◆第1459号(2000年4月25日付)◆

   

25%定員削減は許さない −団体署名を広げよう−
 全厚生は現在、国公労連が提起している「25%定員削減」に反対する団体署名の取り組みをすすめています。
 各支部では、要請団体のリストの作成や要請が行われていますが、本部書記局も精力的に取り組もうと、4月7日に医療機関関係の労働組合に協力を要請し対話をしました。
 要請には、杉下委員長、杉浦書記長、山本書記次長が参加しました。
 要請にあたって、@国公職場に約54万の国家公務員に対して約24万人の定員外職員が配置されている実態、A本省庁での1カ月180時間におよぶ異常な超勤の実態などを紹介すると、驚きの声が発せられました。また、要請した団体からは、厚生行政を担当する職員で組織する労働組合として、ぜひ多くの知恵を出してもらいたいと、熱い期待も寄せられました。
 国公職場の厳しい実態、国民サービスが切り捨てられている実態、私たちがやりたい仕事などをしっかり語り広げることの重要性をあらためて実感しました。
 この間の経験として、業務センター支部から「団体署名用紙を50部追加して欲しい」との要請、秩父学園支部で10数団体に要請書を送付した経験、大阪支部が300団体に郵送を含めて要請し、さらに各個人が所属するサークルなどでも賛同を呼びかけることを提起しているなど報告されています。
 こうした積極的な取り組みの一方で、県国公の提起待ちなど足を出しかねている状況なども生まれています。
 話せば話すほど、私たちの運動への理解は広がり、このことが国公労働者の日常的な努力への理解につながっています。
 いま躊躇しているときではありません。勇気を出して、思い切って足を踏み出し、対話を大いに広げましょう。
岐阜県・各分会15団体の目標 −25%定削反対署名の取り組み−
 岐阜県支部では3月16日の拡大執行委員会において「25%定員削減に反対する団体署名」の取り組みについて支部で簡単な要領を作成し、意思統一を行いました。
 要領では、支部・各分会があらゆるつながりから訪問団体を決め、各分会が自主的な取り組みをすすめていくこととします。さらに、岐阜県国公が県内労働組合・各種団体の要請先の調整を行い、各分会役員と支部役員の合同で訪問をするなど、取り組みを進めています。
 この行動を単に役員だけの行動としないために、23日に開催した早朝職場集会では、取り組みについての報告を行いました。
 各分会ごとに「署名取組責任者」を決め、労働組合以外で要請できるところ(町内会各種サークルなど)は、組合員から情報の提供をしてもらい、その組合員だけで訪問できる団体なのか、分会役員が複数で要請または支部役員の応援が必要かなど、署名責任者との調整をし、進めています。
 毎月15日・末日の2回、報告書と獲得した署名用紙を支部で集約し、進捗状況や取り組みの特徴などについて報告を受けています。
 この署名の取り組みにあたっては、対話の重要性もあることから、各分会の目標数についても、単に署名獲得数を追及するのではなく、団体訪問による団体を15団体程度と設定し、獲得できなかった団体についても報告書(対応、意見交換の内容など)を支部で集約しています。
 支部ではこの要請行動を通じて書く分会が貴重な経験にすることが重要と考えています。これまでに各分会から、社会保険労務士会や会社・お店など様々な分野の団体署名が寄せられています。

−地方事務官制度廃止にあたっての声明−  新しい歴史をきりひらこう 
 4月1日、戦後50有余年にわたって存続してきた地方事務官制度が廃止され、社会保険関係の地方事務官は厚生事務官となり、都道府県知事部局に所属してきた保険課(社会保険管理課)、国民年金課(年金指導課)、保険指導課は、地方社会保険事務局となりました。これは、社会保険行政とそこに働く労働者にとって新たな歴史のはじまりといえます。
 社会保険行政は、これまで事務の一部が機関委任事務として位置づけられ、担当する職員は地方事務官という変則的な身分に置かれ、職員の労働条件のみならず、行政組織としても責任の所在がわかりにくいものでした。機関委任事務が廃止されたことにより、社会保険職場で行う事務のすべてが国の直接執行事務として整理され、国民的にもその責任の所在が明確な行政となりました。年金・医療をはじめ社会保障制度に対する国民の期待や関心は、年々高まっており、社会保険行政の役割はもとより、行政にたずさわる私たちの責務と役割もますます重要になっています。
 いま私たちに求められていることは、憲法25条に基づき国民の期待にこたえ、「喜ばれる行政」を精一杯提供することにあります。しかし、こうした思いは、定員削減をはじめとする公務員攻撃や行政そのものがゆがめられることによって阻まれつづけています。また、政官財の癒着による汚職や腐敗が国民の目に映れば映るほど、国の行政に対する厳しい批判となってあらわれています。
 こうした情勢をしっかり受け止め、私たちは、すべての国公労働者と手を携えて、国民サービスの後退につながる「行革」、公務員攻撃をやめさせるため、広範な国民・労働者と対話し共同を広げることが強く求められています。まさに国民の中に飛び込み、国民とともに歩まなければなりません。
 社会保険に働くすべての仲間のみなさん
 社会保険職場の新しい歴史の幕開けに当たって、あらためて公務労働者の責務と役割を自覚し、国民生活破壊の「行革」阻止、年金・医療をはじめ社会保障制度の拡充をめざし、国民との共同を大きく広げましょう。誇りと働きがいのある職場、一人ひとりが生きがいと輝きを持った職場の実現をめざし、力を合わせてともに奮闘しましょう。

