◆第1472号(2000年9月15日付)◆
本省組織のあり方で意見交換本省組織のあり方で意見交換

「厚生労働省」創設問題対策委員会

  全厚生、全医労、全労働の3単組は9月1日午後、全労働会議室で第2回目の「厚生労働省」創設問題対策委員会を開催しました。
 この委員会は、厚生労働省が発足するにあたり、共通した課題での共同行動などの取り組みの検討、「厚生労働省」創設にともなう組織課題の基本方向について検討する目的で今年1月に設置したもの。委員は、3単組委員長を代表委員とし、各単組の委員をもって構成しています。
 全医労は、すでに7月に定期大会を開催。全厚生、全労働は9月中旬に大会を開催することから、各単組の組織課題を相互に交流しました。
 特に全労働、全厚生の両本省組織の今後のあり方について、両大会方針案は「厚生労働本省労働組合共闘会議(仮称)」をつくり、要求実現や組織の強化をめざすことを提案しています。この具体化の方向について、意見交換しました。

平和を願い子ども達の未来を守りたい
━第46回日本母親大会in東京に参加して 7月29・30日

「知る」ことの大切さを実感 ─愛知県支部 村松みどり─
 母親大会には今回初めて参加しましたが、会場へ一歩入った瞬間まず目をみはりました。巨大な有明コロシアムの大ホールの中が見渡す限りすべて女性で空席が一つもないくらい埋め尽くされていたからです。横断幕を
かかげたりはちまきをした世のお母さん達の熱気が会場中を覆っていて記念講演の黒柳徹子さんもたじろぐ程の勢いを感じました。
 黒柳さんは「知る」ということの大切さを訴えていました。手話通訳者が手の動きを見やすくするために常に黒っぽい服を着ているということもここに来て黒柳さんのお話を聞いて初めて知ったことです。アフリカの子供達の飢えのことはもちろん、まずは「知る」ということが大切なのだと実感しました。
 また、子ども達の為によりよい世の中を求め熱く活動する参加者達の姿を見て、将来自分が母親になった時も平和を願い子ども達の未来を守る為に精一杯努力しようと思うようになりました。
 これだけたくさんの人々の気持ちや願いを知ることができただけでも参加の意義があったと感謝しています。

基地との闘いに心動かされ ─静岡県支部 山本美智子─
 日本中からお母さん、未来のお母さんが1万人も参加して、話しあわれ、たたかいが報告されて一年に一度の大イベントでした。
 各地からの報告の中で、「米軍基地のない平和な沖縄を!」には心を動かされました。「日米安保条約廃棄」「日米地位協定のみなおし」など、私たちが20数年前に各集会でスローガンにしていて、今、忘れ去られてしまったものを、今、沖縄では、現実の大きな課題として、母親たちが沖縄の各地でたたかいを広げています。
 数年前の少女暴行事件をきっかけに、ますます深まっていくアメリカ軍基地と沖縄県民との矛盾。すべての根っこがアメリカ軍基地にあること。老若男女を問わず、「基地はいらない」の声がますます大きくなってきています。
 「日米安保条約」「日米地位協定」とても大きな課題ですが、もう一度、沖縄の人たちとともに勉強し、日本全土のたたかいになっていくことの大切さを感じました。今年は26歳の娘と2人で2日間参加しました。

心に突き刺さる黒柳さんの話 ─岐阜県支部 則竹裕美─

 母親大会の日は快晴でとても暑い夏日でした。会場となった有明コロシアムは全国各地からの参加者であふれかえっていました。あまりの人の多さに圧倒されながらも私は席を探し、やっとの思いで座りました。
 大会では、黒柳徹子さんが訪問したアフリカ各国の子ども達の悲惨な現状についてユーモアを交えながら笑い有り涙有りのとても興味深い話を聞かせてくれました。最も印象深かったのは、戦争で親を亡くし放浪する子どもに対して食糧難の中、ある母親が1つのパンを等分し我が子同様に分け与えていたということでした。もし日本が同じ状況におかれた時、我々はその母親と同じ事ができるだろうか、と問いかけられた時、何か心に突き刺さるものを感じました。
 今、豊かな日本であるからこそ心も豊かにし、すべての人が幸せだと感じることのできる社会をつくりあげるために努力をしていかなければならないと強く思いました。


