「国公権利裁判」の一審判決

平成16年10月21日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官大野裕之
平成15年(ワ)第4816号損害賠償請求事件
口頭弁論終結日平成16年7月15日

判  決
当事者及び代理人 別紙当事者等目録記載のとおり

主  文

原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由
第1 請求
被告は,原告らに対し,別表の各原告の損害額欄記載の各金員及びこれらに対する平成14年12月10目から支払済みまでそれぞれ年5分の割合による金員を支払え。


第2 事案の概要
原告らは,平成14年度の人事院勧告(以下「本件人事院勧告」という。)に基づき立法された,一般職の職員の給与に関する法律(昭和25年法律第95号。以下「給与法」という。)改正法(平成14年11月22日法律第106号。以下「本件改正法」という。)附則5項(以下「本件特例措置規定」という。)により,同年12月に期末手当及び期末特別手当(以下「期末手当等」という。)を支給された国家公務員である。本件は,原告らが,被告に対し,@人事院総裁が,国会及び内閣に対し,原告らの所属する労働組合との団体交渉を行うことを留保せずに,本件人事院勧告を行ったこと,A内閣総理大臣,総務大臣及び総務省人事・恩給局長が,原告らの所属する労働組合との団体交渉を行うことなく,本件改正法案を作成し,本件改正法を執行したこと,B内閣総理大臣が,原告らの所属する労働組合との団体交渉が行われていない段階で,本件人事院勧告どおりの給与改定を行うことが適当である旨の閣議決定を行わせ,本件改正法案を国会に提出したこと,C国会議員が,原告らの所属する労働組合との団体交渉が行われていない段階で,本件改正法案を可決成立させたことが,いずれも憲法28条,結社の自由及び団結権の保護に関する条約(昭和40年条約第7号。以下「ILO第87号条約」という。),団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約(昭和29年条約第20号。以下「ILO第98号条約」という。)に違反し,また,本件改正法のうち平成14年4月分から同年11月分までの既払の給与を減額させた本件特例措置規定が「不利益不遡及の原則」に反するなどと主張して,国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づき,本件特例措置規定に基づく調整額相当額の損害賠償金(別表の各原告の損害額欄記載の各金員)及びこれらに対する民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

1 争いのない事実等

(1) 当事者等
原告らは,別表の各原告の「所属官庁」欄記載の官庁に勤務する非現業の国家公務員であり,平成14年4月から同年11月までの間,同表の「級・号俸」欄記載の級・号俸の給与の支給を受けていた。
原告らは,国家公務員で組織する原告らの各職場の各労働組合に加入している組合員であり,同各組合は,国家公務員の組合の連合体である国家公務員労働組合連合会(以下「国公労連」という。)行政職部会に加盟している。

(2)

平成14年度給与改定を巡る国公労連と人事院,総務省との会見経過等(なお,本項での出来事はすべて平成14年の出来事であるので,その表記を省略する。)
国公労連は,2月15日,政府に対し,組合員を対象とした「要求アンケート」に基づき,平均1万7000円(4.5パーセント)の賃金改善を要求し,また,人事院に対し,これに加えて,民間調査対象事業所抽出方法見直しの先送りを要求した(甲14,証人小田川【4頁】)。
中央段階での会見は,従来からの慣行で,政府・人事院とも,数次の担当レベルの会見を積み上げ,民間企業での妥結状況も踏まえて,3月中旬に最終的な回答が行われている。なお,人事院は,平成14年の勧告に際して,地方事務局との間で合計127回の会見を行い,その内76件は国公労連及び同加盟の単組等との間で行っている。
平成14年春闘段階でも例年と同様の会見経過をたどった。
人事院は,3月13日の会見で,国公労連らに対し,「日本の経済の状況は失業率が高く,企業収益が落ち込んでおり,製造業・非製造業ともに設備投資が回復せず,経営者の経営判断も悪い状況である。春闘の回答も出始めているが,一部大企業でボーナスで報いているところもあるが,全体的にベアは厳しい状況である。人事院としても要求については理解できるところもあるが,全体として見た場合を考えなくてはならないし,職員団体とも議論をしていきたいと考えている。今の時点で予見は言えないが,厳しい状況であることを前提にした上で対応していくこととなろう」と回答した(甲6の4)。
総務省は,3月15日の会見で,国公労連に対し,「人事院勧告を受けての国家公務員給与の取扱いについては,内閣がその責任において,労働基本権制約の代償措置である人事院勧告制度尊重の基本姿勢に立ち,国政全般との関連を考慮し判断することとなるものである。総務省としては,今年においても,人事院勧告が出されたら,人事院勧告制度尊重の基本姿勢を堅持しつつ,適切に対処していくつもり」であると答弁し,3月19目の会見でも,ほぼ同様の答弁をした(甲7の3及び4,証人小田川【7,8頁】)。
人事院は,3月19日,国公労連に対し,春闘期の最終回答を行ったが,賃金については,以下のとおり回答した(甲6の7)。
(ア) 官民較差に基づき,適正な国家公務員の給与水準を確保するという人事院の基本姿勢に変わりはない。
(イ) 国家公務員の給与改定については,民間給与の実態を正確に把握した上で,適切に対処する。
民間給与実態調査の見直しに当たつては,基本的枠組みを維持するとともに,調査の信頼性・安定性が損なわれないよう十分配慮する。
(ウ) 給与勧告作業に当たっては,皆さんと十分な意見交換を行うとともに,要求を反映するよう努める。
(エ) 一時金については,民間の支給水準等の正確な把握を行い,適正に対処する。
また,総務省は,国公労連に対し,「給与改定について,人事院勧告制度は,労働基本権制約の代償措置であり,同制度を維持尊重することが政府としての基本姿勢である。平成14年度の給与改定については,この基本姿勢の下,国政全般との関連を考慮しつつ適切に対処する」と回答した(甲7の4)。
人事院,総務省のこれらの回答に対し,国公労連は,「マイナス勧告とその『完全実施』の危険性に言及したもの」と受けとめ,これらの回答を受け入れることはできないとする声明を内外に発出した(甲14,証人小田川【1頁】)。
国公労連は,6月19目,人事院に対し,人事院勧告に向けた要求書を提出した。その上で,国公労連は,人事院に対し,「3年連続で年収切下げによって生活が悪化している。これ以上の生活悪化は受け入れられない。750万労働者に直接影響する勧告の社会的影響力にかんがみてもマイナス勧告や4年連続の年収切下げは断じて認められない」と主張し,民間企業における春闘の決着状況なども踏まえ,平均1000円の給与改善を要求した。さらに,国公労連は,人事院に対し,「こういう点を踏まえて人事院の対応と各レベルの交渉を求めたい」,「特に民調結果いかんでは,相当踏み込んだ議論が必要になる。賃下げまで代償措置に委ねていないとするのが国公労連の基本的な立場ではあるが,それだけに勧告の内容にかかわっても人事院の判断に委ねることにはならないと考えている。かつてない状況下での勧告となる危険性を踏まえた国公労連との対応を求める」と述べた。
