国公労新聞 第1065号

●新年あけましておめでとうございます
 国公労連本部書記局一同

●いま食卓があぶない!
     私たちの食の安全を考えよう 

〇「食べることは生きること」−私たちが健康でくらし、元気に働くためにも、毎日の食生活はとても大切です。
 ところが、日本の食料自給率は39%に低下し、増えつづける輸入食品は、たくさんの添加物で加工され、スーパーやコンビニ、ファーストフードの店にだされています。子どもたちの成長や、日本の食文化への影響も心配です。
 「外国産より高くても、食料は国産で」と望む国民は、政府の世論調査でも8割以上となっていますが、いまや「世界一の食料輸入大国」となり、輸入食品にたよらざるをえないのが日本の現実です。遺伝子組みかえ食品の危険など、いま、輸入食品の安全性への消費者の関心は、かつてなく高まっています。
 21世紀がスタートするにあたって、新年号では、新しい世紀をになう子どもたちのすこやかな成長も願い、国民のいのちと健康の土台となる「食」の未来について考えてみました。

〇塩漬けの輸入野菜が半年以上も山積みに
 「へー、しめじやウリって、こんなふうに塩漬けになっているのね!」横浜港の山下埠頭へ「港見学」に千葉からバスで参加した農家の女性たちから驚きの声があがりました。
 青さがひときわ目立つ塩蔵野菜専用倉庫(通称・青テント)に入ったとたん、ツーンとした塩っぽい空気につつまれました。まつたけなどのきのこ類や山菜類、しその実、らっきょう、きゅうり、なすなどの塩漬けになった野菜が木箱や容器にはいって山積みになっています。中国からの輸入がほとんどですが、中にはロシアからのワラビの樽詰めもあり、伝統的な日本食の材料が、ほとんど輸入されたものであることには、だれもが驚かされます。
 長くて半年以上もここに置かれるため、倉庫の床は塩水が漏れ、包装のビニールが破れているものも目につきました。昔は1〜2年放置されていたそうです。

〇税関の港見学によりテント倉庫が実現
 今回、港見学での案内役は、横浜税関の通関部門ではたらく三國文孝さん。全税関横浜支部(組合員105名)の支部長をしています。
 港見学は、1983年、兵庫県母親大会連絡会の母親たちが「輸入食品の現状をみたい」と神戸港を見学したのがきっかけです。それ以来、全税関の仲間が中心となって、輸入食品の学習会や港見学の案内などを全国の港でとりくんできました。港見学には、農民、農協関係者、生協、消費者、高校生など幅広い人たちがおとずれます。全税関の組合員が交替で休暇をとって、仕事の都合をつけながら参加者の応対にあたってきました。ひとりでも多くの人たちに、税関や食品行政の実態を知ってもらいたいためです。
 三國さんは、輸入品と国産のレモンをくらべて参加者に見せながら、輸入食品の危険性と、いまの政府のおこなっている食品行政の問題点などをていねいに説明したうえで、「以前は輸入された農産物や食品が港に野ざらしになっており、不衛生な状態でした。しかし、みなさんの声によってテント倉庫を設置させることができたのです。みなさんの監視が行政をうごかしていくのです」と見学の参加者に語りました。

〇政府の農業つぶし許さず、おいしい作物つくりたい
 千葉県印旛郡で農業をしている女性は「私たちは政府による、農業つぶしを許せません。国民全体にしっぺ返しがくるにちがいありません。日本の農業を守り安全で安定した食糧の確保をするためにも、自信をもっておいしい作物をつくっていきたいし、こうした輸入食品のことにも、もっと消費者に関心をもってほしい」と港見学に参加した感想を語りました。


●国民の健康と安全をまもるために・・・
 組織をこえて、みんなで力をあわせよう!