リレーずいそう

父 娘


「育、家出て一人で暮らすから」と親を驚かせたのが19歳の時である。
 現在、旅行会社に勤務しながら、海外旅行を楽しんでいるが、だらしのない生活ぶりに「家を出て一人で生活してみたら?」といっても首を縦に振らない娘。あの時、一人暮らしを経験させるべきだったと、親の反省しきりである。 
 テレビの「ムツゴロウ」をみて、あそこで動物たちと一緒に生活したいと、泣いて駄々こねた8歳の頃、親同伴で謝罪に来て初めて知った友達の万引き事件、何故止めなかったのかと叱った10歳の時、星をみるのが好きで、天体望遠鏡をプレゼントした11歳の誕生日。
 いろいろと親を退屈させない娘であったが、やはり中学から高校にかけて父親を寄せ付けない時期もあった。そんな娘が私の口にチョコを入れたり、肩を揉んでほしいと言ったりするのは最近のことである。しょうがなく揉む妻の肩揉みと違い、いつまでも揉んでいたいと思う娘の肩・・・。「いつまでお父さんに揉ませているの!」と余計なことをいう妻。
 このように数え上げたらきりがなく、決して人様に自慢できる娘ではないが、今日まで家族が離れないように様々な役割を演じてきた娘に感謝している。これからも他人に優しく、目標を持った一人の社会人・女性として、悔いのない人生を歩んでもらいたいと願っている。25歳、一人娘の帰宅は今夜も遅い、親ばかの寝不足はまだまだ続く。

(函館支部 熊谷日出夫支部長) 


News

一人ひとりの思い大切に
香川県支部が定期大会を開催
 9月6日、高松市にある「義山荘」に於いて、第36回支部定期大会が開かれました。(写真)「今日は大いに議論し、発言してほしい」という森支部長のことばどおり、例年以上に質疑・討論のところでは、多くの活発な発言がありました。県国公、県労連、愛媛県支部、そして杉下委員長のあいさつを聞き、今、我々が抱えている問題の多さに驚くとともに、ひとりひとりの思いを大切にして、それを結集し、大きな力にしてたたかうべきときがきていることを痛感しました。議案は順調に採択され、最後は香川書記長の「団結ガンバロー」で力強く、さわやかに終了しました。
 新役員は次の通りです。
 ▽支部長 森芳清▽副支部長 藤田茂・高木和彦・高橋英二・丸畑和仁・澤田郁夫▽書記長 香川博▽書記次長 岡村和典
(香川県支部 常深容子)

定員削減反対でたたかう
静岡県支部が定期大会を開催
 9月2日、静岡県支部は第9回支部定期大会を静岡市で開催しました。飯塚支部長の挨拶に続き杉浦本部書記長、愛知県支部、岐阜県支部、芝田藤枝市議会議員らから挨拶を受けました。
 静岡県支部は、定員、昇格、業務問題等の重点課題があり、また国の進める定員削減に反対する行政改革反対闘争をたたかっていく方針を組合員で確認し採択しました。
 挨拶の中で本部の杉浦書記長は「21世紀にむけての国公・全厚生運動」をわかりやすく解説し、組合員の理解を深めました。
新役員は次のとおりです。
 ▽支部長 飯塚豊▽副支部長 山口孝夫・田中雅己・杉山智昭▽書記長 高橋一夫▽書記次長 望月昭吾
        (静岡県支部 飯塚豊)

