◆第1448号(1999年11月25日付)◆

●独法化で労働条件を後退させるな
行革、残業、昇格課題などで人事課長と交渉

全厚生は11月16日、官房人事課と行政改革、定員、残業問題、昇格などの課題で交渉し要求実現を迫りました。交渉には全厚生から杉下委員長ら本部役員8人が出席し、人事課からは伍藤人事課長、松浪人事調査官らが対応しました。
 冒頭、杉下委員長が行政改革について、中央省庁再編等の課題にふれた後、国立健康・栄養研究所の独立行政法人化にあたって労働条件、研究体制を後退させないことを強調し、事前の情報提供を求めました。さらに、委員長は職場の実態から政府が決めた25%の定員削減は受け入れられないと述べ、厚生省の態度が問われており削減政策の変更を求めていく立場に立つよう迫りました。
 つづいて伍藤人事課長が、8要求について一括して回答。厚生労働省の設置にあたり、「職員の身分、勤務条件は各職員にとって最も基本的かつ重要な問題」と述べ、「統合に際して問題が生ずることがないよう十分配慮する」と表明しました。
 健康・栄養研究所の独立行政法人化について、(1)職員の雇用継続は個別法案の附則2条で規定された(2)通則法で職員の勤務時間、休暇等についての規定は「国家公務員の勤務条件を考慮したものでなければならない」と明記されている(3)発足にあたっては「現在行っている業務を円滑に移行することが基本である」との認識を示しました。
 超過勤務縮減と定員要求について課長は、「超勤縮減はきわめて重要課題の一つとして取り組んでいる」が、「依然として恒常的に長時間残業の実態がある」と深刻な残業実態を認めました。そのうえで課長は、厚生省は国民的課題が多く一生懸命取り組むが、「解消はそう容易ではない」と表明。「つき合い残業」については、「昔より改善されてきたのではないか」と述べつつ、管理者が退庁しやすい、帰りやすい環境をつくること、長時間残業がつづいている場合に早期に帰すとか、午前中は休むなど現行の仕組みのなかで工夫することが重要でありきめ細かくやりたい、と回答しました。
 「25%削減」については「政府全体の計画であり、厚生省としては従わざるを得ない立場にある」と、回答しましたが、増員については「業務の重要性とか国民のニーズに応えるような行政課題が多いという特殊な要因をいろんな機会で訴えている。今後とも必要な増員の確保に最大限努力する」と表明しました。
 研究職の検査・検定等に従事する研究者の昇格については、「部長・室長等の指導・助言を受け、共同研究を行うことにより研究実績があげられるよう各機関に要請しており、組織のなかの仕事の工夫を通じて昇格ができるよう引き続き努力したい」と答えました。
 福祉職俸給表について課長は、初任給は高くその後ゆるやかになる高原型の俸給表であり、来年1月1日に福祉職に切り替えられると説明し、介護員長を「いきなり3級に格付けするのは困難だと思う」と回答しました。
 セクハラの防止の要求について課長は、(1)啓発資料の配布、新規採用者の研修、セクハラ防止のための講義を新たに設けるなどで周知徹底を図っている(2)監督者の責務・役割の周知徹底に努める、と表明しました。

回答を受けてさらに、全厚生は(1)情報の提供と実効ある協議を(2)本省庁の実効ある残業規制の具体化(3)研究職の2級高位号俸者・枠外者の昇格改善、3級定数の拡大(4)介護員長の3級格付け(5)言語聴覚士の医療職(二)への切り替えにあたっては職務の専門性にふさわしい格付け(6)女性の幹部登用、女性職員の積極採用などの6点について、伍藤課長を追及しました。
 課長は、(1)タイミングをみて早めに相談すべきことは相談する。情報を提供する姿勢は変わっていない(2)厚生省は残業が多く霞ヶ関のなかでもワースト3にはいると認識している。業務量に見合う増員とか定員の確保が基本だが厚生省だけで解決を見ない。職場での工夫も限界との指摘はその通り。いろんな方面に実情を訴えていく一方当面、健康に配慮した工夫をしていくことが現実的だ(3)職場での工夫で基本的な要件をみたし、2級の高位号俸者5名が主任研究官に昇任した実績も出ている。引き続き3級定数の確保に努めたい(4)介護の職務の困難性とか責任については十分認識している。福祉職俸給表を運営するなかで、これにふさわしい格付けが可能となるよう人事院に要望する(5)言語聴覚士の職務の専門性を配慮した格付けができるよう必要な定数を要求し実現していきたい(6)省内でも係長、課長補佐等の任用が図られてきている。具体的な数値を示して計画をすすめることが可能かどうか勉強したい、と述べました。