〇年々低下の検査率 輸入食品の「港の素通り化」で高まる不安

 この間、食品への異物混入・残留農薬・残留ホルモン・O157汚染・コレラ菌汚染などが社会問題化し、さらに遺伝子組み換え食品やダイオキシンによる輸入食品汚染も新たな不安を国民に与えています。
 世界最大の食料輸入国である日本は、輸入食品の安全性をどのような体制で確保しているのでしょうか。

 外国から輸入される食品はすべて「税関」と「検疫」をとおります。「税関」は、輸入貨物にかかる関税の徴収と輸入の許可(通関)などをおこない、輸入品が国内の法律をきちんと守っているかチェックしています。
 食品検疫に従事している厚生省の「食品衛生監視員」は全国に264人いますが、輸入届出件数は127万件(98年)という膨大な量を扱っています。しかし、実際検査された件数は10万件のみで、わずか8%でしかありません。89年の18%にくらべても、この10年間で半分以下に落ち込んでいます。
 また、86年以降、書類だけで現物の検査をはぶく事前届出制度や、輸入実績のデータさえあれば1年間に何回輸入しても届出がいらない計画輸入制度など「港の素通り化」ともいうべき状況があたり前になっています。政府の規制緩和政策により、輸入食品がなんの検査・チェックもされないしくみがあるのです。
 こうしたシステムが、残留農薬に汚染された食品がそのまま食卓にのぼってしまう危険にもつながっています。

〇食品分野の規制緩和と行革攻撃が一体で

 このように食品安全行政が後退した最大の転換点が、95年の「食品衛生法」改悪です。
 国は水際での食品検査から事実上、撤退するとともに、保健所の統廃合など、食品衛生関係分野での規制緩和をすすめました。さらに「行革」によって行政スリム化・効率化が叫ばれ、「事後チェック型行政」への転換と、検査の民間移行がいっきにすすめられました。
 横浜税関ではたらく大槻敏彦さんは「輸入食品の検査体制の充実は消費者にとって切実な要求です。私たちは検疫所・食品衛生監視員の増員などを強く求める運動をしてきました。港見学などで直接国民の声を聞くことは、行政民主化の運動をすすめるうえで大切だと思います。国の水際検査の放棄を許さず、国民のための税関行政をめざしていきたい」と語りました。


〇ねばり強く告発し世論を喚起ねばり強く告発し世論を喚起
 農民連食品分析センター所長 石黒 昌孝さん(元全税関労組委員長)


▽食品分析センターでは、消費者の立場にたち、遺伝子組み換え検査など幅広い検査・調査をおこなっています。
 安全性を無視すると、そのつけは国民の健康破壊となってあらわれます!

▽国民の安全を守り、安心して食べられる食品づくりにむけた運動もひろがっています。
 農民連食品分析センター所長の石黒昌孝さんは「国民の安全のため、自分たちの目で輸入食品や農家の生産物の安全をチェックする目的で分析センターを96年に設立しました。国や民間企業から独立しているからこそ、消費者の立場にたった客観的なデータを提供し告発できるのです」と話します。
 99年には2千万円カンパを呼びかけ、遺伝子組み換え検査や塩素系農薬分析機器設置を実現しました。分析センターの検査データを公表することによって、食品メーカーに遺伝子組み換え表示をさせたり、品質を改善させるなど大きな力を発揮し、国民の世論を、喚起してきました。

▽子どもたちの健康があぶない
 「いま子どもたちのアレルギー症状が4割以上に増え、視力の低下、生活習慣病などが問題になっていますが、輸入食品の激増が大きく影響していると思います」と石黒さんは語ります。
 1年間でマクドナルドだけで12億個も日本人の胃袋に入っているハンバーガー。破格の65円バーガーの材料は自給率0%で、まさに輸入食材の塊といえます。バーガーのパンからは視神経を侵すといわれる農薬が検出されました。また、ゴボウ、絹サヤなどの中国産野菜からは発ガン性農薬が検出されています。
 手軽で安いコンビニ弁当は「添加物のデパート」といわれるほどで、これらの食材は、大商社やメーカーが驚異的低価格で輸入したものです。
 未承認の遺伝子組み換えトウモロコシ「スターリンク」が食品と飼料に混入したり、農薬が基準以上に残留している農産物が輸入されている事実は、いかに安全チェックがおろそかにされているかを示しています。
 食品監視窓口が設置されている全国32カ所の検疫所のうち、検査機器を置いていない検疫所が3分の1以上もあり、安全チェック体制は人員面、検査機器の面からみてもきわめて不十分です。
 「企業が安全性を無視し、もうけ追求のつけは、国民の健康破壊となってあらわれます。子どもたちの成長のためにも、学校給食では安全な国産の食料をつかってほしい。私たち農民連はこれからも広範な人たちと共同して安全な国産食材を供給したい。そのためにも分析センターを発展させていきたい」と石黒さんは力強く抱負を語りました。

