国公労連第45回定期大会委員長あいさつ
中央執行委員長  藤 田 忠 弘
 大会ご参加の皆さん、大変ご苦労さまです。この機会に、日頃の皆さんがたのひとかたならぬご奮闘にあらためて敬意を表する次第です。また、何かとご多忙のなかをおいで下さったご来賓の皆様がたに、日頃のご指導・ご鞭撻に対する感謝とあわせ、心からのお礼を申し上げます。
 さて、大会の開会にあたり、私は、当面する運動課題にかかわって、若干の所見を申しのべ、ごあいさつとさせていただきます。

 まず第一は、行革闘争についてです。
 すでにご承知のとおり、さる7月8日に「行革関連法」の成立が強行されました。私は、この機会にあらためて、「行革関連法」の強行に怒りをこめて抗議の意を表明したいと思います。一つは、その内容が反動的であり反国民的であるからです。もう一つは、その成立のさせかたが、議会制民主主義をふみにじる暴挙というほかないからです。
 実際、今回の法案審議時間は、衆参両院あわせてもわずか146時間にしかすぎませんでした。それも、475本にものばる「地方分権一括法」と同一委員会での一括審議という乱暴きわまるあつかいでありました。今回の「行政改革」について、政府・財界自身が、ことあるごとに「21世紀のこの国のかたちを決するもの」と言明してきた経緯にてらしても、このような暴挙は断じて許されるものではないと思います。
 内容にかかわっては、昨年成立した「行革基本法」と今回の「行革関連法」をあわせ見ますと、政府・財界のすすめる「行政改革」の本質や姿が、改めて浮き彫りになってきます。ひとことでいえば、この国の行政の性格やしくみを、財界・大企業やアメリカの利益を第一義的に追求するものに作りかえる一方で、日本国憲法にうたわれている数々の国民の基本的人権の実現について、国家が負うべき責任を広範囲にわたって放棄するもの、というべきだと思います。このことは、残念ながら、国公労連がかねてから指摘してきた点にほかなりません。
 そうであるだけに、これら一連の法成立という事態は重大です。1府12省庁体制、独立行政法人化、国家公務員25%削減などを内容とする反動的で反国民的な「行政改革」というものが、いよいよ具体化の段階に入るわけです。その意味で、われわれの行革闘争は新たな段階をむかえるのだと考えます。
 新たな段階の行革闘争を考える場合、私は、国公労連がこの3年間の行革闘争のなかで堅持してきた立場──政府・財界の進める国民犠牲の「行政改革」を許さず、国民本位の民主的行財政・司法の確立──を再確認することが大変重要だと考えます。このことは、反動的で反国民的な「行政改革」に反対するということと、国民本位の民主的行財政・司法の確立を追求するということは、文字どおり表裏一体の関係にあるし、それは同時にとりくむべきことを強調しているわけです。
 このような立場をふまえれば、新たな段階の行革闘争においても、二つの柱が重要になってくるものと考えます。一つは、行政民主化闘争の決意も新たな強化発展であるし、もう一つは、雇用と身分・労働条件を守るたたかいの重視です。
 行政民主化闘争にかかわって考えれば、たとえば首相権限の強化というものが、議会制民主主義のいっそうの形骸化をもたらし、この国を「戦争にのりだす国」へと傾斜させていくことは目にみえています。また、国立病院の独立行政法人化というものが、「厚生労働省」の設置ともあいまって、国民の生命や健康、働く権利さえも市場原理至上主義の渕につきおとすものであることも明らかです。いずれも、憲法に対する真っ向からの挑戦といわねばなりません。
 だとすれば、憲法の尊重・擁護を義務とする者の組織である国公労連と各単位組合は、より具体的な努力を強めるべきだと考えます。日本国憲法が規定する国民の基本的人権の実現、この目標を具体的に追求することが新たな段階の行革闘争の土台だと確信します。
 雇用と身分・労働条件を守るたたかいについては、現瞬間もふくめて、今秋の臨時国会から来春の通常国会にかけての場面が主戦場になるものと考えています。このなかで、独立行政法人にかかわる個別法の制定、総定員法や国公法の改定、中央・地方の組織整理、定員削減計画策定などが具体的に動いていくわけですから、仲間の切実な要求を実現する立場から、ぬかりなく的確な対応をはからなければならないと考えます。
 国公労連としては、こうした新たな段階の行革闘争をたたかいぬくために、さらにもう一年間の臨戦態勢を継続したいと考えています。ぜひとも皆さんのご理解・ご賛同をいただきたいと思います。