これに対し,人事院は,「厳しい状況を認識しながら客観的数字による勧告という基本に立って考えていく。賃下げでは代償機能にならないというのは非常に難しい議論で,法律の仕組みはそうなっていない。仕組みに従って勧告するのが合理的であるし,安定的システムとして機能するのではないか。気持ちは受け止めながら数値に基づき判断する」と答弁した。(甲6の9,証人小田川【8,9頁】)
人事院は,7月16日の会見で,国公労連に対し,民間賃金実態調査の集計待ちとしつつ,月例給・特別給ともに「厳しい状況」と述べ,「棒給だけではなく諸手当についても幅広く厳しい状況を想定した検討が必要」,「3月の特別給については,6月と12月に支給する方向で検討している」などと答弁した(甲6の10)。
人事院は,7月19日,民間賃金実態調査の一部をマス灘ミに発表した。
そして,人事院は,7月23日の会見で,国公労連に対し,民間賃金実態調査をもとにした官民較差の算出はまだ完了していないとしながら,「(月例給は)客観的に厳しい状況」,「(特別給も)極めて厳しい状況」と答弁し,「俸給のみでなく諸手当についても幅広く検討する必要がある」と述べた(甲6の1)。
また,人事院は,国公労連に対し,「厳しい状況の中で,マイナス勧告を受け入れ難いという気持ちは理解できる。5パーセント条項は,引き上げる時は5パーセント未満でも社会情勢に合わせ較差の金額の重みを説明して乗り切ってきたこともあるので,基本的にはプラスの時でもマイナスの時でも,維持すべき考え方である」,「仮にマイナス勧告となれば,不
利益不遡及の原則の問題があるが,退職者については引上げの時は退職者も差額を支給しており,有利不利は色んな形で出てくるが,どこまで配慮できるのかは難しい問題がある」と答弁し,月例給引下げとそれを4月に遡及させる勧告を検討していることを示唆した(甲6の11)。
人事院は,7月25日の会見で,国公労連に対し,「月例給については,引下げを前提とした対応をせざるを得ない」,「特別給については,支給月数自体も厳しい」,「3月期の期末手当を前倒しして,6月と12月に支給する方向で検討している」などと答弁した上で,「不利益不遡及の原則については理解しているが,上がるときには4月遡及を行っているのであれば,下がるときに4月遡及は行わないにしても,どこかで調整することは必要である。具体的な調整方法は検討中である」などと答弁し,調整措置に言及した(甲6の12)。
国公労連は,給与を引き下げ,その実施時期を4月に遡らせることは,労働基本権制約の代償措置とはいえず,不利益不遡及の原則にも反することを理由に反対した。国公労連は,特に実施時期について,遡及適用をしないよう人事院の代償機能の発揮を求めるとともに,本来的には労使交渉で決定すべきものであると主張した。これに対し,人事院は,「実施時期については,上がる時も下がる時も民間では労使の妥結時点から賃金改定を行っていることを考えたら,4月で比較している限り4月で合わせることが筋である。4月で比較していることを認識していただきたい」と答弁した。(甲6の12)
7月30目の会見でも,マイナス勧告,一時金切下げとともに,実施時期が争点となった。その際,人事院は,国公労連に対し,給与改定の実施時期については不利益不遡及の原則を考慮し,施行日からの適用とする必要があるが,情勢適応の原則から「必要な調整」をせざるを得ないとの考えを明らかにした。
これに対し,国公労連は,「年聞給与の調整方式」は,いかなる方法を取ろうと既に支払った賃金を取り戻すことになり,不利益不遡及の原則に反すること,民間の労使交渉では不利益を遡及していないこと,月例給のマイナスの差額を年収べ一スで調整することは情勢適応の原則を変更することになるなどと主張し,調整措置に強く反対した。しかし,人事院は,「官民比較を行う際に4月分で比較を行っているのであるから,4月分で合わせる」,「年間給的発想で合わせることは可能である」などと答弁した。
また,国公労連は,人事院に対し,「労働基本権制約の代償機能としての役割は,職員の利益保護のための処遇改善である。それが改悪となるのであれば遡及は行わないでいただきたい」,「過去の労働の価値を一定分引くというのはおかしいではないか。人勧が公務労働者の生活改善のための唯一の方法であるのに,民間では考えられない過去を剥奪するような調整方法は取らないでいただきたい」と主張した。これに対し,人事院は,「代償機能としての役割は,高からず低からず適正な給与を決定することが使命である」と答弁した。(甲6の13)
さらに,8月5日の会見でも,月例給引下げの実施時期問題に議論が集中した。人事院は,前回の会見での主張を繰り返し,国公労連に対し,「4月時点で給与を合わせることは法的に遡及することとなり困難であるが,実質的には調整を図らざるを得ない」,「4月分から調整を図り,12月期の一時金で調整することとする」との考えを明らかにした。
これに対し,国公労連は,「プラスの場合は勧告を行っても政府として財源を確保するために補正予算を組むことの必要性を判断することはあっても,マイナスの場合ではその必要性もない」,「利益と不利益を考える と,マイナスは労働者にとって大きな問題である。4月に合わせる官民比較方法論から労働者の生活・権利の保障の観点からどう考えるかが本来の労使協議の中心であるべきである」,「代償措置としての役割の果たし方は,職員の利益擁護の役割がどう果たされたか,労使の立場で組合の意向がどう反映したのかが問題となる。労働者の生活実態に対して代償機能がどう働いたのか示していただきたい」と,予算,労働条件の不利益変更の場合の労使協議,人事院の代償機能の3つの点について主張した。
これに対して,人事院は,「人事院としても常に要求を頭に置きながら検討を行っている。ただ,公務は民間とシステムが大きく違うことは理解していただきたい」と答弁した。(甲6の14)
人事院は,8月6日,国公労連に対し,勧告前の最終的回答を行い,「2パーセントを若干越える」マイナス勧告を8月8日に行う予定であること,改正給与法は施行日から適用するが,官民給与を実質的に均衡させるため,12月の期末手当の額において所要の調整措置を講ずることなどを明らかにした(甲6の15)。
こうして,人事院総裁は,8月8日,衆議院議長,参議院議長及び内閣総理大臣に対し,下記(3)アのとおり,報告及び勧告をした。
これに対し,国公労連中央闘争委員会は,8月8日,「史上初の『賃下げ勧告』に抗議する」との声明を発表し,特に不利益遡及については「4月分の官民給与比較による情勢適応の原則を口実に,4月以降の賃下げ分を『12月の期末手当で調整(清算)』とするとしたことは,民間にも例がない『不利益遡及』の脱法行為そのものであり,断じて認めることはできない」と抗議声明を出した(甲5の1)。

