憲法のはなし

 今号から7回にわたって、疑問に答える形式で「連載・憲法のはなし」をスタートします。 憲法学習や、「憲法の語り部」組織運動、「改憲反対署名」推進のために、職場での活用をお願いします。

Q なぜ国公労連は「憲法」を重視するのですか?

 国公労連は、04年8月の定期大会で「あらゆる課題に優先」して改憲反対の運動を強めることを確認しています。なぜでしょう。

◇公務員も国民の一人として

 「憲法問題は政治課題」という意見があります。
 国公労連は、「この国のかたち」を示し、基本的人権を国民に保障する憲法の問題は、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」基本的人権の本質(憲法第97条)に則って、一人ひとりが国民として、意見の表明や選択をすべき課題だと考えています。
 公務員だからといって行動や意見表明が規制されてよい問題ではありません。中間のない改憲か憲法擁護かの二者択一の問題なのです。

◇要求実現のため改憲反対運動を
 「労働組合は組合員の要求実現だけを」という意見もあります。
 憲法は、あらゆる法律の基礎です。公共サービスの内容や範囲、労働者に保障されるべき労働条件の基準(憲法第27条)の具体化を国に求めています。
 国公労連は、「国民のための行財政司法の確立」と「組合員と家族の暮らしを守る」ことを運動の二つの柱にしています。いま戦争をする国に変え、国民に平等なサービスを提供することより競争条件の整備を国の役割とする改革が進められています。その動きは、狙われている憲法「改正」の内容と一致します。
 「国民のためのよい仕事をしたい」、「公務員バッシングはもうごめん」。仲間の切実な要求の実現を真剣にめざすことと、改憲反対の運動強化は一体、国公労連はそう考えています。

  Q 「9条」ってなに?

 ◇憲法の特徴は恒久平和主義
 日本国憲法の特徴が、恒久平和主義を宣言し、「戦争の放棄、軍備及び交戦権を否認」した「9条」にあることは、よく知られたところです。
 そして「9条」が、国連憲章の第1の目的(「紛争の平和的手段での解決」)を受け、二度と戦争はしないという日本国民の意思の反映であることも、またよく知られています。しかし、その「9条」は、「解釈改憲」で踏みつけにされ続けてきました。

 ◇改憲の狙いは戦争できる国
 2004年11月の「自民党・憲法改正草案大綱(たたき台)」は、「戦争の放棄」は継承しつつ、「武力の行使」や「集団的自衛権」を容認し、「緊急事態時」における国民の権利制限にまでふみこみました。05年1月には、日本経団連も、「第9条2項」の改定を求める「意見書」を公表しています。
 日本の社会(法制度)全体を「武力行使(戦争)」をすることを前提に組み替え、自衛隊を軍隊として明文で認知し、大手を振ってアメリカと共同した戦争ができるようにしたい、改憲を主張する側は、その目的を隠しません。

◇自衛隊を「人殺しの軍隊」へ
 いま、イラクでの死者報道が連日行われています。その発端は、「テロとの戦争」を主張するアメリカが、「自衛」のための攻撃をはじめたことにあります。
 そして、日本は、04年1月、「復興支援」を名目に、自衛隊をイラクに派遣し、6月以降、アメリカ主導の多国籍軍に参加しました。
 しかし、いまは「ファルージャ制圧」のような行動はできません。その制約をはずし、自衛隊を「人殺しの軍隊」にするために、「9条改正」が主張されているのです。 

  Q 基本的人権とは?

◇国民の自由と人権を守る
 基本的人権とは、「人間が生まれながらに有している権利」と広辞苑にはあります。赤ちゃんもお年寄りも、職業や出身地、性別にかかわりなく、等しく保障されなければならないものです。
 保障されるのは、すべての人間です。保障すべき役割を担うのが政府です。「人民の、人民による、人民のための政治」とされる民主主義と、基本的人権の具体化は同義です。
 「侵すことのできない永久の権利」(第11条)、「(基本的人権保持のための)国民の不断の努力」(第12条)、「個人の尊重」(第13条)の規定は、そのような基本的人権の本質を述べています。
 永久に保障される権利として、憲法は、第3章(国民の権利及び義務)で、具体的に示しています。それは、人間らしい生活に不可欠な自由と平等を確認する「自由権」、国に対して人権実現を求める「請求権」、そして政治参加とかかわる「参政権」の三つに大別されています。
 憲法は、「愛国心」という思想・信条を法で強制する「自由権」への介入を予定していません。生活保護も受けられずに餓死者が生ずるような不平等を放置する行政は想定されていません。
 ちがいを差別に転化し、力関係を背景に「自分への従属」を求める風潮があります。その是正のための発言ととりくみを奨励しているのが憲法第12条。時の政治への関与は、将来の国民に基本的人権を引き継ぐ具体的な取組として認められる「参政権」そのものです。