2000年4月3日 全厚生職員労働組合中央執行委員会  

  リレーずいそう  
● 桜の咲くころ

 毎年、桜の咲くころになると、20数年前に社会人となった頃のことを思い出す。
 学校を卒業しても定職がなく、事務機会社のエンジニア補助、飲食店の皿洗いなどをしながら、日々を暮らしていた。ある映画会社の手伝いをすることになって、映写技師となった。それほど仕事はなく、小中学校の団体鑑賞や地域の文化ホールでの映画上映が主な仕事で、重い映写機とフィルム、スクリーンを持って県内を回っていた。この頃は映画人口も比較的多く、年間2億人と記憶している。(全盛期の10億人以上には及ばない)
 全国には大阪、京都を中心に映画鑑賞団体がまだ健在で、岐阜市内にも「岐阜映画サークル協議会」という団体があり会員になった。その後事務局長になった。今、「郡上一揆」を撮影している神山征二郎監督とは、この頃から交流があった。神山監督は、まだ飯も食えないほど苦労していた。
 半年ほどして社会保険事務所に就職したときには、母が一番喜んでくれたことを今も思い起こす。
 「就職」ということばは、とりわけ感慨深い。定職がないことは社会からはじき出されたのと同じで、惨めな思いは当人でないとわかるまい。「絵に描いた餅」とはよくいったもので、手元にほとんどお金が無く、故郷を離れて一人暮らしを始め、生きていくためのお金がどんなに大切なものかを、塗炭の苦しみとして痛感した。思えば、母からもらった30,000円で始めた生活は、非常に厳しいものであった。
 近年になって若者だけでなく失業、就職難が続いている。昔とは状況が違うが、定職に就けないという惨めさは変わらないと思う。私たちもリストラの対象とされているが、今のたたかいがとりわけ重要に思う。

News
解散・総選挙で政治を変えよう 衆議院議面 4.11集会開く

 4月11日、国民大運動実行委員会は、森内閣ができてはじめての衆議院議員面会所集会(写真右)と議員要請行動を実施。130人が参加しました。日本共産党の寺前巌衆議院議員が解散・総選挙をめぐる国会情勢などを報告。参加者からは、「雇用保険法の改悪は、不安定労働者や低賃金労働者をふやす。高齢者がますます厳しくなる」(全労働)などの発言や「政治を変えるチャンス」「解散・総選挙に追い込もう」との決意が語られました。

