◆第1449号(1999年12月5日付)◆

●機関と職務の評価引き上げを
社会保険庁と地方分権法成立後初の交渉

 全厚生は11月25日、社会保険庁と地方分権一括法成立後はじめての交渉を行いました。
 交渉には、社会保険庁から、高尾次長、紺矢総務課長らが出席しました。
交渉の冒頭、杉下委員長は、社会保険が名実ともに国の機関となるが、地方社会保険事務局が社会保険行政推進のシンボルとして明確に位置づけられる必要があり、それにふさわしい機関と職務の評価と、国民に信頼される責任ある事務実施とその体制づくりが重要であることを強調しました。 組織について、査定庁の対応もあるが、社会保険庁の決意が重要であることを指摘し、機関と職務の評価の引き上げを強く要求しました。
 定員については、定員削減という国の政策をストレートに受け入れるのではなく、職場実態をふまえた対応を求め、定数に関わっては、8級以上の上位級の拡大と全体的なグレードの引き上げを強く要求しました。
 人事については、強制的な広域人事については、「慣行をゼロにするわけにいかない」とする従来の回答を再度確認するとともに、地方社会保険事務局の事務局長及び次長への地元職員の登用を求めました。とりわけ、地方社会保険事務局の新設時には、せめて次長には地元職員を登用するよう強く要求しました。
 これらの要求に対して高尾次長は、厳しい定員事情のもとでの努力に謝辞を述べつつ、(1)地方社会保険事務局を都道府県の最高責任機関にふさわしい組織として要求している、(2)定員について25%削減の中ではあるが業務の困難性、複雑性を強調して要求している、(3)定数について全体の引き上げになるよう要求している、(4)広域人事については本人の意向等十分配慮する、(5)人事については検討中だが(幹部職への登用については)本庁、地方の区別なく適材適所で対応する、と回答。
 紺矢総務課長から予算要求状況の説明を受けた後、杉下委員長は高尾次長に、(1)人事について全体として検討中ということだが、地方社会保険事務局の設置で人事の慣行が変わることがないか、(2)定数の問題で今示せるものがあるのか、とただしました。
 高尾次長は、(1)一方的、強制的な人事をしていないと認識している、地方社会保険事務局の設置でこれを変えるつもりはない、(2)知事のもとから新しい機構に移行することについては理解を得られるだろう、と回答しました。
 この後、飯塚副委員長を中心に、重点要求について社会保険庁の回答を求め、紺矢総務課長が答弁しました。
 交渉の最後に杉下委員長から、(1)社会保険庁が主体的に判断できる事項についてはもっと積極的に対応するべきであること、(2)いい仕事・信頼される仕事をすることが国民の期待に応えるとともに労働条件を確保・改善するうえでも重要であること、(3)機関委任事務等の廃止が国民サービスの拡充につながることが重要であることを指摘し、社会保険庁のさらなる努力を求め、高尾次長から来年四月に円滑に移行できるよう努力する決意が表明され交渉を終了しました。
 今回の交渉を通じて次の点で、前進的な回答を引き出しました。
 地方社会保険事務局の設置について、都道府県の最高責任機関であり、それにふさわしい組織を要求している、と全厚生の要求の基本的な立場に沿った考え方を明らかにしたこと。
 庁舎の設置場所について、月内に示すことを明らかにしたこと。(設置場所の内定は十一月二十五日付で送付されました。)
 定数にかかわって、国の独自の機関にふさわしい定数を要求していることを明らかにし、査定庁の厳しい動向について、一般的に厳しいというのではなく、「行革の中で、一つ一つの必要性、緊急性が問われている」と具体的に答えたこと。
 ◎人事について、「一方的、強制的な人事をしていないことは認識している。地方社会保険事務局の設置でこれを変えるつもりはない」と明確に答えたこと。
 幹部職(局長、次長)への登用について、「地方社会保険事務局の発足に当たって、せめて次長への登用を」という主張に対して、検討中としつつも、本庁、地方の区別なく適材適所で対応すると回答し、主張について否定しなかったこと。
 所長の中央人事について、従来の回答と異なり、「現時点でどうこういうことはできないとしつつも、ご要望としてうけたまわっておく」と答え、要求を否定しなかったこと。
 定員について、定員削減に反対する立場は表明しなかったものの、削減数を極力減少させるべく努力することを表明したこと。また、業務の効率化・省力化を真剣に考える必要があることを表明したこと。
 福利厚生について、地共済の貸付金の返済について、新共済で従来と同様の条件で借りられる特例を協議していることを明らかにしたこと。県互助会の対応(返済金の扱い)について、「実状に即した対応をしたい」「個別に対応したい」と回答し、社会保険庁としてのスタンスを明らかにしたこと。
 社会保険庁・業務センターの超勤について、超勤の実態について「ひどい」という認識を示したこと。