 ◇国民の義務強調の改憲
 自民党の「憲法改正大綱」では、「国家・社会の安全・健全な発展」を口実にして「個人の尊厳」さえ制約できる内容になっています。日本経団連の「(改憲の)意見書」では、「戦後の日本社会において、権利や自由に重きがおかれ過ぎた」として国民の義務を強調しています。
 改憲は基本的人権の制約を目的にした、「国民からの国に対する命令書」から「国からの国民への命令書」への書き換えなのです。

  Q 仕事と憲法

 ◇基本的人権実現めざす行政を
 「官から民へ」の具体化を先導する規制改革・民間開放推進会議は、「民間でできるものは官では行わない」とし、「官で行わなければならない」理由の説明責任を求めています。

 ◇憲法否定の「官から民へ」改革
 憲法でいう 「第25条が規定する生存権を具体化する社会保障制度の運営は国の責任」、「27条にもとづき国は、国民の働く権利を保障し、働くルールの維持、改善をはかる責任がある」など、国の行政は憲法にもとづき執行する、との主張を受け容れようとはしません。
 昨年末、日本経団連が公表した「経労委報告」は、「労働条件決定は労使自治が原則」と決めつけ、労働監督行政の「弾力化」や労働基準法などの規制緩和を求めました。
 企業と労働者個人の契約は、働くルールの確保という公益(基本的人権擁護にかかわる行政責任)に優先すると主張しているようです。
 市場化テストなど「官から民へ」の改革を財界が主導し、「構造改革」の下で、300万人をこえる失業者や3万人を超える自殺者の存在に目を向けることなく公共サービスが後退し続け、社会保障改悪が相次ぐ状況は、改憲の動きとも無関係ではありません。

 ◇公共サービス商品化と改憲はメダルの表裏
 「行きすぎた利己主義を反省」(世界平和研究所「憲法改正試案」)、「(戦後の日本社会は)権利や自由に重きが置かれすぎていた」(日本経団連「わが国の基本問題を考える」)など、改憲を主張する側は、基本的人権制約の姿勢を共通して示しています。
 弱肉強食の競争社会では、基本的人権の実現を国の一義的な責任とする現在の憲法は邪魔なのです。国民の生活基盤を支える公共サービスを提供する政府機関は不要な存在です。
 「公共サービス商品化」と改憲はメダルの表裏、国公労働運動の重要なポイントです。

  Q 憲法と公務員

 ◇「全体の奉仕者」として役割発揮を
 日本国憲法の施行が1947年5月3日、国家公務員法の成立が同年10月21日。決して偶然ではありません。

 ◇「天皇の官吏」からの決別
 天皇主権の明治憲法のもとでの公務員は、天皇に忠勤する「天皇の官吏」でした。
 日本国憲法の施行で、主権者は国民となり、公務員は「国民全体の奉仕者」に変わりました(憲法第15条)。その「質的な変化」に見合った民主的な公務員制度の整備が必要だったのです。
 1945年8月21日付の朝日新聞に、「災いした出世主義、形式と法科一掃の秋」という見出しの投稿があったことが紹介されています(川村祐三「ものがたり公務員法」)。
 法科出身の文官高等試験の合格者が、天皇との距離を争う立身出世の競争に明け暮れ、トイレや食堂まで身分差別する「官吏制度」。この一掃が、公務員制度整備の中核でした。
 また、その目的を達成するために、労働組合の役割が確認されていました。憲法第28条に基づく労働基本権が保障されたのは、「天皇の官吏の残り滓(かす)」を一掃することへの期待もあったのです。

