国家公務員法を言論・表現の自由の
「弾圧法」にしてはならない(談話)
- 6/29・国公法弾圧・堀越事件での不当判決にあたって -
 本日、東京地裁刑事2部(毛利晴光裁判長)は、「国公法弾圧・堀越事件」について、検察側求刑にそう「罰金10万円」の支払いを命ずる不当判決を下した。なお、判決では、罰金刑では前代未聞の「執行猶予」がつけられており、限りなく無罪に近い有罪判決だといえる。それだけに、ビラ配布への警察権力の介入が相次ぎ、「共謀罪法案」の国会提出にもみられるような警察国家への流れが急速に強まる状況に、「法の番人」である裁判所が迎合した判決だとも言えなくもない。このような不当判決には、心からの怒りを禁じ得ず、抗議の意思を強く表明する。

 「堀越事件」とは、社会保険庁の職員が休日に、仕事や職場と無関係な場所で、政党のビラを配布したことが国家公務員法第102条(政治的行為の制限)に反する行為だとして逮捕され、起訴された事件である。公判で明らかになったのは、警察が、逮捕の1年前から延べ187名の警察官を動員し、職員を尾行し、監視し、盗撮を続けていた事実であった。警察は、微罪での逮捕を目的にした捜査を行っていたのである。このような違法捜査が許されるならば、多くの国民が警察監視のもとにおかれることになりかねない。民主主義国家とは相容れない「監視国家」への流れを強めるために国家公務員法を弾圧法に変質させようとする動きを許してはならない、という点は今回裁判の争点の一つであった。

 国家公務員法第102条は、国家公務員の争議行為を一律に禁止し、非現業国家公務員の労働協約締結権を否認した「政令201号」(1948年)にもとづいて制約強化がはかられた経緯がある。国家公務員の政治的自由の制約は、国民主権が否認されていた戦後占領下の亡霊に外ならない。
 全体の奉仕者である国家公務員がその職務上の地位を利用して政治活動を行うことが許されるべきではないが、同時に、国家公務員も主権者・国民の一人であり、自らの政治的信条にもとづく行為を一律全面的に禁止される合理的な理由は存在しない。「政令201号」の「お手本」になったアメリカですら、公務員の政治的活動に対する刑事罰は存在せず、行政罰も緩和の流れにあると伝えられている。
 それらの点を斟酌すれば、国家公務員法第102条の違憲性こそ判断されるべきであった。
 公判では、捜査の違法性が次々と暴露され、憲法など7人の学者・有識者が国家公務員法第102条の違憲性などを証言した。判決は、そのような証言を軽視し、37年前の判例(「猿払事件」・1974年11月6日最高裁判決)をなぞっただけで、公務員の政治活動禁止についての今日的な判断を行っていない。

 以上の点から、国家公務員の政治的自由の拡大を求める運動も背景に、本日の判決の不当性を追求するとり組みを強めることの必要性が明らかである。国公労連は、「堀越事件」での無罪勝利判決をもとめるたたかいに引き続き結集するとともに、公務員労働者の政治活動の自由を制度的に担保させる国内外での運動を引き続き強化する決意である。

2006年6月29日
日本国家公務員労働組合連合会
書記長  小 田 川 義 和 

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