省庁再編のねらいと民主的行政改革の課題を考える「民主的行政改革の提言」シンポジウムの記録

(国公労連主催で、1997年7月18日、東京・星陵会館にて開催したシンポジウムの記録です)
主催者あいさつ  国公労連中央執行委員長・藤田忠弘パネルディスカッション行政改革会議に見る省庁再編のねらい  静岡大学助教授・恒川隆生イギリスにおける民営化の現段階と日本型エージェンシーの問題点   名古屋経済大学教授・榊原秀訓地方分権と中央省庁再編   専修大学教授・白藤博行補足発言【国家機能のあり方にかかわって】【民営化について】会場発言まとめ閉会あいさつ

主催者あいさつ

国公労連中央執行委員長・藤田忠弘
 「橋本行革」の動きが高まり、およそ1年が経過します。ざっと振り返ってみますと、当初の段階は省庁の再編、削減とか、公務員減らしに重点を置いた宣伝がマスコミを通じて行われてきたこともあり、「橋本行革」といわれるものの全容がつかみにくかったと思います。しかし、昨年秋の総選挙の後、橋本首相自らが最初5つ、後に教育を含めて6つの改革ということを明らかにし始めてから、いわゆる「橋本行革」といわれるものの全容、本質がかなり鮮明になってきたと思います。
 その状況に対応したたたかいの戦線が確立・拡大をするんだろうかという多少の危惧がありましたが、たとえば全労連のレベルでみますと、去年暮れに「行革対策本部」がスタートし、ことしの2月にはさらにそれが拡充されるということで、不十分ではありますが、ナショナルセンターが行政改革問題に真正面から取り組む体制が前進をしつつあるという状況も迎えています。
 一方で、「橋本行革」は急ピッチで動いています。その1つが、先般、財政構造改革会議が最終報告を出し、これに基づく「財政再建法案」が、9月下旬に開催が予定されている臨時国会に提出されるという状況が出てきております。この「財政再建法案」は、「橋本行革」全体を財政面から先導していくという位置関係にあります。その点では、まずはこの臨時国会段階の「財政再建法案」とのたたかいを最大限重視をして、この成立を許さないたたかいが求められています。
 もう一つは、きょうのシンポジウムの主要課題である省庁再編です。省庁再編問題は国民的な課題だということは間違いないんですが、そうはいっても、直接かかわりを持つわれわれ国家行政機構に働く組合が主体的に対応しなかったら、ほかの皆さんがやってくれる問題でありません。何よりもいま職場の仲間の皆さんが強い関心を持っています。「おれの省庁はどうなるんだ?」「おれの仕事や身分はどうなるんだ?」という意味合いでも、関心が寄せられている訳ですから、国公労連としての主体的に対応が必要な課題です。先般のヨーロッパへの調査団の派遣も、ごく最近の「行革会議」に対する省庁問題に対する国公労連の見解の申し入れも、そういう意味では主体的な対応、取り組みの一環です。そして、本日のシンポジウムです。このような取り組みをバネに、仲間の皆さんが勇気と確信を持ってこの問題に対応していけるよう、積み上げていきたいと思います。
 今日は、ご多忙の中をパネラーの先生方にお越しいただいております。時間の許す限りお話を伺って、私どもの明日からのたたかいの糧にしいと思います。会議の成功のためにご尽力いただきますことをお願いを申し上げて、主催者としてのあいさつといたします。

パネルディスカッション

司会(国公労連行革闘争本部事務局長・小田川義和)
 省庁ヒアリングを終えました「行政改革会議」は8月18日から21日の間、集中論議をするとして、詰めた議論を開始しています。7月16日の会議で出しているエージェンシーに関わる主要論点の討議資料も出ていますが、毎回の会議で相当突っ込んだ資料も出され始め、急テンポで動いているという状況だと思います。論議の全体は、政策部門と実施部門の分離を前提に、エージェンシーは既定の方向とし、そのための制度検討や政策部門の再編基準等々の議論を進めています。また、7月8日には地方分権推進委員会が第二次勧告を行い、その中では、国の地方出先機関の見直しにも触れています。財政構造改革では、国立病院や国立大学、国立試験研究機関等の民営化や統廃合があがっていいます。このように、省庁再編、機構改革の問題はかつてない構えとテンポで進められようとしており、全体像をとらえた問題点整理と、その狙いの究明が必要になっていると考えます。
 そのことから、三人の研究者の方々に、今日のご発言をお願いするということになりました。行政改革会議等での議論を中心の素材にしていただきながら、省庁再編論議の特徴点、問題点をお話いただいた上で、「橋本行革」の狙いと、これと対置してたたかう国民的な立場からの民主的行財政改革の論点に迫ってみたいと考えています。

