖縄の誇りを語ります。
 「1度壊れたら戻ってこない」。「ジュゴンの海もヤンバルクイナの森」も壊滅的打撃を受ける。騒音・墜落。政府は安全だというが「安全の約束などできるはずがない」。「日本は主権在民」、「日本の誤りを正すのは私たちの責任」だから私たちはたたかう。そして沖縄を「日米安保体制の要の地から平和の要」に変えていこう。沖縄の歴史、たたかいの経験、まさに「沖縄は平和の学校」です。沖縄から学び、沖縄のこれまでの不屈のたたかいを生かして、基地の県内たらい回しでなく完全撤去を求める。「沖縄にいらないものは日本のどこにもいらない。日本にいらないものは世界のどこにもいらない」。

整理縮小の嘘 ―北中部基地調査

 同日の午前に基地調査で訪れた浦添市のキャンプ・キンザー(牧港補給地区)でも同じように米軍基地返還を願う世論を利用して、軍港移設をやむなしとする世論づくりをおこない、新基地建設が計画されています。
 海兵隊の後方支援を担うキャンプ・キンザーのフェンスのなかは広々とした芝生と道路、瀟洒なマンションがならんでいます。ディスコ・ゴルフ場といった娯楽施設まであるそうで、これらの建設費はもとより、電気・水道といった光熱水費にも思いやり予算が注ぎ込まれています。ここに県内移設を条件に返還が合意されている那覇軍港を移設しようとしています。ところが那覇軍港は狭く水深が浅い。大型船が入港できないうえにクレーン設備もない。しかも渋滞(実際市内はとても車が多いのです)と人目を気にしながら、那覇市中心部を通って危険な軍事物資を中部の基地まで運ばねばならないことから、現在はあまり使われていない軍港なのです。建設されると浦添市の青い海岸線のほとんどが基地になる規模。使えない軍港から米空母機動艦隊も入港できる全国トップクラスの大軍港へ。巨大補給基地と巨大軍港の一体化による機能拡充強化。これが「整理・縮小」の正体なのです。

忘れない ガマの惨劇 ―南部戦跡めぐり

 1945年4月アメリカ軍が沖縄に上陸。日本軍による本土決戦準備のための「時間稼ぎ」は住民を道連れに悲惨を極めました。琉球石灰岩でできた沖縄島はガマとか壕と呼ばれる洞窟が散在しています。ぬかるみに足を取られる暗闇のなかで息苦しいほどに心にせまるガイドの声。アメリカ軍の攻撃に怯え、味方のはずの日本軍に見捨てられ、ガマ追い出し・スパイ容疑虐殺・集団死の強要。ガマの惨劇を、戦争の非条理を暗闇に埋もれさせるのではなく、次の世代に伝え明らかにしていくことの辛く悲しいまでの努力と願い。
 これらの経験が沖縄の人々に「平和」を求める米軍基地撤去のたたかいに確信を与えているのです。