●徹底審議の声、国会へ
−瀬古議員、栄研の独法化の問題点追及−

 86機関事務を56法人に再編し独立行政法人化の設立に向けた個別法案は、行革関連法案とともに、11月17日から衆院・特別委員会で審議が始まりましたが、採決をめぐる情勢は、まさに緊迫しています。政府は僅かの審議で、遅くとも11月24日には、委員会での採決を強行しようとしています。
 国立栄養・健康研究所の個別法案では、研究所の目的を「国民の健康の保持及び増進に関する調査及び研究並びに国民の栄養その他国民の食生活に関する調査及び研究等を行うことにより、公衆衛生の向上及び増進を図ることを目的とすること」としています。
 また、職員の雇用の承継問題では、附則第2条で「別に辞令を発せられない限り、研究所の成立の日において、研究所の相当の職員となるものとする」と、法人に引き継ぐことを規定しました。
 先の通常国会では、独立行政法人通則法で、枠組みを決めただけで、基本的な問題は、自自公3党による異常なまでの国会運営や、強引な採決によって、十分な審議がされていません。
 今こそ、徹底審議を求めるたたかいの強化が重要になっています。
 こうした中、11月19日、衆議院の行革特別委員会で日本共産党の瀬古由紀子議員が、国立健康・栄養研究所の独法化の問題で質問に立ち、問題点を追及しました。


リレーずいそう=今が貴重な時

 全厚生のある霞ヶ関合同庁舎5号館の13階から見下ろすと、日比谷公園の木々は色づき、今が見頃です。この景色は、私には懐かしく、忙しさも忘れさせてくれます。
 7年ぶりに全厚生に戻り、2カ月が過ぎました。交渉、会議、行動参加など、書記局や中執の仲間たちと切磋琢磨しながら、いい意味で緊張感をもって仕事をしています。その全てが新鮮であり、日々新たな感動がある、といったところです。この気持は、ぜひ持続させたいものです。
 さて、熱き思いで結成した全労連も、10周年を迎えます。戦前・戦後のたたかう労働運動の歴史と伝統を受け継ぎ、「対話と共同」を広げ、着実に前進しています。
 そういえば、全労連の事務所は、平和と労働会館の6階にありますが、窓があっても、外が見えませんでした。
 その全労連で活動していた時には、幹事会や事務局メンバーと日々、日本労働運動を丸ごと議論し、全国の様々な実践に学びながら、いつしか、「全厚生に戻る機会がなくなるかもしれない」と、ふと思ったものです。だから、今が「貴重な時」と受けとめています。
 あと13カ月で21世紀。年末恒例のベートーヴェンの第九交響曲でいうと、今は第3楽章の終わりといったところ。2000年の春闘は第4楽章の始まりと位置づけ、21世紀の幕開けは、希望にみちた「歓喜の歌」の大合唱になるよう、みんなの声を重ね合わせていきたいと思います。(杉浦公一書記長)


●News

独法個別法案は徹底審議を=11.17国会議員要請行動
 11月17日、全労連や国公労連などによる中央行動が行われ、全厚生は本省と神奈川・愛知・香川・愛媛の各県支部の仲間が結集し、国会議員要請、総務庁前要求行動、中央総決起集会などを成功させました。
 議員要請行動では、(1)独立行政法人に関する署名の紹介議員となること(2)各対象事務業務の内容にも踏み込んで徹底審議をつくすことの2点で要請。全厚生は、20名の参議院議員に対して国立健康・栄養研究所を例にあげつつ要請しました。議員要請は初めてという香川県支部の堀裕一さん(27)は、積み上げると50pほどにもなる法案を見て、「あれをたった6時間の委員会審議で採決しようなんてむちゃだ。個別に法案の内容をつめるべき」。