行政改革会議に見る省庁再編のねらい

静岡大学助教授・恒川隆生
 ご紹介いただきました恒川です。今日の最初のテーマとして、中央省庁再編の問題に絞りご報告申し上げます。
 中央省庁の再編というのは、マスコミを通じても非常に耳障りのいいというか、耳目をそば立てる「改革」というものを典型的に表現する一つのキーワードのように使われていります。新聞・テレビ・雑誌等を通じて中央省庁の再編(半減と申し上げてもいいですけれども)に対して、疑問とか、批判を提起する論調はほとんどみられないということで、政治主導の「改革」として、一つの到達点であるかのような取り扱われ方がされているように思います。
 省庁再編というのは、現実にまじめに取り上げられるようになったのはそう古いことでもありませんし、また、当初はアドバルーン的なものであったと考えられます。
 簡単に振り返ってみますと、この問題が第三次行革審の最終答申で出されたことは、記憶に新しいだろうと思います。1993年10月末に出された最後の行革審の最終答申です。この中でイメージ的に語るというレベルにとどまってではありますが、中央省庁再編の必要性というものが謳われておりました。
 その理由としては、現在にまで続いている規制緩和、いろんな業務を官から民へ移す、あるいは国から地方へ移すこととのからみで、省庁を根本的に見直して風通しのいいものにするべきであるということが言われていました。しかし、第三次行革審では時間もなく、非常に大ざっぱに出されたものですから、答申の中身もきわめて雑駁で、そのときは5つが6つの大くくりの省庁が例として挙げられていたにとどまります。行革審答申の中でも、いわゆる官僚組織の持っている硬直性、あるいは風通しの悪さというものを改善するという観点から、省庁再編と同時に、個別の省庁間の調整も出ていたわけでして、いまから思えば、非常にかわいらしい答申であったわけです。
 当時、これが出されたときに、国公労連と行財政総合研究所のほうで共同研究会をやっておりました。いまでも記憶がありますけれども、この答申を批判的にどう考えるべきかといったときに、大くくりなんてことはほとんど実現の可能性はないだろうということで、よくいえば楽観していたといいますか、無視していた趣もわれわれにはあったわけです。ところが昨年の総選挙後、橋本内閣が組閣されて、橋本首相が非常に明確に、「自分は国家機能というものを4つぐらいにまとめて考えて、その下で省庁を半減する方向で再編を考えたい」ということを言い出しました。その後、第140国会での施政方針演説では、明確に「6つの改革の中の一つの行政改革の中心をなすのが省庁再編、半減である」といいまして、風雲急を告げるようにものすごいスピードで事態が進展してきたということです。
 その議論の進め方の特徴ですが、15〜16年前の第二臨調以降、国会でつくった設置法に基づいて臨時行政調査会、あるいは行政改革審議会というものを設置してそこで議論してきたものを、今回は総理府の中に首相直属の諮問機関を置いて、つまり法律に直接根拠を置くわけではなくて、総理府令に基づいた一つの会議体で、学者を入れて、その下で省庁再編というものを主要なテーマとして進めていくというやり方でやっているわけです。政、あるいは官のさまざまな妨害、抵抗もあるわけですが、いま現在の進め方をみますと、憲法学者、行政法学者などの委員にたたき台、素案をつくらせて、それをもとにものすごく強引に進めてきています。3年半前の「大くくりはない」と言っていた時代から考えると、信じられないような議論が進められてきていることになろうかと思います。
 その内容ですが、前述のとおり、首相は、「国家の機能を極端に整理し4つの機能にすべき」だという持論を述べています。1つは、国家の存続に関わるような外交、防衛、財政、治安というものです。2つ目は、国の富を豊かにするための作業で、それが経済、産業、国土保全、開発、科学技術というものです。3番目に国民の暮らしを守るということを挙げて、そこで社会福祉であるとか、雇用、環境保全ということを挙げます。最後の4番目の機能として、これはいかにも自民党らしいんですが、教育、国民文化の伝承ということも国の仕事だといっています。