ピカピカの小学一年生 [2
全厚生組合員の「ピカピカの小学一年生」全員集合。
数回に分けて掲載します。
コメント説明

@ 子どもの氏名(ふりがな)
A 大きくなったら何になりたい?
B お父さん、お母さんからのメッセージ
佐藤 慧拓 くん
@さとうけいた
Aポケモン・マスター
B清く、正しく、元気よく!小学校でもお友達といっぱい遊んでください。そして、好きなことを一生懸命勉強してください。
山下 将慶 くん 樋渡 佑太 くん
@やましたまさよし
A大工さん
Bゲームが大好きで妹にはとってもやさしいまさよしくん。小学校でも友達たくさん作って、元気にすこやかにお互いがんばろう。
@ひわたしゆうた
Aパン屋さんと電車の運転手さんと工事現場の人
Bいつも弟のめんどうをみてくれるお兄ちゃん。お友だちをいっぱいつくってね。
佐藤 麻衣子 ちゃん 山下 伸之 くん
@さとうまいこ
Aケーキ屋さん
Bいつも明るくたくさんの笑顔ありがとう。小学校へ行ってもその笑顔を忘れず、たくさんの友達を作ってね!
@やましたのぶゆき
A野球の選手
B病院通いが、多かったけど、元気に大きくなりました。小学校へは大好きなお兄ちゃんといっしょに通学できるね。
柴田 航佑 くん 小田島 範幸 くん
@しばたこうすけ
A博士
B絵をかいたり、物をつくることが大好きなこうすけくん。今度は勉強も頑張ろうね。お友達もたくさんつくって学校生活を楽しんでくださいね。
@おだしまのりゆき
Aスイミングスクールの先生
B「一年生になったら百点とってやる!」とハリキッているけれど、あなたは私の子。現実の厳しさに負けないで!!
板橋 昌央 くん 駒屋 鈴 ちゃん
@いたはしまお
Aオペラ歌手
Bいつも家でおもしろいことを言ってみんなを笑わせているまおちゃん。まだランドセルが大きく見えるね。心も体も大きくなぁれ!
@こまやりん
Aお花やさん
B大好きなお兄ちゃんと一緒に小学生だね。「ランドセルが歩いてるよ」と言われそう。小さいのがたまにキズ。でもそれがあなたの魅力。ガンバレ。
上野 卓也 くん 佐藤 悠太 くん
@うえのたくや
Aゲーム屋さん
Bちょっぴりはずかしがりやのたくやくん。小学校へ行っても友達とたくさん遊んでください。いつまでも心の優しいたっくんで。
@さとうゆうた
Aパイロット
Bいつも明るく大きな声で話をしてくれる悠ちゃん。毎日悠ちゃんの声に励まされているよ。その明るさで友達いっぱいつくってね。
服部 航平 くん 川村 光平 くん
@はっとりこうへい
A忍者
Bいつも神社で「みんながしあわせになりますように」って祈ってるこうへい。そんなこうへいがお父さんもお母さんもとっても大好きです。
@かわむらこうへい
A電車の運転士
B強い心とやさしい気持ちを大切に、小学校でもたくさんのお友達をつくってね!


第71回メーデー近づく みんなで参加しよう 
  第71回メーデーの準備が全国で急ピッチで進められています。中央メーデー実行委員会では、すでに第71回中央メーデーのメインスローガンを「働くものの団結で生活と権利を守り、平和と民主主義、中立の日本をめざそう!」に決定しています。
 全厚生は、世界の労働者が権利のためにたたかったというメーデーの歴史を積極的に受け継ぎ、21世紀の扉を開き、暮らしと権利、平和を守る労働者、民主勢力の総決起の日として大きく成功するよう、職場・地域からの取り組みを強めることを呼びかけます。
 春闘の時期は、たたかいを通じて労働組合がよくみえる時期です。4月に入った新入職員をはじめ、職場のすべての仲間を対象にした、組合加入の取り組みを強め、メーデーへの積極的な参加を呼びかけましょう。

● 知っていますか? メーデーのルーツを

「第一の8時間は仕事のために、第二の8時間は休息のために、そして残りの8時間はおれたちの好きなことのために!」
これは、今から114年前の1886年(明治19年)、アメリカの労働者が8時間労働制を要求してたたかった時に歌った歌詞の一部です。
 当時一日12〜14時間という長時間労働を強いられていたアメリカの労働者は、労働時間の短縮を要求して請願行動を続けていましたが、資本家たちはいっこうに受けつけませんでした。これに対して、アメリカの労働組合が実力行使に踏み切りました。組合がたたかいを呼びかけると、その反響が広がり、シカゴ、ニューヨーク、ボストンなどの全米各地で5月1日を期して約35万人の労働者がストライキに参加。多くのところで8時間労働を約束させました。 これが、今日につながるメーデーのルーツです。しかし、このたたかいは、すぐさま資本家側が反撃。厳しい弾圧のもとで、労働者がひるむと、8時間労働の約束は次々に反故(ほご)にされたのです。
 その後もたたかいは続きました。アメリカの労働者は、この弾圧に屈せず、労働組合(アメリカ労働総同盟)は再び、8時間労働制を要求してゼネストでたたかうことを決定。今度は、世界の国々の労働運動に共同のたたかいを呼びかけました。
 1889年にパリで国際労働者大会が開かれ、「アメリカ労働総同盟が決定している1890年5月1日を期して、8時間労働制の実施を国家当局に要求するために、すべての国とすべての都市で一大デモンストレーションを組織すること」の決議を満場一致で採択。これにより、幾十万の世界の労働者がストライキにたちあがりました。この共同闘争が毎年続けられ、メーデーは労働者の国際的団結を示威する日、世界の労働者の“たたかいの祭典”となりました。


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