リストラ・解雇許すな=総決起集会に2000人
 昼休みの総務庁前要求行動では、全厚生を代表して杉下委員長が、25%定員削減に反対して力一杯たたかう決意を力強く表明。午後の日比谷野外音楽堂での中央総決起集会には、国公労連やJMIUなどから約2000名が参加し成功。その後、国会請願デモを行い「25%定員削減反対」「リストラ合理化反対」「国民生活を守れ」などのシュプレヒコールを国会周辺に轟かせました。愛知県支部の小幡康弘さん(36)は、「滞納処分の仕事をしているが、保険料を払えない事業所が増えてきている。要因のひとつにこの不況がある。国は中小企業に手厚い対策をしてほしい」との感想。


●「日の丸・君が代」の強制はやめよ
全厚生中央執行委員会が見解を発表

11月5日、全厚生中央執行委員会は、「国旗・国歌(日の丸・君が代)法」に対する見解 -「天皇在位10年記念式典」ともかかわって-を発表しました。(全文掲載)

 自自公三党などは8月10日、「国旗・国歌法」を十分な審議も行わずに強行成立させました。この問題については、国民世論が二分している現状に照らしても慎重審議が求められていました。いま、職場の内外では、「国旗・国歌法」成立を根拠にした「日の丸・君が代の押し付け」がつよまっています。全厚生は、こうした事態をつよく危惧し、「日の丸・君が代」の強制に反対し、以下の見解を表明するものです。
 法の成立をうけて政府は、各省に対して「主催行事における国旗掲揚、国歌斉唱・演奏への配慮(関連団体への協力要請を含む)」を8月末に通知しました。また、9月28日には、「天皇在位10年記念式典」を11月12日に政府主催で開催すること、当日の各省庁での「日の丸」掲揚、地方公共団体、全国の会社はもとより、一般家庭にまでも「広く日の丸を掲揚するよう協力を要請」することを閣議決定しました。

国旗掲揚、国歌斉唱に義務はない
 「日の丸・君が代」法制化の先頭に立った野中前官房長官は、「11月12日に天皇陛下の在位10年式典という大きな節目があるので(法制化を)ぜひやりたい」と述べていました。私たち全厚生が危惧するのは、こうした言動からも明らかなように、天皇を礼賛し、日本を「天皇中心の国」に後戻りさせる「キャンペーン」が、法制化を契機にいっそう露骨になっていることです。法案審議にあたって、内閣法制局長官は、「国旗国歌法自体の効果として、国民が国旗掲揚の義務や国歌斉唱の義務を課されることは一切ない」と答弁していました。式典などにおける国民への強制をめぐっては、この政府答弁を拠り所にした対応が求められることは当然であり、政府答弁さえふみにじる「押し付け」や強制はゆるされるものではありません。

「内心の自由」侵害は許されない

 1989年1月の天皇死去の前後から、「哀悼」や「代替わり」、さらには皇太子の結婚などの儀式を通じて「天皇の元首化」キャンペーンが繰り返されてきました。全厚生は、「昭和天皇重態」が伝えられた当時、「昭和が終わる時」と題して、「天皇の戦争責任」、その過去をどう克服するか、主権在民の憲法をまもり、平和・民主主義の確立をめぐって座談会を行い、「全厚生」新聞(1989年1月5・15日号)に掲載し、日本国憲法の原則を空洞化する「天皇制復活の企み」をつよく批判してきました。今回の国会審議において、「君が代」を「天皇の国」とする解釈を政府は明らかにしましたが、「天皇の国」をたたえる歌を国歌とすることが、国民主権の原則にそわないことは明瞭です。その「君が代」と国旗とされた「日の丸」が渾然一体で天皇制のシンボルとされ、悲惨な戦争に国民をかりたてるために使われてきたことは歴史の事実です。私たち全厚生は、天皇制のもとでのこの国の侵略戦争の歴史に目を閉ざない立場を明確にして「憲法遵守・職場平和宣言」運動に取り組んでいます。
 国民の「思想・良心の自由(内心の自由)」(憲法第19条)は、侵すことのできない「絶対的自由」です。にもかかわらず、政府があえて「日の丸・君が代」の押し付けをつよめていることに、つよい懸念を抱かざるをえません。