 第二は、賃金闘争についてです。
 8月11日の人事院勧告は記憶に新しいところです。最大の特徴は、史上はじめて、年収べ−スで賃金水準が前年を下回ったという点にあります。その意味で、史上最悪の勧告といっても過言ではないと思います。
 なぜこのような勧告が出たのか、原因は明らです。99年春闘が史上最低の結果に終わったことが直接的に影響していることはいうまでもありません。加えて、労働基準法・職業安定法・労働者派遣法などの労働諸法制改悪にみられる働くル−ル破壊の進行、官民あげてのリストラ「合理化」の強行、史上最悪の失業率が示す雇用情勢の深刻化、などが複合的にからみあってその背景をなしているものと考えます。
 これらのことは、公務員の賃金をはじめとする労働条件は、政治・経済の動向や民間企業における職場実態に否応なく影響され規定されていく、という現実をあらためて浮き彫りにしました。その意味で、われわれは、今回の人事院勧告を機に、あらためて民間の仲間の賃金闘争と公務の賃金闘争を一体のものとしてたたかう立場を確認し、その実践につとめなければならないと考えます。
 同時に、政府や人事院に対するたたかいも一段と重要になっていることを確認しなければなりません。人事院に関していえば、このたびの人勧期闘争で、国公労連は、人事院の「民間準拠」固執の立場を強く批判してきました。その要点は、われわれも、公務員賃金に対する国民の理解と納得という点で、民間賃金との均衡を否定するものではない。その場合、民間賃金が適正なル−ルにのっとって決定されていることが前提でなければならない。しかし、民間の現実は“ル−ルなき資本主義”と評される実態にある。そのような状況下で人事院のなすべきことは、ル−ルなき民間実態を正常化する展望をもちながら、公務がその範を示す気概をもって、主体的に勧告にあたるべきだ、というものでありました。
 政府の場合も同様です。勧告当日の人事局長交渉のなかでも、国公労連は、民間において大企業の非人道的ともいうべき横暴がまかり通って、ル−ルそのものが破壊されている現在、政府こそがそれを正常化する役割と責任をはたすべきであるし、公務員賃金もそのような立場のもとで対処してもらいたい、などと主張したところです。
 以上のような国公労連の主張の立場からすると、政府や人事院の対応は無責任そのものといわざるをえません。人事院の場合は、今回の勧告によって、人事院勧告制度というものの本質──わが国の賃金抑制機能の重要な環──について、あらためてわれわれに認識させることになったと思います。しかも、その傾向は、今後もますます増幅していく危険をはらんでいるといわねばなりません。
 政府の場合も、少なくとも小渕政権や自自公体制がつづくかぎり、その反動的で反国民的な性格は不変ですから、政府の本来的役割と責任には背をむけつづけるものと思います。
 公務員の賃金闘争それ自体は、いうまでもなく労働条件の問題です。同時にそれは、政治的側面を強くもつ問題でもあります。近年そのことを実感する機会がたびかさなっていましたが、今年の賃金闘争では、あらためて強烈に提起されたと思います。今後は、これらに関する議論をおおいにすすめていきたいと考えております。

 最後に、情勢について申し上げます。
 この一年間、戦後史の上でも前例を見ないほどの反動的な法律制定・改悪が強行されました。「戦争法」「盗聴法」「日の丸・君が代法」「憲法調査会設置法」「地方分権一括法」「住民基本台帳法」「行革関連法」「労働諸法制」などが代表的なものです。
 これらのいずれもが、この国の基本性格や国民の基本的人権を左右する、きわめて重大な意味をもつものであったことはいうまでもありません。にもかかわらず、まともな審議も行われずに、「問答無用」のやり方で強行されたわけですから、それは議会制民主主義への真っ向からの挑戦であるし、ファッショ的暴挙として糾弾しなければなりません。
 この点で、私は、このような暴挙の背景・動機をどう見るか、ということが重要だと思います。たしかに、一面では、自民党が時に応じて自由党や公明党を取り込みながら、短時日のうちに悪法を強行していく姿は、彼らの強さのあらわれとして映るかもしれません。もちろん、その面を軽視することは正しくありません。しかし、問題の核心は、もはや自民党が単独では政権を維持し得ないという政治状況が生まれている点にあると考えます。しかも、そのような政治状況は突如として偶然に生まれたわけではなく、生まれるべくして生まれた点が重要だと思います。つまり、積年の自民党政治が自ら招いた歴史的退潮なのです。
 このような歴史の流れを、いわゆる「支配層」の側から見れば、現在の時期というのは、大局的に見て起死回生の諸方策を講じ得る最終的な機会として認識されても不思議ではないと考えます。言い換えれば、一連の暴挙は、「支配層」の歴史認識、危機意識のなかから生まれているといっても過言ではないと思います。
 戦後半世紀余を経て、しかも21世紀を目前にしたいま、わが国は、まさに「この国のかたち」をめぐる岐路に立っているし、ここで正しい選択をすることは、子孫に対する責任です。その意味で、われわれは歴史の節目の時期に生きているわけです。それだけに、憲法尊重・擁護の義務を負う国公労働者として、悔いのない運動を展開したいと願うものです。
 本大会がそうした運動の新たな出発点になるよう、皆さんがたのご尽力を念願してごあいさつといたします。

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