▽国民の食の安全のため行政民主化のたたかいを
 農産物の価格暴落で、農民は自らつくった野菜を廃棄し、稲の青刈りを余儀なくされています。いっぽう、中国や東南アジアで安い労働力をつかい開発輸入をし、環境破壊をつづける大商社。国産農産物を求める圧倒的な世論を背景に、もっと自給率を高めることが日本の未来にとって大切です。
 今年1月から新省庁がスタートしました。国民のくらしといのち、健康と安全を守るためにも、国の役割はいよいよ重要です。これからの行政にもそのことが鋭く問われています。21世紀の幕開けである今年を出発点に、みずからの仕事を見つめ直し、行政民主化のたたかいを国民とともにすすめる大切さを痛感した取材でした。 


〇港にはたらく仲間はひとつ 通関手続システム導入で現場は混乱
 京浜港運労働組合執行委員長 塚本真起子さん


 横浜港には多くの営業倉庫があります。食品を船から港湾内の倉庫へ運び、検疫所の検査を受けたあと輸入通関し、その後スーパーなど販売店へ輸送する会社につとめる塚本真起子さん。約2万トンものたくさんの輸入食品が積み重なる倉庫内を案内してくれました。
 「私は検疫所への検査手続き業務をしていますが、検査を要しない食品が90%を超えているのは非常に問題だと思います。最近は冷蔵・冷凍コンテナが全体の15%を占め、年々輸入食品は増加しています」と塚本さんは話します。
 京浜港運労働組合の執行委員長をつとめる塚本さんは、港ではたらく仲間たちの労働条件をまもるため、日々奮闘しています。不況の影響と料金ダンピングなどの経営攻撃や、規制緩和政策による事業者間の競争が、今後激しくなることを危惧しているといいます。
 99年10月から新海上ナックスという通関手続システムが導入されましたが、税関通関部門の人員削減、民間のリストラ進行、入力業務増加にともなう長時間残業などさまざまな弊害がでています。いま、港にはたらく仲間の労働条件改善や国民の安全を求めて、全税関や港湾の仲間との懇談会や国に対する交渉などをおこなっています。

▽食健連の運動で公務と民間が連帯
 また、港の仲間たちは積極的に「食糧・農業と国民の健康をまもる神奈川会議(食農健神奈川会議)」を通じて、公務・民間・農民・消費者との学習会や宣伝行動など多彩な共同のとりくみをしています。
 12月9日、食農健神奈川会議の収穫祭には、農民、学校給食、生協、地公、国公の仲間とともに、港湾と全税関の仲間がともに悩みや収穫の喜びをだしあい、交流するなど、組織の枠をこえた連帯がひろがっています。


●新春インタビュー
 「郡上一揆」の心 神山征二郎さんの熱いメッセージ
  映画づくりそのものが一揆状態に 30年の監督生活で初めての体験、感動


 21世紀の幕開けを飾る新春インタビューは、映画監督の神山征二郎さんです。聞き手は、全厚生岐阜県支部委員長の澤村明さん。お二人は、神山監督のデビュー作『鯉のいる村』上映会以来の知己でもあります。

▼温めてきた思い
〇澤村 監督のデビュー作『鯉のいる村』以来、ずっと観てきましたし、『看護婦のおやじがんばる』などで上映運動をやらせていただきました。こんどの『郡上一揆』について、映画化のきっかけなり、動機なりをお聞かせください。
〇神山 私の先祖は、700年ほど前から美濃の農民のようです。その子孫として、米を作る農民の誇りと農民の本当の姿、実像を描き、現在の日本が抱えている苦悩に対置して、問題提起したいと30年来考えてきた企画です。