(3)

本件改正法成立の経緯
本件人事院勧告
人事院は,平成14年8月8日,衆参両議院及び内閣総理大臣に対し,概ね,以下のとおり報告し,本件人事院勧告をした。
(ア) 職員の給与に関する報告
a 人事院は,国家公務員給与等実態調査及び職種別民間給与実態調査(以下「本件民調」という。)の結果に基づき,公務においては行政職,民間においては公務の行政職と類似すると認められる職種の者について,給与決定要素を同じくすると認められる者同士の平成14年4月分の給与額を対比させ,精密に比較(ラスパイレス方式)を行った。その結果,国家公務員の給与が民間給与を7770円(2.03パーセント)上回った。
b 本件民調の結果,平成13年5,月から同14年4月までの1年間において,民間事業所で支払われた賞与等の特別給は,所定内給与月額の4.65月分に相当しており,職員の期末手当・勤勉手当の年間の平均支給月数(4.70月)が民間事:業所の特別給を0.05月分上回っている。
c 月例給の引下げ改定については,平成14年における官民較差の大きさ等を考慮し,基本的な給与である俸給表を引下げ改定するとともに,民間における手当の支給実態等にかんがみ,扶養手当の改定などを行うこととした。
d 特別給については,本件民調の結果に基づき,昨年(平成13年)1年間の民間の特別給の支給月数に見合うよう,0.05月分引き下げる必要があると判断した。
e 平成14年の給与改定は,国家公務員の給与水準を引き下げる内容の改定であるため,この改定は,官民給与を均衡させるための所要の調整措置を講じた上,遡及することなく実施することとする。
官民給与は4月時点で比較し均衡を図ることとしており,遡及改定を行わない場合であっても4月からの年間給与で実質的な均衡を図るための調整を行うことが情勢適応の原則にもかなうものである。
具体的な調整方法としては,この改定の実施後速やかに調整が行われる必要があること,弾力的な調整を行う場合は月例給より特別給としての期末手当が適当と考えられることなどから12月期の期末手当の額において,平成14年4月からこの改定の実施の日の前日までの間の給与について所要の調整措置を講ずることとする。
(イ) 勧告
給与法を,次のとおり改正することを勧告する。
a 各俸給表のすべての級のすべての俸給月額について平均で2.0パーセント,年間給与を平均で2.3パーセント引き下げる改定を行う。
b 平成14年度の期末手当等の支給割合
平成14年12月及び平成15年3月に支給される期末手当の支給割合をそれぞれ1.85月分及び0.2月分とし,平成14年12月及び平成15年3月に支給される期末特別手当の支給割合をそれぞれ1.8月分及び0.2月分とする。
c 改定は,この勧告を実施するための法律の公布の日の属する月の翌月の初日(公布の日が月の初日であるときは,その日)から実施する。
d 平成14年12月に支給される期末手当等の特例平成14年12月に支給される期末手当等の額は,(a)に定める額から(b)に定める額と(c)に定める額との差額に相当する額を減じた額((c)に定める額が(b)に定める額を超える場合には,その超える額に相当する額を(a)に定める額に加えた額)とする。この場合において,(a)に定める額が当該差額に相当する額を超えないこととなる職員には,支給しないこととする。
(a) 期末手当基礎額又は期末特別手当基礎額に,平成14年12月に支給される期末手当又は期末特別手当の支給割合を乗じて得た額に,在職期間別の割合を乗じて得た額
(b) 平成14年4月1日から改定の実施の日の前日までの間(以下「調整期間」という。)において在職した期間について受けた俸給,初任給調整手当及び扶養手当並びにそれらの改定に伴い額が変動する給与の合計額
(c) 改定後の俸給,初任給調整手当及び扶養手当を基礎として調整期間において在職した期間について算定した俸給,初任給調整手当及び扶養手当並びにそれらの改定に伴い額が変動する給与の合計額
 本件人事院勧告後の国公労連と総務省との会見の経過等
(ア) 国公労連は,8月8日の人事院勧告を踏まえて,翌9日,政府・総務省に対し,次の内容の要求書を提出し,労使の交渉を求めた(甲14,証人小田川【1頁】)。
a マイナス2.03パーセントの賃下げは,他の政府統計や春闘結果と比較して過大であり,その旨の勧告に沿う給与法「改正」の反対
b 勧告実施時期を法施行後とし,4月遡及実施となる調整措置の反対
c 年度内退職者の俸給切下げにかかわる特例措置の検討
(イ) 国公労連は,9月10日の会見で,総務省に対し,「マイナスのときに反対するのは労働者としては当然であり,労働基本権の性格とはそのようなものである。遡及の問題については,民間では就業規則は不利益に一方的に変更できないことになっている。国家公務員は甘んじて受けなければならないのか」と述べた。
これに対し,総務省は,「今の仕組みとして人事院が情勢適応の原則に沿って第三者機関として勧告しており,我々はできる限り尊重していく。調整の問題については,4月時点の従前と改定後の差額を調整するのは国家公務員の広い意味での情勢適応の原則と考える」,「年収ベースの問題など,いろいろ新しい面が出てくるが,国政全般や国民の理解 ということも踏まえ,よく検討していきたい」と答弁した。(甲7の6)
(ウ) 総務省は,9月17日の会見で,国公労連に対し,「調査時点である4月に遡及して実施する方式が昭和47年以来長期間にわたり定着してきており,このことにより,4月からの年間給与において官民の均衡が図られてきている」,「既に適法に支給された給与を遡って不利益に変更することは,法的安定性や既得権尊重の観点から慎重であるべきもの」であり,「この考え方を踏まえつつ,従来どおり4月からの官民の年間給与の均衡を図るとの観点から,今回の措置は,法施行日以降の給与(期末手当等)の額の調整を行うこととしており,このことは情勢適応の原則に照らし十分合理性がある」と回答した。
これに対し,国公労連は,期末手当の調整措置は結果的には4月に遡って減額していることと等しく,脱法行為であると批判した。(甲7の7,証人小田川【l3ないし15頁】)。
(エ) 国公労連は,9月17日の会見で,総務省に対し,同省の回答は不十分であり,4年連続の年収減額,月例給の初めての減額,不利益遡及について再検討を要求した(甲7の7)。
これに対し,総務省は,9月26日の会見で,国公労連に対し,前回の会見での説明が同省の考え方であるとし,「明日,第2回目の給与関係閣僚会議を開いていただくことになり,明日の会議では勧告どおり改定する旨の決定がなされるものと期待している」と述べた(甲7の8)。
本件人事院勧告に基づく法案の閣議決定と国会での審議
(ア) 政府は,本件人事院勧告を受け,平成14年8月8日,第1回給与関係閣僚会議を開き,同勧告を踏まえた平成14年度の国家公務員の給与の取扱いを検討した。政府は,平成14年9月27日,第2回給与関係閣僚会議を経て,同日の閣議において,本件人事院勧告どおりの給与改定を行うとの閣議決定をした。これに対し,国公労連は,同日,書記長名で,「労働基本権を制約したままで,賃金や退職手当の引下げを一方的に決定する政府の対応は,労働条件決定は『労使対等の立場で決定』とする近代的労使関係の原則を維持しようとする立場にないことを明確にした」,「賃金引下げを4月に遡って実施するという『脱法』の勧告をまともな交渉を行わないままに一方的に決定した」と抗議し,本件人事院勧告の完全実施に反対する旨の談話を発表した(甲5の2)。
政府は,平成14年10月18日,本件人事院勧告どおりの給与改定を内容とする本件改正法案を閣議決定し,同日,衆参両議院に提出した。
これに対し,国公労連は,同日,書記長名で,「4月に遡っての遡及問題については,官民の比較が4月だからという理由で,新たな措置を講じてまで実質的に不利益を遡及する『脱法行為』であり,『不利益遡及』について一方的な決定を行わないことを政府・総務省に強く要求してきた。しかし,政府・総務省は,人事院が主張した『情勢適応の原則』を繰り返すばかりで,不利益遡及を正当化する態度に固執し,納得でき
る説明はなく,使用者としての説明責任を全く果たそうとしなかった」と指摘し,本件改正法案の閣議決定に抗議する旨の談話を発表した(甲5の3)。
(イ) 衆議院は,本件改正法案を総務委員会に付託して審議した。この審議の中で,本件改正法案について,国家公務員の労働基本権が厳しく制約された現行体制の下,国家公務員の組織する労働組合との団体交渉を行ってその要求や意見を聞くことなく,国家公務員が全く関与できない状態で,給与を不利益に変更することを法定化することに疑義があるとの指摘がされた。また,本件改正法案は,勤務条件変更の不利益遡及を行うものであるとの疑義があるとの指摘もされた。そして,民主党・無所属クラブ及び社会民主党・市民連合は,新たに職員の意見を踏まえた給与減額措置制度を設けるとともに,平成14年12月支給の期末手当に関する減額の特例措置規定を削除する内容の修正案を提出したが,修正案は否決された。結局,本件改正法案は,平成14年11月7日,衆議院総務委員会において可決され,翌8日,衆議院本会議においても可決された。
(ウ) 参議院は,本件改正法案を総務委員会に付託して審議し,ここでも上記(イ)と同様の指摘がされ,民主党・新緑風会及び社会民主党・護憲連合は,上記(イ)と同様の修正案を提出したが,修正案は否決された。結局,本件改正法案は,平成14年11月14日,参議院総務委員会において可決され,翌15日,参議院本会議においても可決された。
(エ) この結果,本件特例措置規定を含む本件改正法が成立し,同改正法は,平成14年12月1日から施行された。
(4) 本件改正法の施行
原告らは,平成14年12月10日,それぞれ,上記(3)ア(イ)bによれば別表「本来支給すべき金額」欄記載の金額の期末手当が支給されるところ,上記(3)ア(イ)dのとおり特例として別表「損害額」欄記載の金額が減じられたため,別表「実際に支給された額」欄記載の期末手当の支給を受けた。

