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あの時の一枚/写真で振り返る国公労働運動の歴史
 

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あの時の一枚 〈79〉

■ 「生めば育つ」と広島での国公婦人交流集会に819人 (1989年6月10日)

 
     
   
 

笑って泣いて感動の第19回国公婦人交流集会
=1989年6月10日、広島市

 「笑いあり、涙あり、そして歌あり。時のたつのも忘れるほど感動しました」―第19回国公婦人交流集会に参加した全労働愛媛支部の女性組合員は、そう感想文に記した。国公労連婦人協議会(現・国公労連女性協議会)は第19回国公婦人交流集会を1989年6月10、11日、広島市内で開催した。前年623人を大きく上まわる819人(19単組45県)の参加だった。地元実行委員長は、「広島県国公婦人協は結成3年しかたっていないので、こんな大きな集会を引き受けるのは心配だったが、『生めば育つ』の勢いでがんばり、今日の日を迎えることができうれしい」とあいさつをのべると万雷の拍手がおきた。
 80年代に実効ある真の男女平等法の実現と母性保護切り捨ての労基法・人事院規則改悪に反対して全力でたたかってきた国公女性労働者は、90年代に入っても毎年開催する国公婦人交流集会を開催県で実行委員会をつくり、大きく豊かに発展させてきた。ちなみに90年三重県長島温泉670人、91年群馬県水上温泉550人、92年福岡県原鶴温泉852人、93年福島県飯坂温泉788人、94年静岡県浜松市761人、95年滋賀県大津市727人、96年石川県山中温泉568人、97年東京約700人の開催だった。

(国公労調査時報 bT83 2011年7月号)


 
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あの時の一枚 〈80〉

■ 3259人が参加したブロック別国公青年大交流集会・エキサイトV (1994年5〜10月)

 
     
   
 

全国の先陣を切って開催された関東のエキサイトV(94国公青年大交流集会)
=1994年5月21日、新潟県湯沢町

 1986年に2,870人という労働組合の単産青年集会としては、日本最大規模のエキサイトT(86国公青年大交流集会、長野県・志賀高原)を成功させた国公労連青年協。続くエキサイトU(90国公青年大交流集会、長野県・湯田温泉)も2,539人の参加だった。
 そして、4年後の1994年のエキサイトV(94国公青年大交流集会)は、「もっと多くの夢を!ドラマを!主人公を!」と全国8ブロックで開催され、合計で3,259人の参加で国公青年の底力を示すことができた。
 ブロック別の開催と参加人数は、関東(新潟県湯沢町5月20〜22日)760人、東北(宮城県・松島5月21〜23日)330人、近畿(兵庫県・神鍋高原6月3〜5日)450人、九州(大分県別府市6月10〜12日)570人、北海道(夕張市7月7〜9日)200人、四国(高知県室戸市7月7〜9日)232人、東海・北陸(名古屋市9月23〜25日)478人、中国(広島県福山市10月28〜29日)239人だった(「国公労新聞」掲載記事から収録)。

(国公労調査時報 bT84 2011年8月号)


 
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あの時の一枚 〈81〉

■ 「ストップ戦争法! 5・21全国集会」に5万人 (1999年5月21日)

 
     
   
 

「ストップ戦争法!5・21全国集会」後、デモ行進に出発する陸・海・空・港湾20労組の隊列
=1999年5月21日、東京

 1999年5月21日夕方、東京・明治公園で開かれた「ストップ戦争法! 5・21全国集会」に5万人が結集した。この集会は、陸・海・空・港湾の交通運輸関係の20労組と宗教者たちの「平和を求める」集い実行委員会がよびかけ、労働組合、宗教団体、市民団体など約500団体、文化人などが賛同して開催され、画期的な共同と団結の場となった。
 97年6月に「日米防衛協力のための指針」(日米新ガイドライン)が公表され、それにもとづき国会に提出された周辺事態法など新ガイドライン法は、アメリカが引き起こす戦争に日本が全面的、自動的に紛争当事国にされてしまう憲法違反の戦争法だった。
 そして、この法律で否応なしに戦争協力を求められる交通運輸関係で働く陸・海・空・港湾の労働組合は、所属するナショナルセンターの違いを越えて「ストップ戦争法!」をスローガンに結集した(建交労や国公労連加盟の全運輸・全港建・全気象・全税関は全労連、全日本海員組合は連合、国鉄労働組合は全労協、航空労組連絡会は中立など)。

(国公労調査時報 bT85 2011年9月号)


 
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あの時の一枚 〈82〉

■ 許すな差別、守れ人権―税関賃金差別裁判に勝利を (2000年6月9日)

 
     
   
 

税関賃金差別裁判勝利にむけての熱気あふれる集会となった
=2000年6月9日、東京・千代田公会堂京

 会場は熱気につつまれていた。「ゆるすな差別、まもれ人権、全税関闘争勝利6・9決起集会」(2000年6月9日)には、全税関組合員はもとより、国公単組、民間労組、争議団の仲間約1,000人が参加した。集会では、ここまで26年におよぶ「賃金差別裁判」がドラマチックに「構成劇」で報告された。山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』の主人公・恩地元のモデルで、元日航労組委員長の小倉寛太カ氏がみずからのたたかいを講演した。
 1974年6月に全税関の神戸、大阪、横浜、東京4支部が提訴した組合所属を理由とした賃金差別の是正をもとめる裁判は、90年にはいって判決があいついだ。92年2月の神戸地裁は請求棄却の不当判決だったが、同年9月の大阪地裁は差別待遇を認定する勝訴、同年12月の横浜地裁は差別を認定しながら、それを容認するという不当判決だった。95年2月9日に大阪高裁が一審判決を棄却する不当判決を出したが、同22日に東京地裁は、賃金格差の支払を命ずる画期的な勝利判決を出した。
 そして、2001年12月13日、最高裁判所は、東京事案に関して、東京税関長の全税関への支配介入を認定し、賠償金等250万円の支払を命じた。歴史的な勝利判決だった。

(国公労調査時報 bT86 2011年10月号)


 
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あの時の一枚 〈83〉

■ 兵庫県国公「国公宣隊訴えたんジャー」鮮やかにデビュー (2003年5月1日)

 
     
   
 

第74回兵庫中央メーデー会場舞台に登場した「国公宣隊訴えたんジャー」の
決めポーズ=2003年5月1日、神戸市

 「兵庫県国公は、第74回兵庫中央メーデー(2003年5月1日)に正義の味方を登場。その名も『国公宣隊訴えたんジャー』。『ゴレンジャー』の血を引くその仲間は、国が『不利益不遡及』の法原則を破り、ILO条約にも反して合意なく一方的に賃金減額措置を行ったのは違法行為であると訴えた国公労連を励ますとともに、労働者にその不当性を訴え仲間を増やすため、遙か地球の彼方からやってきた。『訴えたんジャー』は、会場で署名活動、舞台でのパフォーマンス、デモの先頭でバルーンを持って行進するなど八面六臂の活躍。とても家族には見せられない姿で、奮闘。これからも『訴えたんジャー』は、不当な攻撃を跳ね返すため、多くの町で活躍するだろう。あなたの町にもやってくるかもしれない」(「国公近畿ブロックメールニュース」2003.5.2付より)。
 その後、「訴えたんジャー」は、県国公の宣伝行動には必ず登場し市民にアピール。人勧期の中央行動にも参加して全国的にも知られるようになった。正体は「秘密」だったがメンバーは固定(全運輸、全港建、全建労、全労働、全法務)されていた。

(国公労調査時報 bT87 2011年11月号)


 
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