バブルを煽った銀行にな 
ぜ国民の税金を使うのか、
経営責任の徹底追及を  

−「金融システム安定化緊急対策」
の撤回を求める(談話)-

 一 政府・与党は、金融機関の破綻が相次ぎ、信用不安が起きているとの口実で、「金融システム安定化緊急対策」を決定し、多額の税金を銀行救済のためにつぎ込む法案を時期通常国会に提出しようとしている。しかも、通常国会の開会を1月12日に早め、その冒頭で強行採決することをもくろんでいる。6850億円にのぼる「住専」への破綻処理の際、国民の厳しい批判の前に、「金融機関の破綻処理は、金融システム内の負担で対応」とする国会答弁(96年5月・金融問題特別委員会)を行っているにもかかわらず、これについては何らの説明も行わないままに、その額をはるかに上回る税金を銀行救済のために使用することは断じて認められるものではない。撤回に向けた徹底審議と、金融機関の経営責任の追及こそが今求められるものである。

 二 政府・与党が国民に真相を知らせないままに、強引に決めようとしている「銀行救済のための税金投入の仕組み」は、次のようなものである。(1)銀行でつくる預金保険機構に「10兆円国債」を交付する、(2)日銀からの同機構への融資に10兆円までの政府保障をつける、(3)それでも足りない場合は、同機構が政府保障債を発行する、としており、いずれも最後は国民の税金をあてにした「銀行救済策」にほかならない。しかも、与党3党は、12月24日に、金融機関の「貸し渋り」対策と称して、経営が健全な銀行に対しても、これらの内から総額13兆円の公的資金を投入することに合意している。これほどまでに露骨な企業優遇は、他に例を見ない前代未聞の暴挙と言わざるをえない。
 政府は、本日決定した98年度予算案及び20日に決定した補正予算の予算総則で、最大20兆円まで投入できる仕組みを盛り込んでおり、事態は急速に動いている。

 三 バブル経済の崩壊によって、それまで土地や株などに対する投機目的のために湯水のごとく資金を投入していた金融機関は、多額の不良債権を抱え込むことになった。バブル経済の時期、金融機関の乱脈経営による地価高騰などで、大きな打撃を受けていた国民は、その後、金融機関の救済策ともいえる超低金利政策によって、多額の利子所得を金融機関に不当に吸い上げられてきた。その額は、経済企画庁の推計でも、この5年間で15兆7千億円にものぼっている。しかも、不良債権の償却のためとして、銀行等の税金を減免する仕組みまで導入している。
 しかし、そのような手厚い保護を受けているにもかかわらず、97年3月時点での公表不良債権が銀行全体で25兆円を超える状況となっている。しかも、山一証券の「飛ばし」の簿外帳簿処理に見られるように、また、第一勧業銀行の総会屋への巨額な不正融資とその焦げ付きなどにも見られるように、不良債権の内容はおろかその総額さえ明らかになっていない。

 四 銀行が「預金者保護」を行うのは当然のことであり、そのためにも徹底した情報の公開と、破綻した際の経営責任の明確化が求められている。また、金融機関を監督する大蔵省が、透明なルールづくりを行わなければならないことも当然のことである。このような責任の履行や、情報の公開を進めることもなく、公的資金によって健全な銀行にまで支援の手をさしのべることは、橋本「内閣」が国民に迫っている「自己責任」発揮、「自律」とも反するものである。何よりも、巨額な不良債権の発生や、国際的な日本の銀行に対する信用低下などには、国民に責任のかけらもないことは自明の理である。道理もなければ責任もないものに、なぜ国民が負担を負わなければならないのか、全く説明もないままに、青天井の負担のみ押しつけられることは到底我慢の出来ないものである。

 五 政府は、社会保障の切り下げや消費税率の引き上げ、さらには「財政構造改革」の強行で、国民への負担の押しつけと犠牲の転嫁を行ってきている。また、阪神淡路大震災の被災者に対する公的補償の要求には全く応えず、自律のみを迫っている。
 その一方での銀行の支援・救済に惜しげもなく税金をつぎ込むことが、なぜ当然のこととして検討されるのか、到底納得できるものではない。
 橋本「内閣」が、国民には冷淡で、企業には暖かい政治を続けていることを承知していたとしても、なお「金融システム安定化緊急対策」は理解し納得することが出来るものではない。
 国公労連は、国民的な立場からも、行政内部に働く労働者の組織としても、「金融システム安定化緊急対策」の撤回を強く要求し、その立場でのたたかいを早急に構築する決意である。

   1997年12月25日

日本国家公務員労働組合連合会
書記長  西 田 祥 文




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