2 当事者の主張の要旨及び争点

(1) 当事者の主張の要旨
【原告らの主張の要旨】
人事院総裁,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長,国会議員は,本件改正法に関し,本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定,本件特例措置規定を含む本件改正法の立法行為,執行等を行ったが,これらの行為には,以下述べるとおり,国賠法1条1項の違法がある。
国家公務員の使用者である国が憲法28条により負う義務について
原告ら国家公務員も憲法28条の定める「勤労者」であり,同条により団体交渉権を保障されている。そして,団体交渉権が,団結権及び争議権とは区別された別個の憲法上の基本的人権として保障されている所以は,労使当事者間の合意ないし取決めを目標とした話合いのプロセスそのものを憲法の保障する基本的人権として保障するためである。そうだとすると,国家公務員に保障されている団体交渉権の内容は,民間企業の労働者と同一であり,使用者としての国は,民間企業の使用者と同様,国家公務員の労働組合から団体交渉を申し入れられれば,これに誠実に応ずべき義務を負っている。
ところが,国家公務員法(以下「国公法」という。)は,国家公務員の争議行為を全面的一律に禁止する(国公法98条2項)と同時に,団体交渉権についても,団体協約締結権を否定する(国公法108条の5第2項)という重大な制約を課している。そして,団体交渉権及び争議権の制約の代償措置として人事院を設け,人事院による勧告制度によって国家公務員の勤務条件の維持・改善を確保しようとしている。
この点,現在の人事院勧告制度は,国家公務員があらゆる段階で参加し,一旦下された裁定が全面的,速やかに実施される適切,公平かつ迅速な調停・伸裁制度とはなっておらず,国の財政事情によって勧告の完全実施が困難になる事態が生ずるなど,国家公務員の争議権及び団体交渉権を制約する代償措置としては不完全なものである。このように,人事院が,代償機関として,本来の機能を発揮することなく,国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告により勤務条件を切り下げる場合には,国家公務員の使用者である国は,憲法28条の保障する団体交渉権保障の趣旨に照らし,国家公務員の勤務条件決定過程への関与を排除したまま勤務条件を一方的に切り下げることは許されず,国家公務員と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う義務を負うことになる。
国家公務員の使用者である国がILO第87号条約,同第98号条約により負う義務について
(ア) 我が国は,ILO第87号条約,同第98号条約を批准しているところ,同条約は,軍隊警察及び国家の名において権限を行使する公務員を除くすべての労働者に対し,団結権団体交渉権及びストライキ権を保障しており,同条約により,国家公務員にも団体交渉権が保障されている。
(イ) すなわち,ILO第87号条約第3条1項については,団体交渉権及び争議権を団結権保障のコロラリー(内在的なもの)と把握し,同条項の「計画を策定する権利」には,団体交渉権はもとよりストライキ権の行使をも含むと解するのが,ILO諸機関(条約勧告適用専門家委員会,結社の自由委員会)の今日における一致した条約解釈である。したがって,ILO第87号条約第3条1項は,単に組合が公の機関のいかなる干渉も受けずに,管理運営等について自主的に決定することができるという組合の自由についてだけ規定するものではなく,原告ら国家公務員を含むすべての労働者の団体交渉権を保障しているのである。
また,ILO条約勧告適用専門家委員会の平成6年度報告によれば,ILO第98号条約第6条で同条約適用の対象外とする「公務員」は,「国家の名において権限を行使する公務員」であって,一般の公務員は含まれないから,原告ら国家の名において権限を行使しない一般国家公務員は,ILO第87号条約のみならず,同第98号条約により団体交渉権が保障されている。
そして,ILO理事会は,平成14年11月,同15年6月の2度にわたり,政府に対し,我が国の国家公務員制度改革に関し,「国家の名において権限を行使していない公務員に対し,結社の自由原則に従い団体交渉権とストライキ権を付与すること」及び「結社の自由原則の下で,団体交渉権及びストライキ権のいずれか,若しくは双方を正当に制限又は禁止できる労働者に対しては,自らの利益を守る不可欠な手段をはく奪されたことを十分に代償するため,国及び地方段階における適切な手続及び機関を確立すること」を勧告している。
なお,ILO結社の自由委員会は,結社の自由の諸原則が侵害されたとする労使団体・国際団体からの提訴に基づいて調査・勧告をなす機関(現在ではILO条約勧告適用専門家委員会とともにILOにおける監督制度の三大支柱の一つとされている。)であり,その監督権能を全うするためにILO第87号,同第98号条約の解釈を示す権限を有している。さらに,ILO条約勧告適用専門家委員会は,加盟国による憲章上の義務の履行や国際労働基準の遵守を包括的かつ定期的に審査する手続を担う機関として,条約・勧告の適用状況を審査し条約適用上の原則を確立するために必要な判断を下す裁量的権限を有しており,同委員会による報告(「年次報告」と「一般調査」)は,他の機関の承認を必要とせず,そこで示された解釈は国際労働基準実施のための「判例法」としての機能と権威を有するものとして国際労働基準の一部を形成するものとみなされている。
(ウ) ところで,上記アのとおり,国公法は国家公務員の争議行為,団体交渉権について重大な制約を課しており,その代償措置として人事院を設けている。しかし,現在の人事:院勧告制度は,国家公務員があらゆる段階で参加し,一旦下された裁定が全面的,速やかに実施される適切,公平かつ迅速な調停・仲裁制度とはなっておらず,代償措置としては不完全なものである。このように,人事院が,代償機関としての本来の機能を発揮することなく,国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告により勤務条件を切り下げる場合には,国家公務員の使用者である国は,ILO第87号条約,同第98号条約の保障する団体交渉権保障の趣旨に照らし,国家公務員の勤務条件決定過程への関与を排除したまま勤務条件を一方的に切り下げることは許されず,国家公務員と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う義務を負うことになる。
国家公務員の勤務条件決定に関与する国の諸機関の注意義務とその義務懈怠
人事院は,本件人事院勧告において,平成14年4月から給与法改正法施行までの月例給にも,実質的に給与法改正後の減額された国家公務員の月例給を適用するため,平成14年4月以降の月例給を減額した場合に算定される額と支払済みの額との差額を同年ユ2月の期末手当等から差し引くことを国会及び政府に勧告した。これは,期末手当等請求権が本件改正法施行後に確定するものであったとしても,実質的な減額対象となっているのは,平成14年4月から同年11,月までの既払の月例給であり,国家公務員の既得の権利を奪うにとどまらず,「不利益不遡及の原則」の法理に反する脱法行為であり,国家公務員の勤務条件に関する正当な利益を擁護し保障すべき任務を課されている人事院が,労働基本権制約の代償機関としての役割を放棄したものといえる。
なお,被告は,人事院が,国公労連から従来にもましてきめ細かく意見聴取及び意見交換を行ったと主張しているが,意見交換とは名ばかりで,意見を言い合うだけであり,すり合わせることはせず,現に本件人事院勧告で国公労連の要求を受け入れたものはほとんどない。
したがって,国家公務員の勤務条件決定に関与する国の諸機関は,上記のとおり,人事院が代償機関として本来の機能を発揮しない場合には,国賠法1条1項の適用上,以下の注意義務を負っていたところ,これを怠ったというべきである。
(ア) 人事院総裁,内閣の代表者である内閣総理大臣,国会議員は,上記ア,イの義務に照らし,使用者たる国が原告らの所属する労働組合である国公労連と誠実に妥結に向けた団体交渉を行っていない(更には団体交渉により同意を得ていない)段階で,それぞれ本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定を行ってはならないとの注意義務を有していた。しかるに,人事院総裁は,国会及び内閣に対し,原告らの所属する労働組合である国公労連との団体交渉を行うことを留保せずに,本件人事院勧告を行うという注意義務違反を犯した。また,内閣の代表者である内閣総理大臣は,原告らの所属する労働組合である国公労連との団体交渉が行われていない段階で,本件人事院勧告どおりの給与改定を行うことが適当である旨の本件改正法案の閣議決定を行わせ,本件改正法案を国会に提出するという注意義務違反を犯した。さらに,国会議員は,原告らの所属する労働組合である国公労連との団体交渉が行われていない段階で,本件改正法案を可決成立させるという注意義務違反を犯した。
(イ) 中央行政機関としての内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長も,上記ア,イの義務に照らし,原告らの所属する労働組合である国公労連と同意を得るための団体交渉を行うことなく,本件改正法案の作成,本件改正法の執行等の行為を行ってはならないとの注意義務を有していた。しかるに,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長は,原告らの所属する労働組合である国公労連との団体交渉を行うことなく,本件改正法案を作成し,本件改正法を執行するという注意義務違反を犯した。
「不利益不遡及の原則」の法理について
国家公務員の給与等の基本的勤務条件を定める法律である給与法等は,国公法のもとでは,民間企業における就業規則としての性格を有するものであり,そこに定められるべき基礎事項は勤務条件そのものである。ところで,具体的に発生した賃金請求権を事後に締結された労働協約や事後に変更された就業規則の遡及適用により処分又は変更することは許されない(最一小判平成元年9月7日,最三小判平成8年3月26日参照。以下「不利益不遡及の原則」という。)ところ,給与法改正による国家公務員の月例給の減額措置についても,就業規則による賃金の減額と同様に「不利益不遡及の原則」の法理の規制を受ける。
したがって,国家公務員の勤務条件に関与する国の諸機関は,国家公務員の平成14年度の給与改定に当たり,「不利益不遡及の原則」に反しないように行動する義務を負っていた。しかるに,人事院総裁,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長,国会議員は,次に述べるとおり,「不利益不遡及の原則」に反するないしは脱法している本件特例措置規定を含む本件改正法の作成,執行に関与した。すなわち,本件特例措置規定は,形式的には本件改正法の施行日以降の期末手当と調整するとしているが,減額された月例給が本件改正法施行以前にも適用されたと仮定して,既払の月例給との差額を計算するもので,実質的には,本件改正法を遡及適用して,平成14年4月から同年11月までの間に原告らに支払った月例給の減額分を平成14年期末手当の支払時に返還させるものである。したがって,本件特例措置規定は,過去に遡って既払の月例給の減額という勤務条件の変更をするものであり,「不利益不遡及の原則」の法理に違反している。
なお,情勢適応の原則(国公法28条)は,国家公務員の労働基本権制約の代償措置として,その原則にのっとり国家公務員の勤務条件の向上を図るべきものであり,実質的に不利益不遡及の原則に違反し,既に適法に支払われた給与の一部を期末手当と調整して返還させることまで容認しているものではない。