 ◇公務員制度の「再整備」動く
 しかし、めざされた公務員制度の民主化は、1948年7月に労働基本権が剥奪され、1960年に上級甲種試験(現在の1種試験)の「復活」するなどもあって、未達成なままです。
 2001年12月の「公務員制度改革大綱」では、キャリア制度合法化する目的の「能力等級制」まで打ち出されました。改憲とも一体的に公務員制度の「再整備」が動いている証しです。
 「もの言えぬ公務員づくり」に反対し、キャリア制度を告発する取り組みは、「全体の奉仕者」としての公務員の役割を守る、護憲の運動の一つです。その確認は、いまの課題です。

  Q 教育基本法と憲法

 ◇人権を守る教育の実現を
 「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」教育基本法の前文の一節です。

 ◇民主的国家実現は「教育の力」
 いま、政府・与党が教育基本法「改正」作業を加速させ、開会中の通常国会への法案提出の可能性も消えていません。

 ◇「愛国心」を押しつける与党案
 明らかになっている自民・公明党の与党教育基本法改正に関する検討会の「中間報告」では、(1)現行法の前文にある「日本国憲法の精神に則り」を削除する、(2)第1条の「教育の目的」を見直す、(3)一方で教育の目的に、「道徳心の涵養」や、「国を愛する(愛国心)態度の涵養」などを規定する、(4)私立学校の進行や家庭教育を法に規定し、国の教育責任を緩和する、(5)男女共学の規定を削除する、などが内容になっています。
 このような教育基本法「改正」の動きと内容に対しては、例えば日本弁護士会が、(1)「個人の尊重」(憲法第13条)に基づく人権としての教育への権利の実現を危うくする、(2)法による「愛国心」の押しつけは、内心の自由保障(第19条)に抵触する、などと批判しています。

 ◇「統制」する国家、不平等な時代へ
 法律の性格からしても、また見直されようとしている内容からしても、教育基本法「改正」は第9条はもとより、基本的人権を規定する憲法の諸条項の「見直し」が前提となっています。国民の思想・信条を画一的に「統制」する国家は、極めて不自由な社会です。また、「非国民」とのレッテル貼りで差別が横行した不平等な時代を彷彿させます
 そのことから、「教育基本法『改正』は、改憲と一体」の位置づけで、国公労連も全労連に結集した「改正」反対のとりくみを進めています。

  Q 憲法は「人類の財産」

 ◇世界で広がる「憲法9条」
 「憲法は、米占領軍の押しつけ」、改憲を主張する人たちから聞こえる言葉です。憲法原案が、「日本の民主化」を目的とした連合国の強い指導のもとで策定されたのは事実です。

 ◇国連憲章が反映した憲法
 しかし、憲法には、「戦争の惨害から将来の世代を救」うことを宣言した国連憲章(1945年6月)も反映していること、日本国民が草案段階から「9条」を支持していたこと、なども歴史の事実です。
 最近、「憲法第9条は、日米同盟の障害」と述べているのは、アメリカ政府の高官です。時代は経過していますが、押しつけたといわれる側が「見直し」を強く主張する、というのも変な話です。
 こんなこともあって、「押しつけ憲法論」は破綻し、最近は「憲法第9条は国際社会の現実の合わない」などの主張に重点が置かれてきています。これも変な話です。
 憲法違反の懸念が指摘される中で「イラク特措法」を成立させ、自衛隊がイラクに派遣されています。このような既成事実に適合させるための改憲、という主張は、憲法を守ることより憲法解釈が優先するという、ご都合主義にほかなりません。

 ◇ハーグ国際会議や国連で注目
 1999年5月、世界100カ国から1万人が参加した「(オランダ)ハーグ国際会議」では、「各国議会は日本国憲法第9条のように、政府が戦争することを禁止する決議を採択すべき」と提起しています。翌年5月の国連ミレニアムフォーラムでも「日本国憲法9条の国際化」がうたわれています。
 1945年から60年が経過して、世界の世論の大勢は、「日本国憲法第9条」を共通の目的に掲げることを求める段階に至っています。  
 「9条」を中心とする平和主義は、旧くなったのではなく、世界共通の財産として確認され始めている、というのが実際です。