年金改悪阻止へ
署名や国会前座り込みなど奮闘

 65歳未満の年金がゼロになる内容の年金改悪法案は、11月26日、衆議院厚生委員会で自自公三党が採決を強行しました。しかし、公聴会前に採決の日程を決めるなど議会のルールも無視した数の横暴に、野党が結束して反発し国会は空転。11月29日、議長裁定により厚生委員会への差し戻し審議となりました。政府・与党は年金改悪法案を継続審議にする方針との報道もあり、情勢は緊迫しています。年金改悪反対の署名を+さらに広げ、法案阻止へ運動を強めましょう。
 全労連はこの間、年金改悪法案の廃案を求め、国会前座り込みや議員要請行動などを展開。11月30日の女性デーには、全厚生女性部も座り込みました。


リレーずいそう=ニュージーランドで政権交代

 この夏、ニュージーランドの行政改革、福祉事情の視察に出かけた縁で、今回のニュージーランドの総選挙には関心があった。ニュージーランドの政権党である国民党は特例の無い民営化、外国資本への売却などによって「小さい政府」「規制緩和」を中心に大胆な行革を実行し、国の赤字を黒字転換した。そして、日本政府が真似して省庁再編、独立行政法人化を行うことになった。
 ニュージーランドの行革の結果、労働組合は60%以上の組織率から20%になり、失業者の増加、大学の授業料有料化、年金や休業保障への所得調査による抑制、経済利益は外国資本に持って行かれ、消費税の引き上げ、法人税の減税、中間層の所得税率の引き上げがされ、多くの国民の層に不満が溜まっていた。
 日本の福祉政策よりはるかに手厚い福祉事情にあるにもかかわらず、私たちが出会った人々からも、次は「労働党が政権を」という声が聞こえていた。
 そして、今回の総選挙で国民犠牲の規制緩和、小さい政府を継続しようとした国民党にノーを突きつけた。主権は国民にあり、国民が望む政府を国民が作る。民主主義の手本を見た思いです。
 ニュージーランドの2大政党のどちらも女性が党首です。国民党のシンプリーは46歳。労働党のクラークは49歳。もちろん国会議員も半分近くを女性が占めている。さすがに女性参政権を明治26年、世界ではじめて実施した国の姿らしいではありませんか。(杉崎伊津子中央執行副委員長)


●News

28万の定削反対署名提出
12.3中央行動に1,500人が結集
国公労連は、12月3日、25%定員削減や独立行政法人化など、国民サービス犠牲の行革阻止の課題をかかげて、99年秋年闘争の最大規模の行動として、行革闘争中央行動に取り組みました。
 この行動では、28万筆を越える「定員削減反対署名」を総務庁に提出、定員削減計画の中止を求めるとともに、早朝宣伝や議員要請行動、総務庁前要求行動、国会請願デモ(写真右)、総決起集会などを通して、今後いっそう国民との共同を広げていくことを決意しあいました。行動には、全体で、1500人が参加し、全厚生は、本部はじめ本省・統計・人口研・リハ・神奈川県・愛知県・岐阜県・京都・愛媛県の各支部から32人が参加しました。

定削反対を議員に訴えて
愛知県支部 佐藤憲一(28)
 25%定員削減計画の見直しを求めた議員要請行動に参加しました。5人の議員を訪ねました。4人の議員のところは秘書の方が出てきて、話を聞いてくれたものの、果たして議員に私たちの訴えた現場の状況が伝わるのだろうかというあっけない態度での対応でした。もう1人の議員は、愛知の三沢議員(自由)なのですが、三沢議員に至っては、要請に対して面会を拒否するという結果でした。せっかく愛知から来たのに地元からの意見を聞こうとしない態度には議員としてはあるまじき態度ではないかとの怒りを覚えました。三沢議員は元中日ということもあり、私は中日ファンでなくて良かったとの思いにもなりました。なにはともあれ、議員には直接会えなかったものの、現場の意見を伝える議員要請の行動は非常に大切なことだなと感じるとともに、いい経験が出来たなと思いました。