【被告の主張の要旨】
(1) 国賠法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときは,国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものである。したがって,国会議員の立法行為が国賠法1条1項の違法に該当するかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって,当該立法内容の違憲性の問題とは区別すべきである。すなわち,仮に当該立法内容が憲法に違反する廉があるとしても,それ故に国会議員の当該立法行為が直ちに違法の評価を受けるものではない。国会議員は,立法に関して,原則として,国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり,個々の国民の権利に対応した関係で法的義務を負うものではない。したがって,国会議員の立法行為は,立法の内容又は手続が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず,あえて当該立法を行うといった容易に想定し難いような例外的な場合でない限り,国賠法1条1項の適用上,違法の評価を受けないと解するのが相当である。
この点,国会議員が,原告らの所属する労働組合である国公労連との間で団体交渉が行われていない段階で,本件特例措置規定を含む本件改正法案を可決して成立させたことが,上位規範たる憲法28条に違反するものでないことは明らかである。また,憲法には,給与法の改正に当たって,労働組合と団体交渉を行うべきことや,給与法の改正が「不利益不遡及の原則」の法理に適合すべきことを一義的に義務付けた規定は存在せず,本件特例措置規定を含む本件改正法の立法行為が,憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず,あえて行われたということもできない。
したがって,国会議員の本件特例措置規定を含む本件改正法の立法行為が,国賠法1条1項の適用上違法であるとの評価を受ける余地はない。
(2) 立法について固有の権限を有する国会議員の本件改正法の立法行為が,国賠法1条1項の違法に該当しない以上,国会に対して法律案の提出権を有するにとどまる内閣の本件改正法案の提出ないし内閣総理大臣,総務大臣及び総務省人事・恩給局長の本件改正法案立案行為等並びにその前提となった人事院総裁による本件人事院勧告が,同条項の適用上,違法性を帯びる余地はない。
また,人事院総裁が国会及び内閣に対し行う勧告は,直接国民に向け'られた行為ではなく,そもそも当該行為が原告ら個人との関係で職務上の法的義務違背の問題を生ずる余地はないというべきである。
国家公務員も憲法28条の勤労者には当たる。しかし,国家公務員の地位の特殊性から,その労働基本権の保障は一定の制約を受ける。すなわち,国家公務員の給与の財源は,国の財政とも関連し,主として税収により賄われ,私企業における労働者の利潤の分配要求とは全く異なる。国家公務員の勤務条件は,すべて政治的,財政的,社会的その他諸般の合理的な配慮により適正に決定されなければならず,しかも,その決定は,民主国家のルールに従い,立法府において行われるべきものである。そして,憲法73条4号は,「法律の定める基準に従い,官吏に関する事務を掌理すること」を内閣の事務であると定めており,国家公務員の給与は,法律により定められる給与準則に基づいてされることを要し,これに基づかずにはいかなる金銭又は有価物も支給することはできないとされている(国公法63条1項参照)。このように,国家公務員の給与その他の勤務条件は,私企業の場合のように労使間の自由な交渉に基づく合意によって定められるものではなく,原則として,国民の代表者により構成される国会の制定した法律,予算によって定められるものである。その場合,使用者としての政府にいかなる範囲の決定権を委任するかは,まさに国会自らが立法をもって定めるべき労働政策の問題というべきである。以上のとおり,国家公務員の勤務条件は,憲法上,国民全体の意思を代表する国会において,法律,予算の形で決定すべきものとされており,労使間の自由な団体交渉に基づく合意によって決定すべきものではないから,私企業の労働者のような労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権は,国家公務員には保障されていないのである。
したがって,国家公務員の使用者である国は,人事院が国家公務員の勤務条件の切下げ勧告をする場合であっても,国家公務員で組織する労働組合と団体交渉を行い,その同意を得ることや,その同意を得るよう努力を尽くすべき法的義務はない。
ILO第87号条約は,結社の自由及び団結権の保護に関する条約であって,組合活動の自由について規定するものにすぎない。また,ILO第98号条約も,労働者の団結権及び団体交渉権について定めるものであるが,同条約は公務員の地位を取り扱うものではない(同条約第6条。なお,同条約第6条の「公務員」とは,法定による勤務条件を享有している者をいうと解され,原告らも含まれる。)。
したがって,ILO第87号条約,同第98号条約は,国家公務員の団体交渉権を保障したものではないから,国家公務員の使用者である国は,人事院が国家公務員の勤務条件の切下げ勧告をする揚合であっても,国家公務員で組織する労働組合と団体交渉を行い,その同意を得ることや,その同意を得るよう努力を尽くすべき法的義務はない。
なお,ILO結社の自由委員会は,政労使三者構成の委員会であり,加盟国の条約上の義務とは無関係に,各国における労働組合権侵害について,労働者団体等からの申立てに基づき審査を行う役割を担うものである。したがって,ILO結社の自由委員会の行った勧告は,条約の解釈を示したものではなく,法的拘束力を有しない。また,ILO条約勧告適用専門家委員会は,条約の適用状況等に関し,ILOとしての最終的な見解を与える権限を有しておらず,加盟国もその見解に法的に拘束されるものではない。
人事院は,給与の引下げ勧告の場合であっても,国公法28条1項の定める情勢適応の原則に基づき,中立的な立場から,勧告を行うことが義務付けられている。したがって,人事院が,国家公務員の勤務条件を切り下げる内容の勧告をしたことをもって,直ちに代償機関としての役割を放棄したということはできない。
なお,人事院は,本件人事院勧告に当たり,国家公務員の給与を取り巻く厳しい諸情勢を踏まえ,俸給や諸手当の改定について,原告らの所属する国公労連との間で,従来にも増してきめ細かく意見聴取及び意見交換を行った。
国公法は,情勢適応の原則(国公法28条)の下,人事院による引下げ勧告(国公法28条2項)や給与準則に定める給与額の引下げ(国公法67条)を予定している。
本件特例措置規定は,国公法が定める情勢適応の原則にのっとり,官民の月例給の年間での均衡を図ることを目的とし,本件改正法の施行日以後に請求権が確定する期末手当等の額を調整するものであって,既に具体的に発生した請求権の内容を変更するために法律を遡及適用するものではなく,また既払の給与を減額するものでもないから,「不利益不遡及の原則」の法理に反しない。
なお,本件特例措置規定が過去の月例給を減額するものでないことは,平成14年4月2日以降同年10月末日までの間に退職し,同年12月期の期末手当等が支給されない者については,本件特例措置による調整の対象外としていることからも明らかである。
(2) 争点
上記事案の概要,争いのない事実等及び当事者の主張の要旨に照らすと,本件の争点は,以下のとおりである。
国家公務員の使用者である国は,人事院が代償機関として本来の機能を発揮しない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)には,憲法28条に基づき,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務を負うか,又その義務懈怠は存在するか(争点1)。
国家公務員の使用者である国は,上記アと同様,人事院が代償機関として本来の機能を発揮しない場合には,ILO第87号条約,同第98号条約に基づき,上記アと同様の義務を負うか,又その義務懈怠は存在するか(争点2)。
人事院総裁,内閣の代表者たる内閣総理大臣,国会議員は,上記ア,イの義務に照らし,国賠法1条1項の適用上,国家公務員の使用者である国が国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行っていない(更には団体交渉により同意を得ていない)段階で,それぞれ本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定,本件特例措置規定を含む本件改正
法の制定を行ってはならないとの注意義務を負うか,又その義務懈怠は存在するか(争点3)。
中央行政機関としての内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長は,国賠法1条1項の適用上,国家公務員で組織する労働組合と同意を得るための団体交渉を行うことなく,本件特例措置規定を含む本件改正法案作成,同改正法の執行等の行為を行ってはならないとの注意義務を負うか,又その義務懈怠は存在するか(争点4)。
人事院総裁,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長,国会議員は,国賠法1条1項の適用上,「不利益不遡及の原則」の法理を脱法する行為をしてはならないとの注意義務を負うか,又その義務懈怠は存在するか(争点5)。