核兵器のない世界へたたかいつづける
   原水爆禁止2000年世界大会に参加して 中央執行副委員長 加藤重徳


  世界の反核運動の高揚のなかで、被爆国・日本政府の好核姿勢は深刻な矛盾と破綻を鮮明にしています。世界が核兵器廃絶への「明確な約束」の方向で動き始めているいま、被爆国・日本政府を核兵器廃絶の方向に転換させることが、世界の人々に対する責務になっているとの「広島からのよびかけ」をかみしめたいと思うのです。
 広島は、核惨禍の炎獄  を見た。
 ヒロシマは、生の尊厳 を問う墓標となった。
 HIROSIMAは、 20世紀の象徴の一つと なった。
 いま、私たちはこの「広島からのよびかけ」を胸に刻み込み、核兵器廃絶を21世紀の初頭に達成するよう行動を強めなければなりません。「20世紀の過ちを21世紀に繰り返すな」。この被爆者の心の叫びを無にしてはなりません。高齢化と病弱になっている被爆者の苦しみをわが身のものとして運動をつよめなければと切実に感じました。
 8月6日早朝、平和公園で慰霊碑に参拝をささげた私は、ここから3、4分の所にある被爆建物で被爆当時救護所として使われた袋町小学校西校舎を訪ねました。最近、校舎の建替え工事中に、当時の状況を生々しく伝える「伝言」が発見されました。原爆投下直後、離れ離れになった家族は、焼け跡の校舎の壁に、チョークで消息を尋ねる伝言を書き連ねていたのです。それらは戦後の補修作業で壁に塗りこめられていたのでした。
 判読不明の文字がおおいなかで、「ヨロシクオネガヒイタシマス」の字句。必死の思いで消息を伝えようとした「伝言」の前に、私はいつまでも動かずにいました。私は55年前の強い陽射しの中に、灼ける広島を見ました。
 「世界の人びとによびかける。世界は変わりうる。すべての力と行動を結集し、核兵器のない21世紀をすみやかに実現するために、さらに大きな流れを創りだそう」(国際会議宣言)
 今世紀最後の「原爆の日」に広島を訪ね、被爆者、海外代表、草の根の平和を求める人々から多くのことを学ぶことが出来ました。私は、これらの人々のたたかいとこの国際会議宣言をしっかりとうけとめて、核兵器廃絶の熱い光の中に走り出す決意を新たにしました。   
(連載おわり)

核兵器廃絶めざして
   2000年原水爆禁止世界大会に思う 8月4〜6日 

核で傷付け合う人間が恐ろしい
 ◆京都支部 大八木祥恵
 今日の世界は核撤廃の実現がないため、その被爆で苦しんでいる人がたくさんいることを世界大会に参加して身にしみました。
 中でもレナータさんの発言には胸を打たれました。彼女は、核実験で被爆し身長1メートルにも満たない一人の女性だったからです。彼女の話を聞いていて、私たちは核による人間同士の傷付け合いをしているかと思うと、すごく恐ろしくなりました。
 一般市民の生活を簡単に奪う核兵器を早急に実施しなければならないと実感しました。
 京都支部では、毎年平和活動の一環として原水爆禁止世界大会に代表団を派遣しています。東京夢の島から平和行進が始まるころに、資金づくりのためのカンパニア活動を開始し「花火・おかき」などの販売と職場カンパを訴えています。今年の世界大会へは、6名の代表を派遣することが出来ました。
核兵器保有国を追いつめる
 ◆ ハ病研支部 儀同政一
 原水爆禁止2000年世界大会に全国から7500人(東村山から12人の代表)が参加しました。今春、新アジェンダ連合などの活動により核不拡散条約再検討会議で「核兵器の完全廃絶を達成するという核兵器保有国の明確な約束」が全ての核兵器保有国も含めて合意されました。これを受けて「国際会議宣言」が指摘しているように、核兵器保有国が今なお核兵器の開発を進めている中、核兵器保有国に「期限を切った核兵器廃絶条約の早期締結」を迫るため、日本政府が国連総会で核兵器廃絶の諸決議に賛成し、核兵器廃絶条約締結のためイニシアチブを発揮すること、さらに2000年秋からの国連ミレニアムサミットや国連ミレニアム総会への行動を焦点にした壮大な規模の運動を地域から発展させることがこれまでになく重要です。今大会に参加して、核兵器廃絶と平和を求める諸国民の世論と運動が大きな潮流となって核兵器保有国を追いつめつつあることを実感しました。
 大会後職場地域でも、8月末の原爆写真展の開催、さらに国民過半数をめざす「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名とミレニアム対政府署名の取り組みを強化しています