「戦争する国」への天皇利用反対
 先の通常国会では、アメリカの戦争に日本を自動参戦させる「新ガイドライン法(戦争法)」や、国民の自由な意思の表明やプライバシーを侵害する「盗聴法」や「住民基本台帳改正法」が、国民の反対世論を押し切って成立させられました。「日の丸・君が代法」も世論が二分しているもとでの成立強行でした。悪法を次々と強行成立させている自自公連立政権は、来年の通常国会で有事法制の立法化の準備にまで着手しています。行政改革の名による首相権限の強化などとも一体で、「この国のかたち」を「戦争をする国」に一気に改革するために、「天皇」を政治的に利用しようとする狙いが、政府の「日の丸・君が代」を「押し付け」る姿勢に反映していることは明らかではないでしょうか。

「日の丸・君が代」は世論を二分
 「日の丸・君が代」を国旗・国歌として認めるか否かの自由はもとより、「君が代」を「天皇の国」とする解釈にかかわっても、職員と国民の自由が絶対的に認められなくてはならないのは当然です。それだけに、国旗に対する敬意の表し方や国歌斉唱を「職務命令」の内容とするような強制が行われてはなりません。また、国民参加のもとに開催される厚生省主催行事において、参加者が「押し付け」とうけとめかねない行事運営は断じて許されないことはいうまでもありません。「天皇在位10年式典」の日にむけて、国民への国旗掲揚の「押し付け」のために国家公務員を動員するような過剰な対応も厳に慎むべきです。
 「日の丸・君が代」が、国民に定着したものではないことは各種の世論調査からも明らかです。政府も国会答弁でその点を確認しています。いわんや、天皇制の認識については、各々が受けた教育、生活環境、人格などにより大きく異なっています。認識の一方的な押し付けが、異なる考えを持つ人の疎外につながることは歴史の証明するところです。戦前でも行われたことのない「天皇在位10年を国民こぞって祝う」などとする「キャンペーン」自体が、重大な問題を含んでいます。「天皇中心の国」への回帰をめざす勢力の暴走に危機感を抱く国民も少なくないことを、政府は認識すべきです。

全厚生53年の歴史は強制を許さず
 全厚生職員労働組合は、戦後まもない1946年4月20日、「天皇の官吏」から決別し、「官庁民主化」を固く誓ってたたかいにたちあがり、組合を結成しました。そして、1954年「再軍備予算は増額、厚生省予算が削減」されようとしたとき、全厚生は厚生省玄関前に「国民のための厚生行政守れ」の横断幕をかかげ、庁舎には「再軍備より社会保障 厚生行政を守れ」のタレ幕をおろしました。全厚生は、こうした戦争反対、平和と民主主義をまもれの歴史と伝統を継承・発展させるため日々努力してきました。
 全厚生は、憲法遵守の責任と「社会保障の確立のために行政の反動化に反対し、わが国の平和と民主主義の確立に寄与することを目的とする」を規約に明記した労働組合として、「国民主権、基本的人権、恒久平和、議会制民主主義、地方自治」といった憲法の基本原則をないがしろにするあらゆる策動に反対して運動をつよめます。その立場から、全厚生は「国旗・国歌法」が成立したというあらたな状況にあっても、職員と国民の「内心の自由」を侵害する「日の丸・君が代」や「天皇礼賛」の強制・押し付けに断固として反対し、取り組みを展開する決意です。

1999年11月5日
全厚生職員労働組合中央執行委員会


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