第3 当裁判所の判断
本件において,原告らは,本件人事院勧告,本件人事院勧告に沿った本件改正法案の作成,本件特例措置規定を含む本件改正法案の閣議決定,同法の制定,執行の一連の各行為にいずれも国賠法1条1項の違法があると主張している。
そして,本件特例措置規定を含む本件改正法は,上記争いのない事実等のとおり,本件人事院勧告に基づき,内閣において同勧告が検討された後,本件改正法案の作成,同法案の閣議決定が行われ,その提出を受けた衆参両議院で審議の末,可決され,施行されたものである。これら本件改正法の成立の経過をみると,人事院総裁の本件人事院勧告,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長の本件改正法案作成行為,内閣総理大臣の閣議決定,本件改正法案の国会への提出行為はいずれも,本件改正法の立法行為に向けられた,前提行為ないしは立法過程と評価しうる面があるので,まず最初に,国会による立法行為である本件特例措置:規定を含む本件改正法の制定が,国賠法1条1項の適用上違法といえるか否かを検討することにする。
ところで,国賠法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定したものであり,そうだとすると,国会議員の立法行為が国賠法1条1項の適用上違法となるか否かは,国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかによって判断するのが相当である。
この点,議会制民主主義の下においては,国会は,国民の間に存在する多種多様な意見及び諸々の利益を立法過程に公正に反映させ,国会議員の自由な討論を通してこれらを調整し,究極的には多数決原理により統一的な国家意思形成をすべき役割を担っている。そうすると,国会の構成員たる国会議員は,多種多様な国民の意見を汲みつつ,国民全体の福祉の実現を目指して行動することが憲法上要請されているのであって,議会制民主主義が適正かつ効果的に機能することを期するためにも,国会議員の立法過程における行動で,立法行為の内容にわたる事項については,これを議員各自の政治的判断に任せ,その当否は終局的に国民の自由な言論及び選挙による政治的判断に委ねるのが相当といえる。
したがって,国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり,個々の国民の権利に対応した関係で法的義務を負うものではない。国会議員の立法行為は,立法の内容又は手続が憲法の一義的な文言に違背しているにもかかわらず,あえて当該立法を行うといった容易に想定し難いような例外的な場合でない限り,国賠法1条1項の適用上,違法の評価を受けないものと解するのが相当である(最一小判昭和60年11月21日民集39巻7号1512頁以下参照)。
以下,上記判断基準を前提に検討する。
国会による本件特例措置規定を含む本件改正法の制定が,国賠法1条1項の適用上違法といえるかについて
(1) 原告らは,本件特例措置規定を含む本件改正法の立法行為が違憲,違法な理由について,国会議員は,憲法28条に照らし,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)には,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉が行われていない段階で,本件改正法案を可決成立させてはならない義務があるところ,当該義務に違反していると主張する。
そこで,原告らの主張が成り立つためには,憲法28条に照らし,国会議員が原告ら主張のような注意義務を負っているか否かが問題となる(争点1,3,5)。
憲法28条に定める団体交渉とは,労働組合等が代表者を通じて使用者等と労働者の勤務条件等について合意を達成することを主たる目的として交渉を行うことをいうものと解される。すなわち,団体交渉は労使双方が譲歩を重ねつつ勤務条件等について合意を達成することを主たる目標とするものであり,団体交渉において譲歩は労使双方の自由であるから合意が達成されないこともありうるが,その場合には,労働者は,労働力の引上げを中心とした争議行為によって使用者に譲歩を求めることになる。
ところで,原告ら非現業の国家公務員も自己の労務を提供することにより生活の資を得ている点において一般の労働者と異なるところはないから,憲法28条の「勤労者」に当たるものと解されるが,憲法自ら公務員の地位,勤務条件について,一般の労働者とは異なる規定を置いていることから,国家公務員に保障される労働基本権は一艘労働者とは異なる制約に服するものと解するのが相当である。すなわち,憲法は,国民主権,議会制民主主義の下,公務員の選定罷免権は国民固有の権利であり,すべての公務員は全体の奉仕者である(憲法15条1項,2項)とし,内閣は法律の定める基準に従い公務員に関する事務を掌理する(憲法73条4号)と定めるとともに,財政民主主義(憲法83条,85条,86条)の下,公務員関係について財政面でも国会による民主的統制を及ぼしているのであって,国家公務員の勤務条件については法律ないし予算により定めることを予定している(勤務条件法定主義)。そうすると,国家公務員の勤務条件の決定については,国家公務員で組織する労働組合とその使用者たる国との間で,国会による民主的統制を全く排除して,団体交渉を通じて労働協約を締結し勤務条件を決定していくというようなことは,民主的に行われるべき国家公務員の勤務条件の決定過程を歪曲するおそれがあり,憲法上許容されないものと解するのが相当である。換言すれば,憲法は,国家公務員について,民間企業の労働者と同一の団体交渉権を保障することよりも,その勤務条件について国会による民主的統制を及ぼすことをより優先させているのであって,労使が勤務条件に関して合意で決めることやその合意に向けた交渉を行うという本来労働者が有する権利を制約することを方法は,憲法上一義的な定めがされているわけではないから,法律で大綱的基準を定め,その範囲内で労使が団体交渉を通じて労働協約を締結することを認めることや,団体交渉を通じて締結した労働協約の内容を国会が事後的に審査することなども憲法上許されないわけではないが,それは議会制民主主義,財政民主主義の枠内で国会が国家公務員の使用者である国に対し一定の権限を付与するという立法裁量の問題にすぎない。そして,現行法上は,国家公務員について,「給与は法律により定められた給与準則に基づいてなされるべきであり,これに基づかずにはいかなる金銭又は有価物も支給されてはならない」(国公法63条1項)とされ,この給与準則は給与法において俸給表,昇給の基準,諸手当等が詳細に規定されているのであるから,国家公務員は,使用者たる国に対し,現行法上,上記のような方法で勤務条件を決定すべきことを求めることはできない。
したがって,国家公務員の使用者である国は,憲法28条により,国家公務員で組織する労働組合との間で勤務条件について誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務を負っていると解することは困難というべきである(最大判昭和52年5月4日刑集31巻3号182頁以下参照)。
上記判示のとおり,憲法は,国家公務員の団体交渉権について,民間の労働者とは異なる制約を認めているのであるが,国家公務員も憲法28条の勤労者に当たるものと解する以上,労働基本権である団体交渉権を制約するに当たり,これに代わる相応の措置が講じられなければならないことは当然であり,このような代償措置が本来の機能を果たすことが憲法上要請されているということができる。
そこで,本件において,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していないかについて,以下検討する。
国公法上,人事院は,国家公務員の団体交渉権を制約したことに対する代償措置としての職責を有するのであるから,本来労働者が使用者に対し,争議権を後ろ盾にした団体交渉を行うことにより勤務条件の改善を図るということに見合うだけの責務を果たすべきであり,勤務条件の切下げとなるような勧告は,一見すると上記責務にそぐわないものと見えなくもない。
しかしながら,人事院は,上記責務を負う一方,国家公務員人事行政の公正・中立を維持,擁護する中央人事行政機関として,また,人事行政の在り方について研究を行う専門的機関として,その機能を果たすこともその責務とされており(国公法3条,28条,63条2項参照),人事院がこの責務を果たすことは国家公務員制度自体への国民の信頼確保につながるものであり,そのことは長い目で見れば国家公務員の勤務条件の安定に資するものということができる。そうだとすると,人事院勧告が給与の減額など勤務条件を切り下げる内容であったからといって,人事院が代償機関として本来の機能を果たしていないと即断することはできず,人事院が代償機関として本来の機能を果たしているか否かについては,当該人事院勧告の内容が適切な資料に基づき,広く社会情勢を考慮した上で,国家公務員ないしその労働組合の意見も踏まえつつ,国家公務員の勤務条件の改善,国家公務員人事行政の公正性中立性の維持・擁護に配慮した合理的なものといえるか否かにより判断するのが相当といえる。
これを本件人事院勧告についてみると,人事院は,国家公務員の給与水準を民間企業従業員の給与水準と均衡させること(民間準拠)を基本に,単純な官民給与の平均値によるのではなく,主な給与決定要素である職種,役職段階,年齢,勤務地域などを同じくする者同士を対比させることが適切であるとの考えの下に,国家公務員給与等実態調査及び本件民調を行い(本件民調については,企業規模100人以上,かつ,事業所規模50人以上の全国の民間事業所約3万4000か所のうちから,統計手法に則って無作為抽出した約7900か所の事業所を対象に,人事院の職員等が直接民間事業所に出向き,実地に調査を行っている。),これにより官民の平成14年4月分の給与額を把握し,公務における行政職と民間におけるこれと類似すると認められる職種の者について,給与決定要素を同じくすると認められる者同士の給与額を対比させて比較(ラスパイレス方式)を行い(甲1の1,2),国家公務員の給与が民間給与を7770円(2.03パーセント)上回るとの結論を得た。また,人事院は,上記官民較差に加えて,民間賃金指標の動向,物価・生計費,雇用情勢,4現業職員の賃金改定の動向など分析し,全国37都市において有識者,中小企業経営者等広く各界との意見交換を行い,「国家公務員に関するモニター」(500人)を通じて広く国民の意見聴取を行った(甲1の1)。