沖縄から「平和」発信 ―国際シンポ

 シンポ「沖縄からの発信 米軍基地被害の根絶をもとめる国際連帯を」は11月30日・12月1日に那覇市で海外4カ国から5人の代表を迎え、150人の参加者で開催されました。
 アメリカ・フレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソン氏は沖縄サミットの際、アメリカの学者・文化人らと沖縄基地問題解決を訴える意見広告を発表し、注目されました。同氏はアジア・太平洋におけるアメリカの覇権主義の思惑とその世界戦略を批判し、「沖縄はアメリカによる侵略の不沈空母」と指摘。「米軍基地撤去へ立ちあがろう」と呼びかけました。
 イタリア・ピースリンクのフランチェスコ・イアヌレッリ氏は核の及ぼす環境破壊といった危険について原子力潜水艦の寄港地の事例をあげ、海や港の非核化のための国際連帯の必要性を強調し、韓国・緑色連合のイム・サンジン氏は在韓米軍によるハン河への有毒物廃棄汚染、米軍クーニー射撃場での誤爆による住民の死亡事件についてふれ、米軍の環境と人間への被害をやめさせようと述べました。
 プエルトリコ・ビエケス救済発展委員会のイスマエル・グァダルーぺ氏は劣化ウラン弾など核・化学兵器を使用した演習で人・動植物への影響が甚大なこと、海軍演習場の撤去を求めてたたかっていると述べ、「アメリカの植民地」といえる実態を怒りをもって糾弾しました。
 同じプエルトリコの中南米移民エンパワーメントのマリア・I・レイナト=プレマーホ女史は従属された地域社会、とくに女性への性的虐待など肉体的・精神的被害について言及し、米軍による犯罪を生々しく語りました。
 日本からは平和委員会事務局長の須田博氏がNLPや低空飛行訓練・実弾砲撃演習など騒音・環境破壊など深刻な事態を報告しました。
 各国にある米軍基地は規模や目的に違いはありますが、アメリカの世界戦略に沿った覇権主義的な軍事干渉・介入の場となっています。戦争の危険と主権侵害、地域住民にとっては個人財産の侵害、騒音公害など健康・生活破壊、人権侵害・環境汚染といった共通した問題の存在を確認できました。意見交換では「米軍基地問題の解決はまさに国際的課題」。「従属関係でなく真の対等なパートナーシップ」の確立、在日米軍基地撤去のためにはアメリカの覇権主義的世界戦略の要・日米安保条約の廃棄こそが必要であることもわかりました。敵は巨大だが「ガリバーのこびとの戦略」で草の根からたたかおうと各国の運動と共同の新しい展望が生まれました。

真の平和を ―沖縄の闘いひろげ

 米軍基地のある大和市や三沢市ではNLP騒音問題で市長が米軍との友好関係の断絶を表明するなど、自治体ぐるみのたたかいも報告され、平和をめざすたたかいがますます広がり前進していることも確認できました。 大会参加者に青年が少ないことを危惧し、次の大会にはもっと青年が参加できる工夫をとの声もありました。私たちが望む真の「平和」の獲得にはそれを阻もうとするものの大きさ、また「平和」を維持し続けることの困難さから長く粘り強いたたかいが必要です。だからこそ運動を引き継ぎ、次の世代へと繋いでいく青年の育成は重要です。
 大会4日間をとおして、私の心を打ったのは沖縄の人たちの平和への揺るぎない信念でした。名護交流集会や入門講座でも高齢者の力強い発言に熱くなりました。沖縄戦、米軍占領時代を体験した一貫した沖縄の平和への叫び、たたかい、願い。大会のさなかこんな言葉を聞きました。日米安保破棄・米軍基地撤去の「沖縄の先進的なたたかいこそノーベル平和賞」ものだと。 
 平和大会に一緒に参加した加藤副委員長と憲法9条と平和を守る決意を改めて固め合いました。


映画「郡上一揆」
 神山征二郎監督作品「郡上一揆」の上映が始まりました。江戸時代最大の農民一揆を描いた作品ですが、そこからは、民衆のエネルギーを感じ取ることができます。地元岐阜から3500人ものエキストラが参加しました。国公労新聞新年号に、神山監督と全厚生岐阜県支部澤村支部長の対談が載っていますので、ぜひお読み下さい。
全厚生本部書記局で全国共通チケットを扱っています。
一般・大学・高校生1400円、シニア・小学・中学生1000円。
上映の問い合わせは、
映画「郡上一揆」全国上映委員会 03-3470-8646



世界に誇れる日本国憲法

インタビュー●憲法に「男女平等」を書いた女性
  ベアテ・シロタ・ゴードンさん

 ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、1923年ウィーンの生まれ。父レオ・シロタ氏はリストの再来と言われたロシアの著名なピアニスト、母はキエフ出身の貿易商の娘でした。一家は山田耕筰の招きで東京音楽学校(現東京芸大)に赴任した父とともに来日。ベアテさんは5歳から15歳までを日本で過ごしました。ベアテさんは、その後アメリカのミルズ・カレッジへ単身留学しますが、在学中の日米開戦によって両親との連絡が途絶え、働きながら19歳で大学を卒業。その後タイム誌編集部のリサーチャー(記者が記事を書くための資料集めをする)として働きました。
 とにかく日本に残った両親に会いたい――ベアテさんはその一心でGHQに職を得て、1945年の12月24日、敗戦直後の日本に「帰国」し、戦時下、外国人として日本で苦しい生活を余儀なくされていた両親と劇的な再会を果たします。
 翌年の2月、彼女は憲法草案を作成する作業に加わることになります。このとき、ベアテさんは22歳。彼女が配属されたのは計3人からなる人権小委員会でした。ベアテさんの草案は、憲法第14条「すべての国民は法の下に平等」、第24条「女性の権利」、第25条「生存権」などに生かされています。
 1947年帰米。ジャパン・ソサエティやアジア・ソサエティで舞台芸術・映画・講演ディレクター等を務めました。6カ国語に堪能な才能を生かし、アジア各地の民族芸能を紹介するとともに、多くの芸術家を支援しました。現在ニューヨーク在住、77歳。

