「国公権利裁判」の判決要旨

平成16年10月21日判決言渡
平成15年(ワ)第4816号損害賠償請求事件

判 決 要 旨
原告 河野正典ほか138名
被告

主 文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由の要旨


第1 事案の概要
 原告らは,いわゆる国公労連に所属する非現業の国家公務員139名である。被告国は,平成14年度の国家公務員の給与について,同年度の人事院勧告(以下「本件人事院勧告」という。)に基づき,一般職の職員の給与に関する法律改正法(以下「本件改正法」という。)附則第5項(以下「本件特例措置規定」という。)を制定し,同年12月の期末手当から,同年4月分から同年11月分の月例給に本件改正法を適用した場合に算定される額と既に支払済みの額との差額を差し引いて支給するとの措置をとった。これに対し,原告らは,本件人事院勧告,本件人事院勧告に沿った本件改正法案の作成,本件特例措置規定を含む本件改正法案の閣議決定,同法の制定,執行の一連の各行為は,憲法28条,ILO第87号条約,同第98号条約,不利益不遡及の原則に違反していると主張して,被告国に対し,国家賠償法1条1項に基づき,本件特例措置規定に基づく調整額相当額の損害賠償金及び遅延損害金の支払を求めた事案である。

第2 当裁判所の判断
1 本件改正法の立法の違法について
(1)  本件改正法の成立の経過をみると,人事院総裁の本件人事院勧告,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長の本件改正法案作成行為,内閣総理大臣の閣議決定,本件改正法案の国会への提出行為はいずれも,本件改正法の立法行為に向けられた,前提行為ないしは立法過程と評価しうる面があるので,まず最初に,国会による立法行為である本件特例措置規定を含む本件改正法の制定が,国賠法1条1項の適用上違法といえるか否かを検討する。
(2)  この点まず,国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり,個々の国民の権利に対応した関係で法的義務を負うものではない。国会議員の立法行為は,立法の内容又は手続が憲法の一義的な文言に違背しているにもかかわらず,あえて当該立法を行うといった容易に想定し難いような例外的な場合でない限り,国賠法1条1項の適用上,違法の評価を受けないものと解するのが相当であり,上記判断基準を前提に検討する。
(3)  ところで,原告らは,本件特例措置規定を含む本件改正法の立法行為が違憲,違法な理由について,国会議員は,憲法28条に照らし,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)には,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉が行われていない段階で,本件改正法案を可決成立させてはならない義務があるところ,当該義務に違反していると主張する。そこで,原告らの主張が成り立つためには,憲法28条に照らし,国会議員が原告ら主張のような注意義務を負っているか否かが問題となる。これを本件についてみるに,原告ら非現業の国家公務員も自己の労務を提供することにより生活の資を得ている点において一般の労働者と異なるところはないから,憲法28条の「勤労者」に当たるものと解されるが,憲法自ら公務員の地位,勤務条件について,一般の労働者とは異なる規定を置いていることから,国家公務員に保障される労働基本権は一般労働者とは異なる制約に服するものと解するのが相当である。国家公務員の勤務条件の決定については,国家公務員で組織する労働組合とその使用者たる国との間で,国会による民主的統制を全く排除して,団体交渉を通じて労働協約を締結し勤務条件を決定していくというようなことは,民主的に行われるべき国家公務員の勤務条件の決定過程を歪曲するおそれがあり,憲法上許容されないものと解するのが相当である。したがって,国家公務員の使用者である国は,憲法28条により,国家公務員で組織する労働組合との間で勤務条件について誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務を負っていると解することは困難というべきである。
 また・人事院勧告が給与の減額など勤務条件を切り下げる内容であったからといって・人事院が代償機関として本来の機能を果たしていないと即断することはできず,人事院が代償機関として本来の機能を果たしているか否かについては,当該人事院勧告の内容が適切な資料に基づき,広く社会情勢を考慮した上で,国家公務員ないしその労働組合の意見も踏まえつつ,国家公務員の勤務条件の改善,国家公務員人事行政の公正性中立性の維持'・擁護に配慮した合理的なものといえるか否かにより判断するのが相当といえる。これを本件についてみるに,本件人事院勧告は,民間準拠等に関する適切な資料に基づき,広く社会情勢を考慮した上で,国家公務員ないしその労働組合である国公労連の意見も踏まえつつ,国家公務員の勤務条件の改善,公務員人事行政の公正性中立性の維持・擁護に配慮して賃金の引下げ,本件特例措置規定に係わる勧告をしたのであって,合理的なものということができ,本件において,人事院が国家公務員の団体交渉権を制約する代償機関として本来の機能を発揮していないということは困難である。
(4)  次に,原告らは,本件特例措置規定を含む本件改正法の立法行為が違法な理由について,国会議員は,ILO第87号条約,同第98号条約に照らし,人事院が代償機関として本来の機能を発揮していない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)には,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉が行われていない段階で,本件改正法案を可決成立させてはならない義務があるところ,当該義務に違反していると主張する。しかし,ILO第87号条約,同第98号条約は,その条項から直ちに国家公務員にも私企業の労働者と同一の団体交渉権の保障がされているとまで解することは困難である。これらの点に関するILO結社の自由委員会の勧告や同条約勧告適用専門家委員会の報告は,強制力を持たない国内措置の指針にすぎず,これがILO条約を解釈する際の法的拘束力ある基準として法源性を有すると解することはできない。したがって,ILO第87号条約・同第98号条約に基づき,人事院が代償機関として本来の機能を発揮しない場合(国家公務員の勤務条件の不利益変更等の勧告を行う場合)に,国家公務員の使用者である国に,国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行う(更には団体交渉により同意を得る)義務まで導き出すことは困難である。
(5)  さらに,原告らは,本件特例措置規定を含む本件改正法の立法行為が違法な理由について,最一小判平成元年9月7日集民157号433頁以下,最三小判平成8年3月26日民集50巻4号1008頁以下を引用し,国会議員は,国賠法1条1項の適用上,「不利益不遡及の原則」の法理を脱法する立法をしてはならないとの注意義務を負っているところ,当該義務に反し,「不利益不遡及の原則」に違反ないし脱法する本件特例措置規定を含む本件改正法を制定したと主張する。しかし,原告らが「不利益不遡及の原則」の適用を認めたとして引用する最高裁の2判例は,私企業の労働者の勤務条件について,事後に締結された労働協約又は事後に定められた就業規則を遡及的に適用することにより,既に発生した具体的権利としての賃金等請求権を処分・変更することは許されない旨判示し,私企業における労働協約や就業規則の効力について判断したものであり,勤務条件法定主義が妥当する国家公務員について,ここで示された「不利益不遡及の原則」の法理が直ちにあてはまるとはいえない。のみならず,本件特例措置規定は,本件改正法施行後に具体的権利として発生する平成14年度の期末手当等にういて,一定の減額措置を講ずるというものであって,原告らに不利益な内容を含む法律を遡及的に適用して,既に発生した原告らの具体的権利を方的に処分,変更させるものであると一義的にいうことはできない。そして,国家公務員の月例給は,現行制度上,官民給与の比較の結果が実際の月例給の支給に反映されるまでに時間的ずれが生じること自体やむを得ないところ,この間の月例給について生ずる差額を調整するか否か,調整するとしてどのような方法によるかは立法裁量に属する事柄と解するのが相当である。この点,本件特例措置規定に立法裁量の逸脱があるということはできないし,ましてや本件特例措置規定を含む本件改正法の内容又は手続が憲法の一義的な文言に違背しているということはできない。
(6)  以上によれば,国会議員は,国賠法1条1項の適用上,国家公務員の使用者である国が国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行っていない(更には団体交渉により同意を得ていない)段階で,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定を行ってはならないとの注意義務を負っていたということはできない。また,国会議員は,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定において,「不利益不遡及の原則」の法理を脱法したということもできない。よって,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定が違憲,違法であることを前提とする,原告らの主張はその余の点を判断するまでもなく理由がない。