他方,人事院は,上記第2の1(2)のとおり,原告らの所属する国公労連との間でも,平成14年2月15日から同年8月6日までの間,平成14年春闘統一要求,人事院勧告に関する要求等について会見を行い,見解の一致を見なかったものの,少なくともこれまでと比べて遜色ない程度には情報を開示しつつ国家公務員の意見聴取を行ったものといえる。
そこで,人事院は,これらの資料を総合考慮した上で,官民較差の大きさ等を踏まえ,給与水準を引き下げることが適切であるとの判断したものである。さらに,人事院は,給与水準を引き下げる方法としては,毎年行われる昇給を延伸するとの考えもあるが,国家公務員の一部に専ら負担を強いることになること,昇給の趣旨から官民較差を埋めるための方法として適当でないことなどを考慮し,これに見合うよう月例給の引下げ改定を行うことが適切であると判断し,行政職の職員の俸給表について,すべての級のすべての俸給月額について引下げ改定を行う(平均2.0パーセント減)との勧告をしたものである。そして,改定は「不利益不遡及の原則」に抵触しないよう遡及することなく実施するが,官民給与は4月時点で比較し均衡を図ることとしており,遡及改定を行わない場合であっても,賃金引上げの場合と同様,原則として官民比較が行われる4月1日から1年間べ一スで調整を行い,実質的な均衡を図ることが情勢適応の原則(国公法28条)に適うとの考えから,本件特例措置規定に係わる勧告を行ったのである。
以上によれば,本件人事院勧告は,民間準拠等に関する適切な資料に基づき,広く社会情勢を考慮した上で,国家公務員ないしその労働組合である国公労連の意見も踏まえつつ,国家公務員の勤務条件の改善,公務員人事行政の公正性中立性の維持・擁護に配慮して賃金の引下げ,本件特例措置規定に係わる勧告をしたのであって,合理的なものということができる。したがって,本件において,人事院が国家公務員の団体交渉権を制約する代償機関として本来の機能を発揮していないということは困難である。
小括
以上によれば,国家公務員の使用者である国には,憲法28条に基づき,国家公務員と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務を負っていると解することは困難であり,また,本件において人事院が代償機関として本来の機能を発揮していないということもできない。そうだとすると,原告らの主張は,憲法28条に照らし,国は,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していない場合には,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行うことを前提とする主張であるところ,原告らの主張は,当該前提を欠いているということになる。したがって,国会議員は,憲法28条に照らし,原告ら主張のような注意義務を負っているということはできず,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定は,違憲,違法ということはできない。
(2) 原告らは,本件特例措置規定を含む本件改正法の立法行為が違法な理由について,国会議員は,ILO第87号条約,同第98号条約に照らし,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)には,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉が行われていない段階で,本件改正法案を可決成立させてはならない義務があるところ,当該義務に違反していると主張する。そこで,原告らの主張が成り立つためにはILO第87号条約,同第98号条約に照らし,国会議員が原告ら主張のような注意義務を負っているか否かが問題となる(争点2,3,5)。
原告らは,ILO第87号条約,同第98号条約に基づき,国家公務員にも団体交渉権が保障されている旨主張する。確かに,証拠(甲19の1,2,甲20の1,2,甲22の1,2)によれば,ILO結社の自由委員会は,ILO第87号条約に関し,軍隊及び警察並びに国家の施政に直接従事する公務員以外の公務員は団体交渉権を享受すべきであるとの見解を明らかにしていること,ILO条約勧告適用専門家委員会は,ILO第98号条約に関し,我が国において国家の運営に従事しない公務員の賃金決定に参加する資格が著しく制限されていることに留意し,政府に対し,このような公務員について団体協約の方法による交渉制度の促進を要請していることが認められる。
しかしながら,ILO第87号条約は,「労働者及び使用者は,事前の認可を受けることなしに,自ら選択する団体を設立し,及びその団体の規約に従うことのみを条件としてこれに加入する権利をいかなる差別もなしに有する」(ILO第87号条約第2条),「労働者団体及び使用者団体は,その規約及び規則を作成し,自由にその代表者を選び,その管理及び活動について定め,並びにその計画を策定する権利を有する。公の機関は,この権利を制限し又はこの権利の合法的な行使を妨げるようないかなる干渉をも差し控えなければならない」(ILO第87号条約第3条)などと規定して,結社の自由及び団結権の保護について定める条約であり,その条項から直ちに国家公務員にも私企業の労働者と同一の団体交渉権の保障がされているとまで解することは困難である。また,ILO第98号条約は,団結権及び団体交渉権についての原則について定める条約であるが,「この条約は,公務員の地位を取り扱うものではない」(ILO第98号条約第6条)と規定していることなどからすれば,同条約が国家公務員についてまで私企業の労働者と同一の団体交渉権を保障していると解することも困難であるというべきである。
そして,これらの点に関するILO結社の自由委員会の勧告や同条約勧告適用専門家委員会の報告は,強制力を持たない国内措置の指針にすぎず,これがILO条約を解釈する際の法的拘束力ある基準として法源性を有すると解することはできない。
したがって,ILO第87号条約,同第98号条約に基づき,人事院が代償機関として本来の機能を発揮しない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)に,国家公務員の使用者である国に,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務まで導き出すことは困難である。
また,上記(1)ウで判示したとおり,本件においては,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していないということもできない。
小括
以上によれば,国家公務員の使用者である国には,ILO第87号条約,同第98号条約に基づき,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務を負っていると解することは困難であり,また,本件において人事院が代償機関として本来の機能を発揮していないということもできない。そうだとすると,原告らの主張は,ILO第87号条約,同第98号条約に照らし,国は,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していない場合には,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行うことを前提とする主張であるところ,原告らの主張は,当該前提を欠いているということになる。したがって,国会議員は,ILO第87号条約,同第98号条約に照らし,原告ら主張のような注意義務を負っているということはできず,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定は,違法ということはできない。
(3) 原告らは,本件特例措置規定を含む本件改正法の立法行為が違法な理由について,最一小判平成元年9月7日集民157号433頁以下,最三小判平成8年3月26日民集50巻4号1008頁以下を引用し,国会議員は,国賠法1条1項の適用上,「不利益不遡及の原則」の法理を脱法する立法をしてはならないとの注意義務を負っているところ,当該義務に反し,「不利益不遡及の原則」に違反ないし脱法する本件特例措置規定を含む本件改正法を制定したと主張する。
ところで,上記1で判示したとおり,国会議員の立法行為は,立法の内容又は手続が憲法の一義的な文言に違背しているにもかかわらず,あえて当該立法を行うといった容易に想定し難いような例外的な場合でない限り,国賠法1条1項の適用上,違法の評価を受けないものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに,原告らは,本件特例措置規定は,形式的には本件改正法の施行日以降の期末手当と調整するとしているが,実質的には,本件改正法を遡及適用して,既に原告らに支払った月例給の減額分を期末手当の支払時に返還させるものであり,給与法改正により過去に遡って既払の月例給の減額という勤務条件の変更をするものであるから,「不利益不遡及の原則」の法理に違反すると主張する。しかしながら,原告らが引用する最高裁の2判例は,私企業の労働者の勤務条件について,事後に締結された労働協約又は事後に定められた就業規則を遡及的に適用することにより,既に発生した具体的権利としての賃金等請求権を処分,変更することは許されない旨判示し,私企業における労働協約や就業規則の効力について判断したものであり,上記(1)イで判示したとおり勤務条件法定主義が妥当する国家公務員について,上記法理が直ちにあてはまるとはいえない。のみならず,本件特例措置規定は,本件改正法施行後に具体的権利として発生する平成14年度の期末手当等について,一定の減額措置を講ずるというものであって,原告らに不利益な内容を含む法律を遡及的に適用して,既に発生した原告らの具体的権利を一方的に処分,変更させるものであると一義的にいうことはできない。そして,国家公務員の月例給は,現行制度上,人事院が毎年4月1日における官民給与の比較を行い,これをもとに人事院勧告がなされ,これを受けて法案の作成,国会審議等がされた後,給与法改正法が成立するのである。そうだとすると,官民給与の比較の結果が実際の月例給の支給に反映されるまでに時間的ずれが生じること自体やむを得ないところ,この間の月例給について生ずる差額を調整するか否か,調整するとしてどのような方法によるかは立法裁量に属する事柄と解するのが相当である。これを本件特例措置規定についてみると,同規定は,当該年度における官民給与の情勢を年間所得に反映させるため,官民比較が行われる4月1日から1年間べ一スで調整を行うことにして,その方法として平成14年4月から同年11月までの間に原告らに支給された俸給等と同俸給等に本件改正法を適用して算出された金額との差額を算出し,これを平成14年度の期末手当等から差し引くことにしたものであって,これをもって立法裁量の逸脱があるということはできないし,ましてや本件特例措置規定を含む本件改正法の内容又は手続が憲法の一義的な文言に違背しているということはできない。