日本国憲法
第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
 @ 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなけばならない。

第25条【生存権、国の社会的使命】
 @ すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 A 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

アメリカの憲法以上のものを書きたかった

ベアテさんが日本国憲法草案にかかかわるようになったいきさつをおしえてください
 私はGHQの職員として1945年12月24日に来日しました。マッカーサー総司令部の民政局での最初の仕事は、女性政治運動そして小さい政党の運動のリサーチでした。
 そして、1カ月ほどたった2月4日、突然、新しい日本の憲法の草案をつくる任務が与えられました。みんな随分びっくりしました。
 私は人権小委員会に配属されました。男性2人女性1人、その女性が私だったのです。
ベアテさんの草案について聞かせてください
 民政局の運営委員会の3人の男性は、私が書いた草案にあった基本的な女性の権利に賛成しましたが、私が書いた社会福祉の点についてものすごく反対しました。
 ケーディス大佐は、あなたが書いた草案はアメリカの憲法に書いてあるもの以上ですよ、と言いました。私は、それは当たり前ですよ、アメリカの憲法には女性という言葉が1項も書いてありません。しかしヨーロッパの憲法には女性の基本的な権利と社会福祉の権利が詳しく書いてありますと答えました。
 私はすごくこの権利のために闘いました。涙も出ました。しかし、最後には運営委員会は私が書いた条項から、今の第24条の言葉だけ残しました。

男女平等条項は激しい議論の上歴史になった

憲法24条はどのようにして生まれたのですか
 1週間の間に憲法の草案ができ上がって、日本の政府の代表者に渡しました。それで私たちの仕事が終わったと思いました。でも、そうではありませんでした。
 3月4日にまた極秘の会議が開かれました。この会議に参加したのは民政局の運営委員会と日本政府の代表者でありました。
 私もその会議に通訳として呼ばれました。
 私は、会議が3、4時間で終わると思いました。しかし、最初からいろんな議論がありました。特に天皇制についての議論が長かったです。意味だけでなく、言葉の使い方、どういう字を使うか、全部議論になって、大騒ぎでした。日本側は、我々のつくった草案ではなく、日本政府がまた新しくつくった草案を基本にして、私たちは私たちでつくった草案を基本にして、それを比べるのは本当に複雑でした。日本側は英語がわからず、アメリカ側は日本語がわからないので、通訳の仕事はとても大変でした。私は通訳が速かったので、アメリカ側と日本側の両方の通訳をしました。日本側は私によい印象を持ちました。夜中の2時に男女平等の条項について議論になったとき、日本側は、「こういう女性の権利は全然日本の国に合わない、こういう権利は日本の文化に合わない」などと言って、また激しい議論になりました。が、日本側は私に好感をもっていましたので、私が男女平等の草案を書いたことを知って、快く受け入れ、第24条が歴史になりました。

戦前の日本女性の無権利知っていたから

ベアテさんの憲法に「男女平等」を書きたいという信念はどこから生まれたのですか
 私は、戦争の前に10年間日本に住んでいましたから、女性が全然権利を持っていないことをよく知っていました。奥さんがいつでも主人の後ろを歩くことを、奥さんがお食事をつくって、だんなさんとだんなさんのお友達にサービスして、会話には参加しないで、お食事も一緒にとらないで、全然権利がないことをよく知っていました。好きな人と結婚できない、離婚もできない、経済的権利もない、それもよくわかりました。
 しかし、家庭の中では女性が力を持っていることも知っていました。
 だから、私は憲法の中に女性のいろんな権利を含めたかったのです。配偶者の選択から妊婦が国から補助される権利まで全部入れたかったんです。そして、それを具体的に詳しく強く憲法に含めたかったんです。
 アメリカでタイム誌編集部で働いているときも、記者はすべて男性で女性記者は1人もいませんでした。リサーチャーはすべて女性で、アシスタントでしかない。女性であることの苦労と差別を体験しましたから。