 国家の機能を4つに限定すれば、中央省庁は今ほどの数は要らないという事でしょうが、注意すべきは、国家の機能というのが超歴史的に、あるいは普遍的にこういうもので十分であると定まった考え方はないことです。歴史をたどってきてみますと、国家が担わざるを得ない、あるいは国民の側から担うべきだと要求されるようになった仕事は拡大の一途をたどってきて、それが歴史的な必然性でもあると考えられてきました。ところが、他方で財政支出がそれに合わせて過大になってくるために、70年代の終りから80年代にかけてイギリスのサッチャーであるとか、アメリカのレーガン等が、国の仕事をそぎ落とすことによって財政赤字を減らすということで、国家の任務の見直しが始まったわけです。日本は97年の現在においても、依然としてこの流れに倣っており、国家の機能を極めてスリムなものにすべきだという議論をしています。したがって、省庁再編の前提として、国家機能がなぜこれだけでいいのか、本当に国民の各階層がそれでいいと思っているのかということは当然検討しないといけないわけですが、残念ながらそういう作業はほとんど行われていないと思います。
 省庁再編に目立った反対がほとんどないということの原因は幾つか考えられるだろうと思います。1つは、政治主導ということについて国内のいろんな階層から、素朴に信頼があるということがあるだろうと思います。この間、中央省庁の高級官僚が、さまざまな汚職事件等に際して逮捕されたり、更迭されたりということが続いてまいりました。国民も、これに対して当然批判的な目を持っています。一時与党を下りた自民党が現在復調して政権に着いているわけですが、彼らもこれまでは高級官僚、あるいは産業界とのさまざまな癒着の中で自分たちの権益を伸ばしてきたということがあるにせよ、さすがに彼らもああいう官僚と同じ泥船に乗って沈むのは困るということもあると思います。官僚の汚点というものを巧みに政治的に利用して、中央省庁を再編しなければならない、霞ヶ関のセクショナリズムは見直さざるを得ないということを、族議員の代表格でもあった橋本首相ですら言うようになっています。当然、これに対しては支持が集まっていると思います。
 2つ目には、進め方のテンポの問題です。橋本首相が言うところでは、去年11月下旬に発足した行政改革会議によって、1年以内で一つの答申を出させることになっています。それをもとに法案をつくって、平成10年度中に国会に提出し、5年ぐらいをメドにして具体的に実施するということを声高に言っています。2001年、「21世紀になったら省庁が生まれ変わる事が理想である」ということを橋本首相は何度も言っているわけです。それまで橋本首相がずっと首相でいるかどうかはもちろんわかりませんが、そういう遠大なことを言うことも、支持を集める材料になっているのかもしれないと思います。
 省庁再編の内容ですが、首相は、「自分は選挙のときに「橋本行革」のプランを出したけれども、単なる行政機構の再分類にはとどめないんだ」ということを言っています。この点は、一般の人が素朴に考える「むだが多いわけだから数を減らしても十分いけるんじゃないか」というようなことと決定的に違うところだと思います。つまり単なる数の問題ではなく、先ほどの「国家の4つの機能」論のように、国家が一体何のために存在するかということを、「国民のために」ということは口では言っていますが、そうではないということを半分ぐらい正直に出しているのではないかと思います。たとえば、第1の機能として挙げられておりました治安とか、防衛、財政、外交という面では、日本がこれまで冷戦構造の中で果たしていればよかった役割からテイクオフしようという姿勢が明らかになっております。国連の安全保障理事会のメンバーになる、ならないという議論がずいぶん前から出ていますが、もし日本がそのポストを占めることになりますと、ある国際的な事件が起きたときに最高首脳として出さなければいけない国家としての決断というものは、非常に迅速、かつ大胆に行うことを要請されます。「大国アメリカ」の顔色を伺って、それに追随していればすむ問題もまだあるでしょうが、国内に対しては「自信を持って首相は日本国としてこう決断した」という場面が求められ「これは国際的にもそうなんだ」という言い方がされるわけです。湾岸戦争のときに、海部元首相がブッシュ大統領との電話の中で、「一体日本はイラク包囲網としてどんなことをやるのか。人を、自衛隊を派遣するのか」と聞かれて非常に迷ったということが、まことしやかに言われているわけでして、アメリカの笑い話ですけれども、ブッシュが電話で力を込めて、「海部、おまえは一体自衛隊を派遣するのか、イエス・オア・ノー?」と聞いたときに、海部は「オア」と答えたというジョークがあるようです。(行政改革会議では)それではいけないという話になってきています。
