国公労連第44回臨時大会における藤田忠弘国公労連委員長のあいさつ

 大会ご参加の皆さん、日頃のご奮闘大変ご苦労さまです。この機会にあらためて敬意を表します。また、ご多忙のなかをおいでくださった来賓の皆さま方、誠にありがとうございます。厚く御礼申し上げます。

 さて、皆さんご承知のとおり、春闘は今年で44年目をかぞえます。そして、そのいずれの年における春闘も、わが国の歴史の上で重要な意味をもつ春闘でありました。しかし、そのなかにあっても、99年春闘はひときわ重要な意味をもつ春闘になるのではないかと思います。それは、この春闘の帰すうが、この国のあり方に大きな影響をもたらすと考えるからです。

 21世紀を目前にひかえて、いまわれわれは、新しい世紀にむけてこの国をどのように造りかえるのか、という問題に直面していると思います。その意味は、いまのように、大企業やアメリカの主張や利益を第一義とするような国のあり方を容認し続けるのか、それとも、世界に誇るべき憲法にもとづいて、それが国民生活のすみずみにまで生かされるような政治・経済を実現するのかという、この二つの道のいずれをとるのかの選択がせまられているのだと思います。

 事実、99年春闘でわれわれがとりくむ課題の多くは、そのような意味をもつものとなっています。とくに、大幅賃上げ・雇用確保・労働法制改悪阻止の課題は、「ルールなき資本主義」といわれる異常な実態から脱却し、まともなルールの存在する社会を実現するうえで重要なたたかいとなっています。また、国民本位の行財政確立・消費税引き下げ・年金制度改悪阻止の課題は、憲法に定められた国民の基本的権利に対する国の責任遂行をせまる重要なたたかいとなっています。さらに、新ガイドライン関連法案阻止・「憲法調査委員会」設置阻止の課題は、憲法を守るうえできわめて直接的なたたかいとして提起されています。加えて、この時期におこなわれる東京都知事選をはじめとするいっせい地方選挙は、その結果が国政の流れを左右する関係にあることから、きわめて重大な政治戦となります。

 以上申し上げたとおり、99年春闘は従来にも増して国民春闘としての必然性を強めているし、歴史的ともいうべき重要性をもっていると思います。それだけに、おおいなる奮闘が求められています。

 つぎに、われわれ国公労働者にとって最大の課題である行革闘争について述べたいと思います。

 端的に申し上げて、行革闘争はまさに「正念場」をむかえています。「正念場」とは歌舞伎に由来する言葉ですが、要するにもっとも重要な場面をむかえているわけです。その意味では、国公労連にとって99年春闘は「行革春闘」になるといっても過言ではないと思います。

 「正念場」をたたかううえで、いま一番大切なことは、情勢のもつ二つの側面を過不足なく認識することだと思います。なぜかといえば、いま仲間のなかには、ともすれば情勢を一面化してみる傾向が散見されるからです。その代表的なものの一つは、1月26日の行革推進本部の「行革大綱」決定によって“ほぼ大勢は決した”と思い込み、たたかいに確信をもてない傾向です。もう一つは、その逆で「行革大綱」にふれられなかったことにより“攻撃をまぬがれた”と思い込む傾向です。いずれも早急に克服しなければならないと思います。

 二つの側面の一つは、いうまでもなく大変なきびしさの側面です。「行革大綱」が大変攻撃的な内容をもり込んで決定されたという事実は、いささかも甘くみてはならない事態であるし、加えて、この「行政改革」の断行によって政権維持の血路をひらこうとする小渕内閣が、17本といわれる法案の成立に死力をつくしてくるであろうことも明らかです。このことは直視しなければなりません。