小括
以上によれば,本件特例措置規定は,「不利益不遡及の原則」の法理を脱法しているとはいえない。よって,国会議員が,「不利益不遡及の原則」の法理に違反ないし脱法していることを前提とする原告らの主張は,その余の点を判断するまでもなく理由がない。
(4) 本件特例措置規定を含む本件改正法の違法の存否
以上判示したところから明らかなとおり,国家公務員の使用者である国は,人事院が代償機関として本来の機能を発揮しない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)に,憲法28条,ILO第87一号条約,同第98号条約に基づき,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務を負うとはいえず,また,本件においては,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していないということもできない。そうだとすると,国会議員は,国賠法1条1項の適用上,国家公務員の使用者である国が国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行っていない(更には団体交渉により同意を得ていない)段階で,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定を行ってはならないとの注意義務を負っていたということもできない。また,国会議員は,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定において,「不利益不遡及の原則」の法理を脱法したということもできない。よって,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定が違憲,違法であることを前提とする,原告らの主張はその余の点を判断するまでもなく理由がないということになる。
人事院総裁,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長の注意義務違反の存否
(1) 原告らは,人事院総裁,内閣の代表者たる内閣総理大臣は,国賠法1条1項の適用上,憲法28条,ILO第87号条約,同第98号条約に照らし,国家公務員の使用者である国が国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行っていない(更には団体交渉により同意を得ていない)段階で,それぞれ本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定を行ってはならないとの注意義務を負っているのに,これを怠ったと主張する(争点1ないし3)。
しかし,上記2で判示したとおり,国家公務員の使用者である国は,人事院が代償機関として本来の機能を発揮しない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)に,憲法28条,ILO第87号条約,同第98号条約に基づき,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務を負っているとはいえず,また,本件においては,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していないということもできない。よって,人事院総裁,内閣の代表者たる内閣総理大臣は,国賠法1条1項の適用上,国家公務員の使用者である国が国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行っていない(更には団体交渉により同意を得ていない)段階で,それぞれ本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定を行ってはならないとの注意義務を負っていたということはできない。
なお,立法について固有の権限を有する国会ないし国会議員の本件特例措置規定を含む本件改正法についての立法行為が,上記2で判示したとおり,国賠法1条1項の適用上違法性を肯定することができないものである以上,その立法の前提ないし過程にすぎない本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定についても,同条項の適用上違法ということはできず(最二小判昭和62年6月26日判例時報1262号100頁以下参照),原告らの主張は,この観点からも理由がない。
(2) 原告らは,中央行政機関としての内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長は,国賠法1条1項の適用上,憲法28条,ILO第87号条約,同第98号条約に照らし,国家公務員で組織する労働組合と同意を得るための団体交渉を行うことなく,本件特例措置規定を含む本件改正法案作成,本件特例措置規定の執行等の行為を行ってはならないとの注意義務を負っているのに,これを怠ったと主張する(争点1,2,4)。
しかし,上記2で判示したとおり,国家公務員の使用者である国は,人事院が代償機関として本来の機能を発揮しない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)に,憲法28条,ILO第87号条約,同第98号条約に基づき,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務を負っているとはいえず,また,本件においては,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していないということもできない。よって,中央行政機関としての内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長は,国賠法1条1項の適用上,国家公務員と同意を得るための団体交渉を行うことなく,本件特例措置規定を含む本件改正法案の作成を行ってはならないとの注意義務を負っていたということはできない。
なお,総務省は,上記第2の1(2),(3)イのとおり,原告らの所属する国公労連との間で,平成14年3月15目から同年9月26日までの間,平成14年春闘統一要求,本件人事院勧告に関して会見を行い,ここでの会見でも見解の一致をみなかったものの,少なくともこれまでと比べて遜色ない程度に意見交換を行ったといえる。
また,上記2で判示したとおり,国会ないし国会議員の本件特例措置規定を含む本件改正法についての立法行為が,国賠法1条1項の適用上違法性を肯定することができないものである以上,その立法過程にすぎない本件改正法案の作成についても,同条項の適用上違法ということはできず,原告らの主張は,この観点からも理由がない。
さらに,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定に違法がないことは上記2で判示したとおりであるから,これを執行する内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長の行為についても,国賠法1条1項の違法性を認めることはできない。
(3) 原告らは,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長は,国賠法1条1項の適用上,「不利益不遡及の原則」の法理を脱法する行為をしてはならないとの注意義務を負っているのに,これを怠ったと主張する(争点5)。
しかし,上記2(3)で判示したとおり,本件特例措置規定は,一義的に,「不利益不遡及の原則」に違反ないし脱法しているということはできない。
のみならず,国家公務員の月例給ついて官民給与の比較の結果が実際の月例給の支給に反映されるまでに時間的ずれが生じることによって発生する差額(上記2(3)参照)について,調整するか否か,調整するとしてどのような方法によるかは,人事院,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長が,人事院勧告,本件改正法案の作成に際して,それぞれ専門的立場で諸事情を勘案の上判断すべきものであるところ,これに基づいてなされた国会ないし国会議員の本件特例措置規定の立法行為が,国賠法1条1項の適用上違法性を肯定することができないものである以上,その立法の前提ないし過程にすぎない本件人事院勧告,本件改正法案の作成についても,上記(1)と同様,同条項の適用上違法ということはできない。したがって,原告らの主張を採用することはできない。


第4 結語
以上の次第であって,原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第36部
裁判長裁判官難波孝一
裁判官三浦隆志
裁判官知野明
以 上


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