 橋本首相の個人的なパーソナリティーの問題もあるんでしょうが、彼はそういうことには敏感な人だと思います。いままでの海部以降の細川、羽田、村山内閣では、いろんな事件がありました。阪神大震災、サリンもありました。そのときに国としての初動体制が非常に遅れたということで、前、あるいは元首相たちはさんざんたたかれて、あんなことで首相としての地位とか、評判を落としたくないことは、別に何の証拠もありませんけれども、橋本首相は非常に強いのではなでしょうか。つい最近、カンボジアにいる日本人を救出するという名目でC130という輸送機をタイに派遣しましたけれども、あれもトップタウンで防衛庁の幹部に首相自身がすばやく思いつきのように指示をして、法的な根拠はないんだけれども派遣し、やることがなくて撤収したということがあります。あれは彼自身の失敗ではなくて、やってみることに十分意義があった、おそらく国民世論、マスコミ等の反応も見ていると思いますけれども、そういうことを非常に強く考えていると思います。そのことからも、国家機能では、対国際社会においても、また国内的においても、内閣総理大臣の機能強化ということが非常に強く意識されているだろうと思います。
 2番目の国の富の問題です。経済、産業、国土保全等ですが、これはずいぶん前から経団連等が強く主張しているように、日本の産業構造というものがどんどんサービス化し、高度化してきていて、従来の枠組みではもう対応仕切れない、金融等においても国際化の波が出ていて組み替えざるを得ない、これに対する経済界のあせりと、後追い的、対症療法的にしか対応できない官僚機構というものをにらんだ上での主張になっていると思います。この「国の富を云々」という部分が、3番目の機能として挙げられている「国民の暮らしを守るための中央省庁再編」という議論と併せ、根本的な批判的検討を要する部分であろうと思います。
 行政改革会議も昨年末から現在に至るまで、通算21回ぐらい会議を開いています。省庁のヒアリングもしており、その中でいろんなことを省庁に問いただしています。規制緩和ができないかということ、もっと機敏に同時代のいろんな傾向に対応できる仕組みがとれないかということです。この中で、企画政策部門と実施部門とを分けたらどうかという議論が浮上してきました。その中で各省庁の抵抗はもちろん強いものがあります。省庁はさまざまな不備も抱えているけれども省の設置根拠というものがあって、それはひいては国民各階層の権利利益を守るためにやっていると、中央省庁も言っているわけですが、非常に残念なことに説得力がありません。普段そういうふうにしてないものですから、行政改革会議に呼び出されて言っても足元を見透かされている部分があります。これを、口だけで言ってる人たちと違う立場から、公務の重要性をアピールしていくことが必要になってきていると思います。
 行政改革会議の議論というのも非常に粗いわけです。そもそも設置の目的が、首相が発想したように省庁の数を減らすということですので、ともかく行政改革会議の委員の質問、意見等はそこに偏っています。ですから、「少しでも一緒にできる組織があれば一緒にしたらどうか」というようなことを問い質しています。たとえば、治安部門で警察、海上保安庁、厚生省の麻薬取締、それから法務省の公安調査庁というものを一緒にした組織にしたらどうだという議論をしたり、あるいは労働省と厚生省を一緒にしたらどうだというような議論をするわけです。けれども、これはなかなか「うん」という返事はだれもいたしません。したがって、二つの小委員会がいまつくられておりまして、8月に集中的に行政改革会議が議論を詰めてどんどん具体的な案を出してくると思いますけれども、ヒアリングの内容、省庁の回答を無視した一方的な案を出して来るだろうと思います。それに対して、議論のあいまいさ、あるいは無理を通している部分に批判を加えていくということが、今後の私たちの検討課題になり、そこが一つの主戦場になってくるだろうと思います。中央省庁再編ということ自体が、実はきちんとした議論の裏付けがあるわけではなく出発しており、結局どこを問題にするかというと、その中身の問題にならざるを得ないわけです。