▼農民の団結したたたかい
〇澤村 いまの日本社会を意識しての企画とうけとめました。いまの社会は、マスメディアを中心に、暴力的映像や番組が多く、楽しければよいという風潮があり、一定の影響も与えていますが…。
〇神山 私は今井正、新藤兼人、山本薩夫さんなどの薫陶(くんとう)を受けていますから、メッセージのない映画は作れません。『郡上一揆』は、映画会社が見向きもしない企画でしたが、全国に先駆けて上映の始まった岐阜では、大ヒット中です。「自分だけでなくひとにも見せたい」という反応も広がっているそうです。
〇澤村 私も体験しました。後ろの席で「おじいちゃんが話していたとおりだね。ぜひ見せてあげたい」と。ところで、「一揆とは暴動や襲撃のイメージがあるが、本来“心をひとつにし、団結すること”を意味する」とありますが。
〇神山 江戸学の学者が「江戸時代には日本独特の民主主義があった」といっています。共に生きる知恵と力を持っていたのです。一揆に必要な資金1200両という大金(いまの2億円相当)を、自分たちで調達しています。つまり、たたかう力を自ら持っていたということです。

▼江戸時代の農民像
〇澤村 映画のなかで「困った人の役立つ人間になれ」と親が息子に諭す場面がありますね。そこから、農民は搾取・抑圧された「虫けらのような」存在でなく、自分たちが主人公だという気高い意識もうかがえました。
〇神山 士農工商という身分制度があっても、この時代の農民は「年貢を搾り取られ、ぼろを着て」というイメージではありません。
〇澤村 通信手段の発達していないあの時代に、広い地域の大衆を組織し、資金を調達したりと、知恵も力もある百姓集団といえますね。ところで、主食であり租税にあたる米を生産して社会・経済を支えた百姓が普段は米を食えず、直訴に旅立つ(それは死を意味する)者たちに白米を食べさせるシーンがありますね。貧しいながらも、心の豊かさを感じさせるシーンですが。
〇神山 百姓は、麦、あわ、ヒエなどを常食にしていましたが、単なる貧民ではなくて、“百姓道”といえるような人間の道をわきまえた存在だったのではないでしょうか。

▼全国各地から、物心両面の協力が
〇澤村 大群衆のシーン、周囲の環境など撮影する上での苦労は多かったと思いますが。
〇神山 苦労というより『郡上一揆』は、地元の人々はいうに及ばず、全国各地の人々が物心両面にわたって、すさまじいまでの協力をしてくれました。この映画づくりそのものが一揆といってさしつかえないような状態でした。不思議なほどの力の結集でした。30年間の監督生活でも、初めての体験で、感動しました。

▼国民との真の共同が大切に
〇澤村 いま、私たち国公労連は「国民とともに、国民のなかへ」をスローガンにして、国民春闘を取り組んでいますので、ひとことお願いします。
〇神山 21世紀は、人類の共存共栄が大きなテーマだと思います。国公労働者のみなさんも、民間労働者や農民などと同じ土俵に立つことを意識的に追求しないと、バラバラにされてしまいかねません。本当の意味で共同することが私は大事だと思います。
〇澤村 『郡上一揆』が多くの人々に観賞されることと、いま監督がロケ中の文芸大作『大河の一滴』がヒットすることを期待して終わらせていただきます。ありがとうございました。

 こうやま・せいじろう 1941年岐阜市生まれ。日大芸術学部映画科を4年で病気中退。新藤兼人、吉村公三郎、今井正監督の助手を経て、71年に監督デビュー。『看護婦のおやじがんばる』『ふるさと』『ハチ公物語』『遠き落日』『月光の夏』『さくら』『ひめゆりの塔』などを世に問い、国内外での受賞等も多数。

郡上一揆とは
 江戸時代の宝暦4(1754)年、岐阜県郡上郡一帯で、幕府の出世コースに乗ったばかりの藩主により、検見取り(巧妙な増税策)が強行され、ついに農民たちが立ち上がった5年にわたる大闘争で、江戸時代最大の一揆ともいわれている。


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