全厚生へのメッセージ●労働組合の力で平和運動を

日本国憲法はアメリカの押しつけではない

この新しい憲法は日本に押しつけられたものであるから改正すべきだとの主張がありますが
 マッカーサー元帥が憲法を日本の政府に押しつけたということが言えますでしょうか。普通、人がほかの人に何か押しつけるときに、自分のものよりいいものを押しつけませんでしょう。日本の憲法はアメリカの憲法よりすばらしい憲法ですから、押しつけという言葉を使えないかもしれません。特に、この憲法が日本の国民に押しつけられたというのは正しくありません。日本の進歩的な男性と少数の目覚めた女性たちは、もう19世紀から国民の権利を望んでいました。そして、女性は特別に参政権のために運動をしていました。この憲法は、国民の抑えつけられていた意思をあらわしたので、国民に喜ばれました。
 日本は、歴史的にいろんな国からずっと昔からよいものを日本へ輸入しました。漢字、仏教、陶器、雅楽など、ほかの国からインポートしました。そして、それを自分のものにしました。だから、ほかの国から憲法を受けても、それはいい憲法であればそれでいいではないですか。だれがそれを書いたということは本当に意味がないでしょう。いい憲法だったならば、それを守るべきではないですか。

憲法調査会は危険なパンドラの箱

憲法調査会についてどう思われますか
 憲法調査会は、パンドラの箱だと思います。どのような変なものが出てくるかわからない。「改正」が「改正」ではとどまらない。必ず、いいものも変えてしまう恐れがある。危ないです。
 この憲法は50年以上もちました。それは世界で初めてです。今まではどんな憲法でも40年の間に改正されました。私は、この憲法が本当に世界のモデルとなるような憲法であるから改正されなかったと思います。
 日本はこのすばらしい憲法をほかの国々に教えなければならないと私は思います。平和はほかの国々に教えなければなりません。ほかの国々がそれをまねすればよいと思います。
 日本の憲法のおかげで日本の経済がすごく進歩しました。武器にお金を使わないで、そのお金をテクノロジー、教育、建築などのために使って、日本が世界の中で重要なパワーになりました。隣のアジアの国々も日本について安全な気持ちを持っています。日本の女性はそれをよくわかっています。

男女平等はこれからもっと進む

戦後55年たっても男女差別は現実に私たちの職場にも残っています
 男女平等は、54年前に決められた。この国は軍国主義の国だったので、それがくるっと変わるのはむつかしいです。アメリカだって200年経っているのに、いまだに差別が残っています。しかたがないと言いたくありませんが現実です。
 しかし、今からグローバリゼーションで、コンピュータやインターネットがあるから、ずいぶん早くなると思います。今まで苦労した分については、10年が5年に、5年が2年と、もっと差が縮まると思います。最初の50年がいちばん難しい時。保守的な人に変わって新しい人がでできて、若い人は男女平等が当たり前と思っているので、ここから早く早く進むと思います。
私達は男女平等をめざして運動しています。全厚生にメッセージをお願いします。
 労働組合が男女平等のためにいろんな動きでいろんなことが出来るから、とてもいい道だと思います。労働組合をぜひ大きくして、いろんなことをやったなら、また労働組合の力で、平和運動ができれば、それが非常に日本の国のためだけではなく、全世界のためになる。がんばって、一生懸命手を繋いで、そういうことをしなければならないと思います。
どうもありがとうございます

*  *  *  *  *  *  *  *

ベアテさんの本を5人にプレゼント
ベアテ・シロタ・ゴードンさんの本「1945年のクリスマス」を「全厚生」読者の方5人にプレゼントします。
ハガキに住所・氏名・支部名・感想等を書いて下記に送って下さい。
締め切りは1月31日必着。

〒100-8916 千代田区霞ヶ関1-2-2 厚生労働省内
   全厚生職員労働組合「ベアテさん本」係

Back  to HOME