 違う世論としては、省庁の半減ということをきっかけに、合理的な意味でこれを利用したらいいんじゃないかという議論もあるかのようにも見えます。たとえば環境庁なんかは、これだけ環境問題が国際的にも、国内的にも大きくなってきているわけですから、その中で省への格上げを考えたらいいんじゃないかというものです。その場合、省庁でいま環境部門を何らかの形で担当している農水、通産、運輸などを一つに集中して環境省にしたらどうかという議論をする余地があるんじゃないかと考える人もいるかもしれません。しかし、さしあたっては現在の中央省庁再編論そのものが非常にきな臭い、いい加減なものであるということは押さえなければいけないと思います。そのことから言えば、国民の要求する省庁再編というものを追及してもいいんじゃないかという主張には、私個人としては、やや距離を置いた考え方をしています。他方では、たとえば総理府外局としての防衛庁じゃなくて防衛省にしたらどうだという議論も出てきています。対外的に日本型の防衛を担当する大きな省ができるということになると、アジア、近隣諸国からとのいろんな軋轢もあるかもしれないので、それについては慎重にしたいということを橋本首相も行政改革会議の中で言ったようですが、国民的立場から「利用」できるかもしれない部分と、逆に非常に危ない部分があると思います。
 また、かりに部分的にではあれ、中央省庁再編というものが実現されそうだといったときに、その中身について想像力を働かせて考えなければいけない部分があろうかと思います。要するに、スローガンとしてはわかりやすいんですけれども、1府12省というものを半減して5ないし6にしたときにも、この省庁は非常に大くくりですから、いわゆる巨大省になります。そして省は減らすけれども、局を同じように減らすのかどうかということになると、それはそう簡単ではないだろうと思います。
 大くくりは、事務のまとまりなどを単位にしてやればいいということを、事務局案(3月)が「新たな中央省庁のあり方について」、あるいは「新たな中央省庁の編成の考え方」の「編成の軸の考え方」として書いています。「基本的には主要な行政目的や任務を軸としつつ、事務の内容、性質の共通性、類似性も勘案した編成とするべきではないか」といっていますが、これは具体的に何をいっているのかほとんど理解できない、具体化しにくい考え方です。現在の12省庁を見ても、それぞれの設置法の目的規定はものすごく抽象的です。さらにそれらを2〜3寄せ集めて、省の設置目的を法律に書くというときに一体どう書くんだろうかと思いますと、書きようはないと想像されます。その中に局を置く、課を置くということになりますが、もちろん幾つか減らしていくでしょうけれども、一体どういう基準で局とか課を編成していくのかということは、法案で国会に出しても実質的な議論の対象にはできないだろうと思います。
 行政改革会議は、「今回、省庁を再編するにしても、組織の見直しというのは今後も流動的にやるべきだ」といっていますから、今回で最後ではありません。「今後、断続的に組織を見直していく」と言います。日本の国家行政組織法は、昭和58年に大きな改正がありました。原則として国の行政機関の組織については法定主義ということがあるわけですが、現在のような国会の状況ですと、こういう法定主義というのが非常に形骸化し、どんどん省というものが、政治家、あるいは一部官僚とか、経済界の都合を反映するだけでも変えていけるということになっていきます。そうすると、国民の生活を守る云々ということは言われますが、その保障は大幅に弱められていき、きわめて便宜主義的な組織にどんどん変わっていってしまうだろうと思います。
 これはエージェンシーの問題でもそうで、いったんそういった部門をくくり出して行政組織の外に出してしまえば、それを再び公務ととらえ直してもう一度国の仕事にするという未来はおそらく訪れてこないだろうと思います。現在の行政組織と、その組織が担う公務をどうやって守り、発展させていくかということの正念場になってきていると思います。
 結論的にいえば、現在の省庁再編問題というのは、橋本首相の政治的な主導で行われ始め、1年という時間を区切って内容が形成されるということで国民の考え方を反映するものにもなっていない、その内容も高級官僚の不祥事をテコにしつつ、国の行政組織が担っている重要な価値ある任務をどんどんかなぐり捨てていってしまうというものになっていく可能性が強いと思います。これに対しては、省庁ごとに、あるいは各出先機関も含めて、一つひとつがどんな対応をしているのか、国民との出会いがある場でいろんな情報を交流し、国民のどんな権利・利益に資するような業務をいま現在担当しているのか、それが簡単に手放すことができないものなのかということを積み上げて、行政改革会議の議論に対抗していくことしかないだろうと考えています。
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