2 本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定等の違法について
(1)  次に,原告らは,人事院総裁,内閣の代表者たる内閣総理大臣は,国賠法1条1項の適用上,憲法28条,ILO第87号条約,同第98号条約に照らし,国家公務員の使用者である国が国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行っていない(更には団体交渉により同意を得ていない)段階で,それぞれ本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定を行ってはならないとの注意義務を負っているのに,これを怠ったと主張する。しかし,人事院総裁,内閣の代表者たる内閣総理大臣は,上記1(3)(4)と同様の理由により,国賠法1条1項の適用上,国家公務員の使用者である国が国家公務員で組織する労働組合と誠実に妥結に向けた団体交渉を行っていない(更には団体交渉により同意を得ていない)段階で,それぞれ本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定を行ってはならないとの注意義務を負っていたということはできない。
 なお,立法について固有の権限を有する国会ないし国会議員の本件特例措置規定を含む本件改正法についての立法行為が,上記1のとおり、国賠法1条1項の適用上違法性を肯定することができないものである以上,その立法の前提ないし過程にすぎない本件人事院勧告,本件改正法案の閣議決定については,同条項の適用上違法ということはできない。
(2)  また,原告らは,中央行政機関としての内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長は,国賠法1条1項の適用上,憲法28条,ILO第87号条約,同第98号条約に照らし,国家公務員で組織する労働組合と同意を得るための団体交渉を行うことなく,本件特例措置規定を含む本件改正法案作成・本件特例措置規定の執行等の行為を行ってはならないとの注意義務を負っているのに,これを怠ったと主張する。しかし,中央行政機関としての内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長は,上記1(3)(4)と同様の理由により・国賠法1条1項の適用上,国家公務員と同意を得るための団体交渉を行うことなく,本件特例措置規定を含む本件改正法案の作成を行ってはならないとの注意義務を負っていたということはできない。また,国会ないし国会議員の本件特例措置規定を含む本件改正法についての立法行為が,上記1のとおり,国賠法1条1項の適用上違法性を肯定することができないものである以上,その立法過程にすぎない本件改正法案の作成についても,同条項の適用上違法ということはできない。さらに,本件特例措置規定を含む本件改正法の制定に違法はないから,これを執行する内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長の行為についても,国賠法1条1項の違法性を認めることはできない。
(3)  さらに,原告らは,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長は,国賠法1条1項の適用上,「不利益不遡及の原則」の法理を脱法する行為をしてはならないとの注意義務を負っているのに,これを怠ったと主張する。しかし,本件特例措置規定は,上記1(5)のとおり,一義的に,「不利益不遡及の原則」の法理に違反ないし脱法しているということはできない。のみならず,国家公務員の月例給ついて官民給与の比較の結果が実際の月例給の支給に反映されるまでに時間的ずれが生じることによって発生する差額について,調整するか否か,調整するとしてどのような方法によるかは,人事院,内閣総理大臣,総務大臣,総務省人事・恩給局長が,人事院勧告,本件改正法案の作成に際して,それぞれ専門的立場で諸事情を勘案の上判断すべきものであるところ,これに基づいてなされた国会ないし国会議員の本件特例措置規定の立法行為が,上記1のとおり,国賠法1条1項の適用上違法性を肯定することができないものである以上,その立法の前提ないし過程にすぎない本件人事院勧告・本件改正法案の作成についても,同条項の適用上違法ということはできない。
3 結論
以上のとおり,原告らの請求はいずれも理由がない。

以 上


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