●基礎研究重視の答弁引き出す
衆院厚生委員会で栄研の独法個別法案審議で

 「独立行政法人国立健康・栄養研究所法」はじめ59本の独立行政法人の設置のための個別法案、1300本におよぶ1府12省庁体制への移行のための中央省庁等改革関連施行法案は、11月24日、衆議院・行政改革特別委員会で、共産党の反対を押し切り、自民・自由・公明の3党と社民党の賛成多数(民主党は独法推進の立場で反対)で可決し、25日の本会議採決をへて参議院に送付されました。
 11月19日、衆議院行政改革特別委員会で行われた「厚生労働省」関係の独立行政法人個別法に関する質疑では、国立健康・栄養研究所に関わって、日本共産党の瀬古議員と民主党の金田議員が質問しました。全厚生は、加藤副委員長と山本書記次長
が傍聴しました。
 共産党の瀬古議員は、国立健康・栄養研究所が戦前からの長い歴史を持ち、国民の健康と食生活の改善に大きく貢献したことを重視する観点から政府の見解を質しました。答弁をした厚生省官房審議官は、世界初の栄養研究の機関であることを紹介しつつ、高血圧、生活習慣病や食品の安全対策など、国の保健医療政策に密着した研究をしてきたことを明らかにし、また、基礎的研究は大事であり、中期計画の業務が確実に実施されるよう配慮する旨を表明しました。 また瀬古議員は、独立行政法人になると「儲け主義」によって事業が本来目的からゆがむ危険性があることを指摘。厚生省官房審議官は「あってはならないこと」と、「稼ぐこと」に目的があるのではないことを明らかにしました。
 一方、民主党の金田議員は、国の事業の地方への移譲、民営化、公務への民間参入の拡大という視点から同法案に反対する質問を繰り返しました。これに対して答弁にたった厚生政務次官は、秘守義務及び公権力の必要性、試験・検査結果に対する責任などの点から、「国立」にしたことを明らかにしました。金田議員は、他の研究機関とたばねて独立行政法人とすることや民間の参入を確保することなどを強調し、国民生活との関わりや国民サービスなどを抜きにただひたすら公務部門の統合・縮小のみを主張し、政府が進めている「行革」に勝るとも劣らない民主党の立場を明らかにしました。
 全厚生は、参議院において同法案の徹底審議を求めるとともに、国民生活に果たしている公務部門の役割をあらためて明らかにし、国民生活を重視した行財政を確立するための改革を実現するため、引き続き、全力を挙げて奮闘します。


●全厚生青年部長会議報告
米軍基地はいらないの思い強く
米軍機墜落事件の話を聞き、平和の母子像を訪れて
 10月16・17日に開いた全厚生青年部長会議の初日、米軍機墜落事故の被害者である椎葉寅男さんの話を聞きました。翌日、この事件のゆかりの地も訪れるフィールドワークを行いました。青年部事務局長の玉木健二さんがリポートします。
 1977年(昭和52年)9月27日、午後1時20分ごろ横須賀港を母港としていた米軍空母「ミッドウェー」の艦載機RF4Bファントム偵察機が、厚木基地を発進してまもなく火災を起こし、横浜市緑区荏田町に墜落。付近は一瞬にして火の海と化した・・・これが緑区米軍機墜落事件です。
 墜落した付近一帯はジェット燃料で炎上し9人の死傷者がでた。2人の米軍パイロットはパラシュートで脱出。自衛隊の救難ヘリが事故現場に急行するも重傷を負った被災者たちを救助せず、パイロットだけを乗せて基地へ帰ってしまった。その日の深夜、林さんの3歳の子が、「ジュースのませて。いい子にするから・・・」と言い残し黒いかたまりを吐き死んだ。やけどには水分はだめだからかわいそうだった。その後1歳の子は、やはり黒いかたまりを吐き、覚えたての「はとぽっぼ」を力なく歌い死んだ。その母、林和枝さんは全身8割にも及ぶやけどを負ったが奇跡的に死から脱出し、闘病生活を余儀なくされたが国は精神病あつかいにして、治療設備のととのわない病院に移した。ケロイドで皮膚呼吸のままならない和枝さんはカニューレという呼吸器を付けていた。本人が春まではずさないでと言っていたのに防衛施設庁と昭和医大の人が1月の寒い日にはずしてしまい3日後に和枝さんは死亡しました。
 椎葉さんが奥さんの入院している病院から帰ると、警察が事故現場を封鎖していた。事故の被害者だと説明して中へ入ると米軍兵がわがもの顔で事故の隠蔽のためにいろいろ集めていた。椎葉さんには警官がはりついていたといいます。
 そして、椎葉さんは事件の真相を明らかにさせるためやむなく裁判に訴え、米軍と日本国を相手に勝利します。
 この事件には全国から告発の声と運動が沸き起こり母子像建立運動などに発展。母子像は最初、事故現場付近の公園に作る予定が事故の痕跡が残ると許可が出ず、港の見える丘公園になりました(愛の母子像)。「あふれる愛を子らに」と刻まれていますが本当は「この子らに」でした。「この」が事件を特定してしまうので削られたそうです。それでは意味がないので京急長沢の基地を見下ろす高台に「平和の母子像」が作られ、「鳩よよみがえれ」と刻まれています。横には事件の概要のわかる石碑もあります。「平和の母子像」は基地を監視し続けているのです。


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