米軍岩国基地拡張に腹立ち 
 ◆ 愛知県支部 宮田健一
 10年ぶりに原水爆禁止世界大会に参加しました。前回の時はまだ組合活動をはじめたばかりで、よくわからない中での参加で、あまり印象に残っていなかったので、今回初めてのつもりで臨みました。
 不本意ながら、被爆者は、原爆が落とされた日本しかいないとずっと思っていましたが、核実験による被爆者やチェルノブイリなどの原子力施設の放射能漏れによる被曝者が大勢いることを知り驚きました。それと同時に核の怖さや核兵器の悲惨さを改めて感じました。
 また岩国基地見学では、新たに滑走路を建設するため、山を削り海を埋め立てるという二重の自然破壊を目の当たりにしました。ただでさえ米軍基地は日本に必要ないのに基地を拡張するという行為に腹立ちを感じました。
 平和があってこそ、我々の生活がまもられるものであり、平和を守るため地道に平和活動を行っていきたいと思います。

被爆体験の語り部に胸を打たれ
 ◆感染研支部 齋藤剛仁
 人類史上初の原爆投下から55年が経過した今年の夏、私は初めてヒロシマを訪れました。
 目の前に立ちそびえる原爆ドームを初めて拝した時、そこに込められた被爆者達の願いと意志が強く感じられました。
 平和公園に展示されていた被爆後の写真、その中に写されていた原爆ドームが今もなおそこに現存しているということ自体、大きな感動でした。
原爆慰霊碑に手を合わせ、燃えさかる炎を見ながら、この日のように暑かった被爆当日のことを想像しました。
様々な催し物が行われていた平和公園で、ひときわ印象に残ったものは実際に被爆した女性の語り部でした。炎天下、地面に座り込んで静かに語るその姿には、核兵器廃絶を訴えそして後世へと伝えていこうとする思いが込められ、胸を打たれました。
 被爆者認定の問題や日米核持ち込み密約の問題など初めて知った問題も多く、終戦から55年が経過した今も、在日米軍の問題など依然残された問題は数多いです。ともすると無関心で過ぎていた問題を、認識することができたヒロシマ訪問でした。

今回の経験生かして頑張る 
 ◆ 神奈川県支部 岡崎隆明
 私は今回初めて世界大会に参加しました。3日間という短い期間でしたが、開会総会や分科会、ピースジャムに参加し被爆者や海外代表の人達の貴重な体験談を聞くことができました。被爆者の体験談や資料館の写真を見た時に私が感じたことは、被爆者の人達は、肉体的に傷ついたりしていない方でも差別や偏見を受けたり、放射能の影響により様々な病気がいつ発病するか分からず、いつも死と隣り合わせで生きていることなどを知り、55年経った今でも原爆というのは被爆者の人達を苦しめており、核兵器は絶対に世界から全て無くさなければならないということです。
 分科会に参加し、私たちの国は世界で唯一の被爆国ですが、アジアの国々の間で加害者の話が出た時、私たち日本人は学校の教育のなかでアジアの人々に対してどのようなことを行ってきたかという事を学ぶことができず知らない人が多いし、その補償も十分ではないのが現実でありその事も私達は考えていかなければならない問題ではないかと思いました。また、被爆した人は日本人だけではなく、世界のいろいろなところで行われている核実験やウラン・プルトニウムの採掘現場で働いていた人達がたくさんの放射能を浴びてしまい様々な障害などに悩まされているという事が分かりました。
 ピースジャムに参加して、全国には私よりも若い高校生達が核廃絶の署名活動や平和学習などに取り組んでいる事がわかり、凄く驚きました。私は、まだ世界に3万発以上ある核兵器を無くしていくために、今回の経験を生かして頑張っていきたいと思います。

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