 同時に、この2年余のわれわれのたたかいが切りひらいてきた側面、つまり展望につながる側面についても見落としてはならないと思います。当初「孤立無援」ともいうべき状況からスタートしたわれわれのたたかいでしたが、こんにちでは、もちろんきわめて不十分な段階ではありますが、世論の変化も実感できるようになってきています。さらに重要なことは、あの「橋本六大改革」の現状です。6つの内の4つまでが、挫折が明白になったり、矛盾の深まりが露呈しています。この現状をみれば、「六大改革」の要(かなめ)の位置を占めている「行政改革」だけが首尾よく貫徹しうる保障はないといわなければなりません。つまり、挫折の可能性さえはらんでいるわけです。

 しかし、だからといって自滅するわけではありません。われわれがたたかって追い討ちをかけなければ、「行政改革」を挫折の淵に沈めることはできないと思います。そのような意味で、たたかいは「正念場」をむかえているし、これからのたたかい如何こそが行革闘争の帰すうを決するわけです。

 それではどうたたかうのか、ということが問題になります。国公労連は、この時期あらためて三つの撃重視したいと考えています。一つは、この点が基本にすわるものですが、国民世論に対する働きかけです。二つは、政府・各省庁当局や行革推進本部など、「行政改革」の具体的な推進勢力とのたたかいです。もう一つが国会闘争です。

 国民世論に対する働きかけに関していえば、国公産別の統一したとりくみとして確認している「両輪の署名」を、各単組・県国公が一致協力して、何としても成功させることについて、本大会でのしっかりした意思統一をお願いしたいと思います。この2年余の経験は、このとりくみこそが、いま政府・財界のすすめている「行政改革」の反国民的本質を国民の皆さんの前に暴露し、国民にとって真に必要な行財政改革とは何か、を明らかにするもっとも有効な手段であることを教えています。その点での意思統一をかさねてお願いする次第です。

 国会闘争に関していえば、昨年の請願署名への賛同をいただいた到達点(衆院4会派、参院8会派、あわせて89議員)を土台に、その拡大をはかることが大切だと考えます。あわせて、法案審議に対して具体的に対応しなければならないと考えます。そのためには、日本共産党国会議員団には特別のご尽力をいただかねばなりません。

 以上のことについて、議論を深めていただき、「行革春闘」にふさわしい意思統一をはかっていただくようお願いする次第です。

 最後になりますが、さる1月12日の日経連「労問研報告」にかかわって一言申し上げます。

 すでにご承知のとおり、今回の「労問研報告」の中心が、「ベアゼロ」から「賃下げ」さえも提唱している点にあることはいうまでもありません。

 その一方で、「徳」について語っている点もまた注目すべきだと思います。タイトルが「ダイナミックで徳のある国を」となっているわけですが、ちなみに「広辞苑」によれば、「徳」とは「人道を悟って行為にあらわすこと」とありますから、これこそ徳なき者が徳を語るの類だといわざるを得ません。

 そのうえで申し上げたいことは、この「労問研報告」のなかで、経営者に対して“市場万能主義を排し、市場・道義・秩序を三位一体化させる努力”をよびかけている点は重要ではないか、ということです。ここには、財界・大企業の混迷ぶりが示されているのではないでしょうか。いうまでもなく、資本の本質は不変ですから、こうした言葉によって彼らの本質的な変化を期待することはできないと思います。しかし、矛盾の露呈であることは、確かだろうと思います。いいかえれば、それは、労働者・国民の怒りの反映でもあります。そのような意味で、いまの社会状況は重要な転換点にさしかかっていると思います。

 冒頭でも申し上げたように、いまわれわれは、21世紀に向けてこの国をどう造りかえるか、というスケールで運動すべき時をむかえていると思います。国民にとって真に必要な行財政の確立をめざすわれわれの行革闘争も、実はこの流れのなかにあるわけです。

 何も、財界に「徳」を語らせておくことはありません。われわれがめざす「徳のある国」とは、私なりに表現させてもらうならば「しっとりと落ちついた、奥深い人間社会」ではなかろうかと思います。

 今春闘が、そのような目標に向かって前進する新たな一歩になるように、そのような意思統一のできる大会となるように、皆さんのご尽力をお願いしてごあいさつと致します。

1999年2月3日 国公労連第44回臨時大会